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アセンションは究極の自己啓発・理想の実現 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2012-01-29

アセンションとカルマ・DNA、死刑制度

アセンション・エネルギーは個人カルマの浄化を促します。
どれだけのカルマを浄化するかによって、個人の次元上昇が決まります。

苦悩を引き起こす事象が現れた時は、浄化のエネルギーが流れ込んでいます。


▽人は自分の全ての祖先のカルマを、今世で浄化すべく持ち込んでいる。

人は両親から生まれます。
その両親も、そのまた両親もそうです。
ですから自分のDNAには、多くの過去の情報が記されています。

過去世を遡っていくと、祖先のそれぞれは、国籍や性、仕事も異なったり、支配者であったり奴隷であったり。
ある過去世では宗教家だったかもしれませんし、次の生まれ変わりは宗教否定論者だったかもしれません。
立場が逆であった事は多々あるでしょう。

今世に生きている人は、過去世で生き延びた者の子孫です。
弱肉強食で生き残った祖先の子孫です。
それゆえに恐怖・悲惨・離別・反目などのマイナス面がDNAに記されています。
もちろんプラス面も記されています。

全ての祖先のDNAを今世に持ち込んでいます。
DNAには壮大なドラマが記されています。


▽内部自我と外部自我

誰であっても、あの世で両親(DNA)や環境を選んでから今世に誕生します。
そして何を浄化するかも決めて来ます。

誕生すると、外部自我(ローア・セルフ)は、それらの予定(計画)を忘れます。
内部自我(ハイヤー・セルフ)は全てを知っています。

微かにですが内部自我は絶えず、外部自我に情報を送っています。
でも、外部自我はエゴ(外界の産物)に操られていると、内部自我の声を聴く事はできません。

心静かにすると感じます。
聞こえます。
どうして良いかが分かります。
ピンときます。


▽「人文検索はてな
命題:死刑廃止制度を唱えている人達はどうして死刑廃止したいの?

http://q.hatena.ne.jp/1327156508

▽上記への小生のコメントです。

カルマ・因果応報の観点から述べさせていただきます。

震災の時に生死を分けた理由はカルマにあります。
絶対に助からない状況下でも助かったり、あと1歩のところで亡くなったり。

私の甥は気仙沼の造船所に居ました。津波をもろに受け、火災も発生、もっとも被害が大きかった所です。
死んだものと思っていたら、1週間後に避難所で見つかりました。
被災後はパン一個しか食べていなかったそうです。
奇跡的に助かりましたが、本人は当時の話を一切したがりません。


結論として私は死刑制度の廃止を願います。
というのも、このテーマが目に留まったのは、私自身にカルマがあるからです。
必然的に経験することになっているからです。


物事には原因と結果があります。
人の行為に関しては因果応報がそれにあたります。
結論として死刑は新たなカルマとなり、死刑執行に関わった方々に浄化しなければならない時がやってきます。

前生で殺された人は、今生でも同じような状態に出くわします。
殺した人もそうなります。
前生での本人同士が今生で再会するとは限らず、同じような事件を経験した全くの他人と状況を共有する場合が多いかもしれません。

殺された人が痛みや憎しみを抱いたままで死となれば、来生でその波動を持って生れてきて、痛みや憎しみを表現しようとします。
殺された人だったのに、今度は殺す立場になる場合もあります。
あるいは前生と同じく殺されるかもしれません。

殺した人が後悔の末懺悔して死ねば、来生ではその続きを経験することになります。
死刑廃止制度を推進する人になるかもしれませんし、命を救うような仕事に就くかもしれません。

犯罪にまでならなくても、緊張している人間関係は沢山あります。
大なり小なり、社会、企業、学校にいじめはあります。
その当事者同士は、そのカルマを共有していいるので、カルマが解放(浄化)されるまで、生まれ変わっても宿命として付きまといます。

いじめた者はいじめられたり、反対の立場になったりもします。
また、いじめを止めようとした第三者も同様に現れます。
カルマが浄化されれば、それらの忌々しい出来事を経験することは無くなり、来生では良き理解者、親しい友人、家族、夫婦になったりもします。

カルマで考えれば、死刑を支持する方も殺人に関与したことになります。
被害者の身内、裁判官死刑執行人、立場や理由がどうであれ、人の命を奪うのは殺人です。
上記の方々も、前生で同様な経験を共有していいて、今生では性別や立場が逆だったりします。


死刑制度を廃止して、生きながら反省しつつカルマを浄化したほうがいいです。
それは犯罪者も被害者も同じです。

カルマを浄化するには、強烈な悪感情につられないように自問することです。
「私は何をしようとしているのだろうか、本当にそれで良いのだろうか」
「私が他人にすることは、私自身にしていることと同じなのではないだろうか」
「私は私を愛しているのだろうか、粗末にしてはいないだろうか」

<補足>
私は形而上学的に述べさせていただきましたが、それは現状の社会体制・構造においては到底受け入れられるものではない事を知っています。
また今回の法解釈に対しても、全く相いれないものである事も承知いたしております。
しかしながら逆説的に申し上げると、社会(人類)全体に視点を変える必要が内在する様相が見受けられ、法解釈は時代背景によって流転する事にも鑑み、量子物理学と意識との関わりの観点から、失礼かとは思いましたが意見を差し挟ませていただきました。




私もアセンションの書物・DVDを探すのに大変だったので、
こちらに分野・キーワード別に分類しておきました。

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