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B6版 104ページ
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「物語」の始まり…その3

2005-07-11

『 ' ガン呪縛 ' を解く』の「序章…その3」を送ります。
これに関してこれまでに配信したものは、以下の通りです。

●「この1ヶ月半の出来事」について
http://www.creative.co.jp/m/topics/main.cgi?m=116
●「物語」の始まり…その1
http://www.creative.co.jp/m/topics/main.cgi?m=117
●「物語」の始まり…その2
http://www.creative.co.jp/m/topics/main.cgi?m=118



「ガン獄舎」の門

 その「たくらみ」を一言で言えば、
医師の治療計画には決して乗らず、自力でガンを完治させてしまうことである。
というのも、医師は当然のごとく入院を勧め、
遠隔転移があれば末期ガンと診断して化学療法を施すにちがいないし、
また他の臓器への転移が認められなければ、
まず手術、そして抗ガン剤投与と放射線照射を施すことになる。

 それはたぶん、医師の良心に基づく医師の使命と考えてのことだろう。
すなわち、ガン治療は一刻も早く開始する必要があり、
そしてそれには病状に応じて、手術、抗ガン剤治療、放射線治療を施すことがベストであると…。
それが現代医学のガン治療の基本マニュアルである限り
、医師はひたすらこの道を突き進んでいくのである。

 しかしこれが「ベスト」と考えるのは医師であって、
患者としてはその結果、往々にして「最悪の結末」を免れえない。
早い話、ガンに殺されるのではなく、ガン治療に殺されてしまうのだ。
このことは『患者よ、がんと闘うな』の著者近藤誠医師も明らかにしていることであって、
多くの医師たちが信仰するガン治療マニュアルでは、
ガンを決して治癒することができない。
近藤医師が強調するように、
「手術はほとんど役に立たない。
 抗ガン剤治療に意味があるガンは、全体のわずか1割にすぎない。
 ガン検診は百害あって一利もない」
というのが、残念ながら現実のガン治療の実態なのだ。

 にもかかわらず、多くのガン患者が医師の指示どおり入院し、
医師の治療計画に従順に従って、結局は亡くなっていく。
もし手術、抗ガン剤治療、放射線治療に本当に効果があるならば、
この20年間にガン死亡者が倍増し、
年間30万人以上もの犠牲者を出すというようなことなどありえないはずだ。
この事実を見るだけでも、明らかにどこかがおかしい。
にもかかわらず、患者はガンと宣告されるや、妙に従順に、
医師の管理になる「ガン獄舎」におとなしく収監されてしまうのである。

 いったいなぜか。そこに摩訶不思議な「ガン呪縛」があるからである。
つまり「ガンは怖い」。
「ガンは死に至る病」にして、たとえ治療で一時的にガンから解放されたとしても、
「再発」や「転移」という死の影に脅かされ続ける。
この「常識」は、いったいいつから、そしてなぜ社会を覆い尽くしてしまったのだろう。
このテーマを追っていくと、生物学、医学の根幹に突き当たる。
要するに、現代医学はその基本からしてとんでもない錯覚と誤謬に陥っているのだ。
(これに関しては○章で詳しく論じたい)

 実は筆者は、この問題に関してぜひいつか書いてみたいと思っていた。
というのも、
最先端の科学は「生命科学」の神秘を徐々に解きほぐしつつあるというのに、
生物学や医学は、いまなお古めかしくて荒っぽい
ニュートン力学的なものにしがみついているからである。
生物学はともかくとしても、これでは人間の運命を直接左右する医学に出口はない。
それどころか現代医学が、ますますたくさんの「犠牲者たち」を拡大再生産し続けている。
実際この数年、ぼく自身の親しい友人たちもガン治療によって「殺され」続けてきた。「
殺された」というのは過激過ぎる表現かもしれないが、
「もし病院でガン治療を受けなかったら亡くならずに済んでいたはず」
というケースをたくさん目にしてきたのである。

 その「犠牲者たち」の何人かにぼくはそれとなく「ガン呪縛」の怖さを示唆し、
「ガン治療を始めたら殺されるよ」「そもそもガンという病気は…」
と説明してみたが、
著名な医師でも医療専門家でもないぼくの言葉に耳を傾ける者は少なかった。
そして結局は医師の勧めに従って「ガン獄舎」に入り、
その挙げ句、苦しみながら亡くなっていったのであった。

 しかしここ数年の動きを見ると、
ガン呪縛から解放されうる気運もそろそろ感じられ始めていた。
そこでこの機会に一冊の本にまとめようと考えていたその矢先、
なんとぼく自身に「ガン宣告」がなされたのである。

 5月23日の「ガン宣告」に、一瞬「しめた!」と思ったのは、そのためだった。
ぼく自身が晴れてガン患者になれたのだから、
患者として発言し行動する資格が生じたことになる。
それにしてもいざ医師の口から
「入院して即刻ガン治療に邁進すべし」という言葉を聞くと、
それをはねのけるのに非常に大きなエネルギーが必要であることが思い知らされた。
よほどの「何か」がない限り、
自分に向けられるこの圧倒的ともいえる圧力を押し返すことはできないだろう。
かくしてほとんどのガン患者が「ガン病棟の囚人」と化す。
実際、ぼく自身にも、絶対的な威力を持つガン呪縛のそのパワーが、
その後も周りから粘っこくまとわりついてきたのだった。


進展度は「IIIb期」

 医師に勧められた諸々の検査は、ガン宣告から10日後の6月3日に実施した。
その日は朝一番に病院に駆け込み、まず骨シンチのための注射をした。
そしてその後、CT、MRI(頭部)、エコー、RI(骨シンチ)という順番で検査が進められていった。
 骨シンチとはアイソトープ(弱い放射能を持つ同位元素)を注射して
骨への転移をレントゲン写真で観察する方法で、
特に乳ガンや肺ガンなどでは全骨転移例が多いため、
遠隔転移が疑われたぼくもこれを義務づけられていた。
しかし大事な検査とはいえ、体内に放射能を持つ同位元素を注入するのだ。
それだけでも体のどこかがおかしくなるような気がした。

 実際、注射をした直後、腕に射した注射針の周辺が異様にスーッと涼しくなり、
やがて腹や胸などが熱くなった。注射の痛みは大したことなかったものの、
体内に注がれた異物が明らかに体内で異常な反応を引き起こしている。
この後もやはり注射により、CT、MRIのための異物(造影剤)を注入をしたのだから、
ぼくの体内には3種類の異物が注ぎ込まれたことになる。
それは体内でいったいどんな反応を引き起こすのだろう。
そんなことを考えながらも、とにかくすべての検査を無事に終えたのだった。

 検査結果を見た上で、その日のうちに医師の判断が下されることになっていた。
が、急患が入ったらしく3時過ぎまで待たされた。
このときももちろん妻の同席が求められていた。
検査結果が下されるその儀式は、
あたかもぼくを判決申し渡しの法廷に臨む被告人ごときものにした。

 診察室に呼ばれて入ると、医師の前の壁には
さまざまなフィルムが貼り並べられていた。
それに目をやりながら、静かな口調で医師は言った。

 「胸と腋の下のリンパ節には異常が見られるものの、
 今日検査したフィルムには、特に異常は確かめられません。
 これならまだ手術が可能ですから、
 すぐに入院手続きをして手術ということにしましょう」

 そう言いながらも、
医師は遠隔転移が認められなかったことを意外に思っているようでもあった。
それはともかく、医師はごく当たり前のようにぼくに乳ガンの摘出手術を提案した。

 ぼくが入院などしないことを知っている妻は、恐る恐る医師にたずねた。

 「病期のステージは、何期と考えていらっしゃるでしょうか」

 「浸潤型乳管癌で、病期はIII期です」

 乳ガンの場合、その拡がり、すなわちしこりの大きさ、
乳腺の領域にあるリンパ節転移の有無、遠隔転移の有無によって
臨床病期(ステージ)が決められており、
ちなみにIII期は「局所進行乳ガン」と呼ばれ、IIIa、IIIb、IIIc期に分けられている。
あとで調べてみたところ、それぞれとも以下のように説明されていた。

 IIIa期:しこりの大きさが2cm以下で、わきの下のリンパ節に転移があり、
     しかもリンパ節がお互いがっちりと癒着していたり
     周辺の組織に固定している状態、またはわきの下のリンパ節転移がなく
     胸骨の内側のリンパ節(内胸リンパ節)がはれている場合。
     あるいはしこりの大きさが5cm以上でわきの下あるいは胸骨の
     内側のリンパ節への転移がある場合。

 IIIb期:しこりの大きさやわきの下のリンパ節への転移の有無にかかわらず、
     しこりが胸壁にがっちりと固定しているか、
     皮膚にしこりが顔を出したり皮膚が崩れたり
     皮膚がむくんでいるような状態です。
     炎症性乳ガンもこの病期に含まれます。

 IIIc期:しこりの大きさにかかわらず、
     わきの下のリンパ節と胸骨の内側のリンパ節の両方に転移のある場合。
     あるいは鎖骨の上下にあるリンパ節に転移がある場合。

 IV期は 他の臓器に遠隔転移しているケースで、要するに末期ガンである。
が、ぼくには乳ガンが転移しやすい骨、肺、肝臓、脳などの臓器への遠隔転移
が認められなかったため、医師はIII期と判断したのだろう。
ちなみに、後でいただいた診断書には、「病期:IIIb期」と書かれていた。

「物語」の始まり…その5」(序章終わり) 2005-07-13
「物語」の始まり…その4」 2005-07-12
「物語」の始まり…その3 2005-07-11
「物語」の始まり…その2 2005-07-10
「物語」の始まり… 2005-07-09
「この1ヶ月半の出来事」について 2005-07-07
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