「物語」の始まり…その5」(序章終わり)
2005-07-13
今回で「序章」が終わります。
『 'ガン呪縛 'を解く』のテーマで配信を始めたところ、
いろんな電話やメールが届くようになりました。
本当にありがとうございました。
幸せの女神は、どうやらメビウス的に接近してくるようです。
すなわち、一見「不幸」に見える出来事から、
やがて思いがけないラッキーな展開が始まって行く…。
今回のこの「物語」も、
まさに「メビウス的な進化」を生み出してくれそうです。
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『 'ガン呪縛 'を解く』は、リアルタイムのレポートです。
「ガン呪縛」とは、「ガン」と聞いただけで金縛りに遭い、
現代医学の「犠牲」になっていく悪循環のプロセスを意味しています。
こんなふうになってしまうのも、
生物学と医学の基礎理論がおかしいからに他なりません。
本レポートでは、画期的な医学の基礎理論「千島学説」をベースとして、
最新の「ソマチッド理論」や「遺伝子科学」「糖鎖の科学」なども含め、
「ガン呪縛」から解放されて「健康回帰」する道を示していきます。
これは「ガン宣告」を受けた立場から綴る「生身の同時進行レポート」です。
(さて、どんな結末を迎えるものやら…<笑>)
稲田芳弘
『 ' ガン呪縛 ' を解く』の「序章…その4」を送ります。
これに関してこれまでに配信したものは、以下の通りです。
●「この1ヶ月半の出来事」について
http://www.creative.co.jp/m/topics/main.cgi?m=116
●「物語」の始まり…その1
http://www.creative.co.jp/m/topics/main.cgi?m=117
●「物語」の始まり…その2
http://www.creative.co.jp/m/topics/main.cgi?m=118
●「物語」の始まり…その3
http://www.creative.co.jp/m/topics/main.cgi?m=119
●「物語」の始まり…その4
http://www.creative.co.jp/m/topics/main.cgi?m=120
(以下、前回と一部が重複しています)
ガン病棟で知った「神様」
児玉隆也はぼくが密かに尊敬するルポルタージュ・ライターだった。
そんなこともあり、児玉の作品はことごとく読み、
新しいテーマの作品を待ち続けていた。
ところが突如『ガン病棟の九十九日』が絶筆となり、
児玉の偉業もやがて忘れられていくこととなった。
児玉隆也が最後に取り組んだのは「ガンの患者学」である。
しかしその内容は「恐ろしいガンによる金縛り物語」だった。
彼もまたガン呪縛にしてやられたのだ。
しかしそれも無理はなかったろう。なにしろガンに関する情報のほとんどが、
「巨大な錯覚」から次々と生み出されたものばかりだったのだから…。
児玉は絶筆となったその作品を、まず病院のトイレで見た落書きから書き始めている。
夜なかになって、私は小便をしに起きた。
放尿をしながら、もう「きのう」になったが、
がんセンター病院の外来患者用トイレで見た落書きを思いだした。
薄い水色に塗ったドアには、
駅や公園の便所にもあるその種の稚拙な落書きにまじって、
ひときわ大きな籠文字があった。
「神様、私の癌を治してください」
その横に別人の字で、
「歳をとったらもうだめだ」
と、か細く弱い筆圧で書かれていた。
そうだ、私は好奇心のあまり、
いや、怖いもの見たさで、といった方が正確かもしれない、
用を終えたのにわざわざ隣の便所にも入ってみたのだった。
すると、あった。
「先生、早く薬を発見してください。お願いです、早く!」
そして入院から九十九日目の仮釈放(退院)の日、
つまりこの作品の最終章で、彼は次のように綴っている。
死の話ばかりを書いてしまった。
誤解を招くといけないので、今日……退院の日に、O先生から聞いた数字を書いておく。
それを書くことは、私自身を勇気づけることでもあるので。
肺癌の場合、五年前の治癒率は六〇パーセントだそうだ。
五年後、つまり私や戦友の場合の予想治癒率は、七二パーセントだろうという。
数字の上では、私は、生きる確率の方が、死より高いのだ。
だが、こればかりは、私は神様におまかせしよう。
癌を病む前と後で、私の中に明らかに変わった点が一つあり、
それは神様という言葉を知ったことだ。
私は、初めてこの病院の患者になった日のトイレの落書きの主はどうしただろうと、
何かのひょうしに考えてしまう。
「神様、私の癌を治してください」と書いた癌患者の生命に、
「神様」はどんな匙加減をお与えになったのだろう。
退院する児玉に、医師は言ったという。
「肺ガンの予想治癒率は72パーセントである」と。
1974年当時、それは本当だったのだろうか。
ちなみにがんセンターのウェブサイト「がんの統計 '03」から
「肺がんの臨床進行度別5年相対生存率」を見てみると、
1期52.0%、2期14.8%、3期8.3、4期2.1となっている。
しかもこれは決して治癒率などではなく、5年間の生存率である。
児玉の場合、実は4期の末期ガンだったから、
「予想治癒率が72パーセント」というのは、医師が希望を与えるためのウソだったにちがいない。
それとも30年前に比べて現在は、5年相対生存率が逆に極端に低下したとでもいうのだろうか。
いずれにしても、手術や抗ガン剤、放射線治療等々の治療でガンは治せない。
だから結局は、児玉自身もそうしたように
「神様」におまかせするしかなくなってしまうのだろう。
児玉隆也の実際の余命は、入院からわずか5ヶ月ほどのものだった。
しかし彼はそれを知らされていなかった。
だからますます疑念や猜疑心が高まって、
神経の針が極端(希望)から極端(絶望)に絶えず振れていた。
そして願った。
「神様、せめてあと20年ほどの生命を下さい」と…。
そのとき児玉は、まだ38歳だったからである。
実際には「余命5ヶ月」しかなかった彼は、次のように書いている。
私は病棟の老人たちを見ているうちに「同病相憐れむ」という言葉は美しすぎる、と思った。
私のいら立った神経では「同病目を背ける」というのが、正直な実感だった。
そして、あの歳までは生きたくないが
「神様、せめてあと二十年ほどの生命を下さい」と言ってしまう。
癌病棟に入ってみると、十年という歳月が、気の遠くなるとしつきに思える。
健康でいる時は「十年しか生きられない」のだろうが、
ベッドで、四角くちぎれた空をゆっくり落ちていく鳩の羽毛を眺めていると
「十年も生きられる」という思いに変わるのだった。
そして、六十代の患者が二人寄ると、きまって語り合うことになるあの言葉を、
私は聞くことになる。彼らは必ずこう言った。
「若いときは戦争で、戦争が終わってからは子供を育てるのに苦労して、
孫ができたと思ったらこのざまだ。せめてあと十年は生かして楽をさせて欲しいねえ」
「ほんとうに」
私は老人たちの「せめて10年」を聞きながら、
「この人たちの10年をこっちへ下さい。
私にはまだこれから大きくしなければならない子どもがいるのです」
と「誰か」に祈っていた。
そんな私は、まるで、「蜘蛛の糸」の、一番上を這い上がっている男のようだ。
私のなかの「誰か」は、その後、次第に影を大きくしていくことになった。
この30年のガン治療
児玉隆也の『ガン病棟の九十九日』は、
最初から最後まで「ガンの恐ろしさ」を浮き彫りにしている。
ガンのその恐さに身震いし、
怖いガンに冒されているのではないかと猜疑心をかきたて、疑心暗鬼におののき、
「神様、私の癌を治してください」
「先生、早く薬を発見してください。お願いです、早く!」
とトイレに書かれた落書きを自らの祈りに溶かし込んだ。
だが、「神様」も「先生」も児玉のその祈りに応えてはくれなかった。
そして彼の心はますますガンという悪鬼に縛られていった。
ガン呪縛のあがき…。
この言葉こそ、ぼくが児玉隆也の最後の作品を読んだとき、
ガン患者を襲う心理的光景として見たものだった。
そのときからすでに30年…。
もしもガン治療が目指したベクトルに間違いがなかったとしたら、
「私の癌を治してください」という大勢の癌患者の願いは、
この30年で「神様」にまで届いていたにちがいないし、
「早く薬を発見してください。お願いです、早く!」と
「余命」を数えながら懇願した膨大な数のガン患者の悲願に、
世界中の多くの「先生」たちの30年も、それなりの成果を挙げてくれていたにちがいない。
しかし「医学の進歩」の現実は、
当時の「ガンによる死亡者13万人」がいまや「32万人」にも膨れ上がり、
いまだにガン患者は「拷問つき終身刑」から解放されることがない。
30年前の児玉がそうだったように、
ガン獄舎からの仮釈放はありえても、「再発」や「転移」という悪魔から逃れることができない。
ガンはいまなお「死に至る病」のままなのである。
「ガンの患者学」を書いた児玉隆也は、入院からわずか5ヶ月後に亡くなってしまったが、
彼は死の直前、『この三十年の日本人』という著書の「あとがき」を書いている。
そこには「昭和五十年初夏」と記述されているから、
その日から今年でさらにジャスト30年が経つ。
もしも児玉がその後も生きながらえていたとしたら、
あるいは『この三十年のガン治療』を書きたいと思ったかもしれない。
すなわち、
「30年という歳月は流れたものの、ガンを治す薬も治療法もついに発見することができなかった」と。
その証拠に、児玉が亡くなった6年後、ガンが日本人の死亡原因の第1位に踊り出た。
それまでのわが国の主要死因が感染症から成人病、いわゆる生活習慣病へと移行していくなかで、
1981年についにガンが日本人の死亡原因のトップになったのである。
ちなみに国立がんセンターの統計によれば、1981年のガン死亡者数は16万6399人、
それが20年後の翌2001年には、死亡数30万4286人とほぼ倍増するに至った。
これは総死亡の31%、つまり3人に一人がガンで亡くなっている計算である。
この上昇曲線はこれからもますます勢いを見せていくらしく、
試算によれば10年後の2015年には毎年74万人が新しくガンにかかり、
その多くが亡くなるだろうという。
そんなことから政府は「対がん10カ年総合戦略」を策定し、
そのための予算を1993年に約20億円、1997年にはその倍の約40億円とした。
また日本の医療費はいまやすでに30兆円を越えていると言われるが、
その多くがガンに費やされていると言ってもいいだろう。
こうして児玉隆也の絶筆となった「ガンの患者学」のテーマは、
いまなお恐ろしい金縛り状態に置かれている。
それだけにガン治療に殺された児玉は、
「この三十年のガン治療」を「不毛」と書きたいところだろうが、
しかし、事実は、決して不毛ではなかった。
ガンを悪魔と決めつけて、手術、抗ガン剤治療、放射線治療という
恐るべき武器でガンのテロに立ち向かってきた現代医療にとっては「不毛」「敗北」であっても、
その一方でまぎれもなく希望が芽生え出しているからである。
そもそもガン患者の仲間入りをして、
本来ならガンの恐怖におののいていなければならないはずのぼくが、
このようなレポートを書いていること自体が、それをはっきりと物語っているとはいえまいか。
それも、「ガンは決して怖くない」「ガン呪縛は必ず解ける」、
ようやくそんな希望が鮮明になり出してきたからである。
(序章:完)
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