銀座のマチ弁(弁護士遠藤きみのブログ) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-02-18

[]天皇陛下の手術 12:15

 手術のご成功を心からお祈り申し上げます。

 病室から手術室までは,皇后様が,黒田清子さんとご一緒に付き添われ,手術中は,病室でお待ちになっておいでとのこと。さぞご心配なことでしょう。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120218/t10013115721000.html

 12年前の夫の手術も人工心肺なしの同じ方法で行なわれました。仕事(当時千葉家裁家事係に勤務)が忙し過ぎて(裁判官2名のうち上席の方がご病気でずっと休職しておられ,市川出張所の事件もあり,大変な状態でした。),それまで全く休みがとれず,早朝と深夜の面会しかできずにいましたが,「手術の日だけは,奥さん,いて下さい」との主治医の先生のお言葉に従い,調停事件を所長に代わっていただいて,早朝から病院に行って,病室から手術室まで付き添った後,手術室の前のソファーに座って,手術が済むまで長い時間待っていた日のことが思い出されます。

2012-02-17

[][][] 2月17日 第285日目 老健66日目(会報の納品、和解調書の正本と謄本、雛人形00:00

 今日は、郵便局の配達の方が何度も見えた。

 最初は、10時頃ゆうぱっくの配達。中身は、大学の同窓会の役員の○○さんが印刷して送ってくださった会報発送用のタックシール2912枚と会費などの振替用紙。

 二回目は、11時頃、特別送達の郵便。中身は、一昨日成立した和解の調書の正本と謄本各1通。謄本の方は、依頼者宅に速達で郵送。

 三回目は、1時頃、通常郵便の配達(郵便受け)。

 その後、午後1時半に、会報3500部と封筒3000枚の納品。

 銀座郵便局の集荷用の電話番号に連絡して、19日の夕方の集荷の依頼。

 午後2時に事務所を出て、老健へ。

 3時半から2階のリハビリ室でリハビリ。

 広い部屋の中央に雛人形。

 2回目の歩行訓練は、とてもうまくできた。

 5時50分から7時40分まで胃ろうへの栄養などの注入の監視。

 8時5分前に老健を出たら、雪が降っていた。

 8時18分発のバスで銀座四丁目へ。

 9時ちょっと前に事務所に到着。

 10時8分発の最終のバスで帰宅。

 

   

[][] 2月16日 第284日目 老健65日目(登記完了、すずらんのハンカチ) 23:28

 今朝は、出勤後、9時10分に事務所を出て、板橋法務局出張所へ。3階で登記完了の書類と提出資料の原本を受け取った後、2階で登記事項証明書の交付を受けてから、依頼者宅に持参。

 依頼者の○○さんからすてきなすずらんの絵が一杯のハンカチを2枚いただいた。

 依頼者宅を出たのは午後1時。

 事務所に2時到着。

 今朝自宅から持ってきた大きな洗濯済みの衣類の入った袋を持って、老健に3時に到着。

 3時半からリハビリの予定だったが、午前9時半に変更されたそう。

 ○○さんからいただいたすずらんのハンカチのうち青い縁取りがされたものを夫に渡した。

 ○○さんは、夫が大好きな、優しい奥様。

 5時50分から7時40分まで胃ろうへの栄養などの注入の監視。

 

 9時ちょっと前に事務所に戻ったら、明日納品予定の大学の同窓会の会報の納品時刻の連絡などいろいろなメールが届いていたので、返信を開始したところ、また、ノートンからの送信できなかったとの表示。更に古い保存メールの削除をしながら、送信のし直しを何度も繰り返してみたが、どれもノートンの表示が出て、駄目。

 10時になってしまったので、諦めて、帰宅。

 

 

 

 

[][]2月15日 第283日 老健64日目(和解、老健からの書類) 07:44

 今日は、午前11時から横浜家裁。

 なんとか和解成立。

 その後の諸手続について説明した後、依頼者とお別れして、老健に直行。

 3時半からのリハビリの付添いを済ませて、ロビーに戻ったら、ケアマネ(相談員)の○○さんが見えて、申込み予定の老健に提出する書類とその写しを持って来られたので、受領。

 最新の検査結果は、尿素窒素 基準値8.0〜20.0のところ、56.8という部分以外はほぼ基準値の範囲内。

 経過説明の中に、脱水確認の時点での尿素窒素の値が83だったとの記載。

 転所を必要とする理由が継続的なリハビリをとの妻の希望とのみ記載されているのにはムッとした。

 書類を夫に見せて、「これから申込書を書いて○○○に送ります。」と言ったら、深く頷いてくれた。

 その後、いつものとおりの胃ろうへの注入の監視をした後、事務所へ。

2012-02-15

[][]2月14日 第282日目 老健63日目(イソ弁さんは大変、歩行訓練) 23:20

 午前10時半から東京地裁で弁論準備。

 帰りのエレベーターでご一緒になった被告復代理人の先生に「先日FAXしていただいた書面の発信時刻、随分遅かった(午後10時半ころ)ですね。」と言ったら、「毎晩そのくらいなんです。」と言われた。大変だなー。

 依頼者との打合せを済ませてから、事務所に12時半ころ戻り、1時から2時まで別件の打合せ。

 その後、老健へ。

 3時5分に到着。

 3時半から4時までリハビリ。

 いつもと同じ内容。ほんの少しずつ足の力が強くなってきているよう。一生懸命やっている。

 5時50分から7時30分頃まで胃ろうへの注入の監視。

 8時5分前に老健を出て、事務所へ。

2012-02-13

[] 2月13日 第281日目 老健62日目(救急隊、また涙) 23:30

 午後3時に老健到着。

 夫はロビー。

 レクリエーションとして、女性の介護士さんが、朗読中。

 そこへ、エレベーターから消防署の救急隊。

 みなさんがおやつを食べに食堂に移動後、担架に乗せられて、酸素マスクを付けられた○○さんが救急隊に運ばれて行った。

 どうされたのだろう。

 ○○さんの搬送で看護師さんが忙しかったとのことで、夫への昼の白湯の注入がまだだったので、これからと言われたが、3時半からのリハビリをまずやっていただいてからにして欲しいとお願いして、2階のリハビリ室へ。

いつもと同じ内容。

4時に6階へ。

 今朝郵便局で受け取ってきた◎◎さんからのお手紙などを夫に見せたら、また、泣き顔になって、涙・・・。

 白湯の注入を受けている夫の目の前のテーブルで、◎◎さんへのお礼状を書いた。

 5時50分から7時45分まで胃ろうへの注入の監視。

 8時15分発のバスで、事務所へ。

[]月曜日の朝 10:09

 今朝は新聞の配達がない。

 いつもより15分早く家を出て,まず徒歩で,晴海郵便局へ。

 長い橋の上からゲイトブリッジを初めて眺めた。

 ゆうゆう窓口で受け取った◎◎さんからの封筒の中には,お手紙とお見舞金。

 お手紙には,「以前お会いした折には,よくお話しになられていた先生が,私達二人の顔を,じっと見つめるばかりで,苦しそうに顔をゆがめ,思い出そうとされている,ご様子をみて,本当に驚き,大きな悲しみが,こみあげてきました。」などと記載されていた。

http://d.hatena.ne.jp/tamago2/20120208#1328652537

 郵便局の斜め前のバス停から銀座四丁目へ。

 事務所には,8時50分に到着。

 メールの確認と返信をした後,書類を整えて,これから東京法務局板橋出張所へ相続登記の申請に。 

 

2012-02-12

[][] 2月12日 第280日目 老健61日目(心電図,心臓の冠動脈バイパス手術) 21:51

 午後3時5分に老健に到着。

 今日も受付でマスクを受け取って,エレベーターへ。

 夫は,ロビーで,白湯の注入中。

 それが済んだところで,3時半頃,男性の介護士から「お下の交換を」と言われて,個室へ。

 私は,部屋の前の廊下で待機。

 間もなく,介護士が使用していないお絞り2本だけ持って「お待たせしました。」と言って出て来た。オムツは汚れていなかったのだ。

 夫は,ベッドに寝かされていた。

 4時過ぎに,「心電図の検査です」と言って,看護師が器械を持って,部屋に。

 また,私は,部屋の前の廊下に出された。

 検査は,15分くらいで終了。これも港区内の老健に提出する書類の関係の検査のよう。

 5時にロビーへ。

 5時50分から7時40分まで胃ろうへの栄養と水分の注入の監視。

 その間見ていたニュースによると,天皇陛下が18日に心臓の冠動脈のバイパス手術を受けられることになったそう。

 それと同じ手術を夫も平成12年の夏に受けました。どうなることかと心配しましたが,手術は成功して,2週間後には,二人でプリンスエドワード島へのツアーに出かけることができました。

 天皇陛下の手術も成功するようお祈りしています。

 

 

[]宅配ボックスへの投函依頼,頑張りたい事件 13:50

 目が覚めたのは,6時15分

 朝食の後,熱めのお風呂に入って,自宅を出たのが8時10分。

 両手に荷物を持っていたので,更にみかん箱というのは無理と考えて,ひとまず事務所へ。

 9時に郵便局に電話して,伊予柑は今晩最後の配達で宅配ボックスに入れてもらい,現金書留は,ゆうゆう窓口での受取りということに。

 10時から12時まで法律相談。

 受任させていただける予定に。

 精一杯頑張りたい事件。

 エレベーターの前でのお見送りの際,相談に見えた方から,心配そうなお顔で,「先生,くれぐれもお身体に気をつけてください」と言われたので,「大丈夫です。身体は丈夫ですから。」と申し上げた。

 私は,生まれてから現在までの間に,歯医者以外の医者にかかったのは,昭和39年の夏,大学の通信教育過程の1年生のスクーリングの途中,過労も影響したのか,学食のハヤシライスを食べた後,酷いジンマシンが出て,体育の授業を3回欠席して医者に診てもらった時だけという健康体なのです。

 裁判官時代には,いつも,年1回提出する任地などの希望を記載する書類(第二カード)の身体の状況欄の「寒暑に耐え,頑強」という部分に〇を付けていました。

 これからも,健康で,夫の分まで,頑張りたいと考えております。