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B6版 104ページ
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「物語」の始まり…

2005-07-09

7月7日、ロンドンで同時多発テロが起きました。
英グレインイーグルズでG8サミットが始まったまさにその当日でした。
これまた「あれっ?」っという感じの突発的で悲惨な大事件でしたが、
考えてみれば、起こるべくして起こったものかもしれません。

こいう言い方をすると、
「テロ」を起こしたのはアルカイダ…という文脈になってしまいそうですが、
そうした憶測の「空気」に縛られてはならないと思っています。
大事なことは、あくまでも事実を事実として冷静に見つめ、
そこから事の真相を見極めていくことが大切かと思います。
(9.11事件の真相も、ますます奇々怪々です)

それはさておき、
1ヶ月半ぶりに「あRe?!」にコメントを書き込んだとたん、
その直後「ロンドンの同時多発テロ」が起きたことになります。
このことに、ぼくはある種の「共時性」を感じました。
というのも、1ヶ月半の沈黙期間に起こったぼく自身の物語に、
それはあながち無関係でもなかったからです。

その両者の関係性を示すシンボリックなキーコメントとして、
まず、以下に一言掲げます。

☆ブレア、ブッシュ、小泉etc.のコメント

「凶悪なテロを許さない。我々はテロに勝つ」
(そして、テロの芽を摘む行動の開始…)
 …………

またまた謎めいた、そしてもったいぶった話から
この『あRe?!』が始まってしまいましたが、
今日はいよいよ、本論に入ることにします。

 ★

「物語」が始まった直後から、ぼくはある原稿を書き始めました。
本のタイトルは、『 "ガン呪縛 "を解く』(仮題)です。
実は、これは「千島学説」に関する本を書こうと思っていたその矢先に、
ぼく自身に「ラッキーでタイムリーな物語」が始まりましたので、
タイトルを急遽このように変え、ルポルタージュ風に書き出したのでした。
まだ書きなぐりの原稿で、十分に推敲整理したわけではありませんが、
まずは以下にご紹介します。

 *****************

『 "ガン呪縛 "を解く』

 序章

 ある日突然「ガン宣告」

 「生検の結果ですが、これは典型的な乳管ガンです。
 皮膚などへの浸潤も見られますから、この後すぐ外科に行ってください。
 もう連絡はとってありますから、今後は外科のほうでお願いしますね」

 朝8時半、まだ動き出したばかりの皮膚科の診察室で、
若い女医さんからストレートにそう言われた。
そのとき数名の看護士たちが、立ったまま黙ってぼくを見つめていた。

 これは、いわば「ガン宣告式」である。
そのとき、医師にも、看護士たちにも、
その宣告に対するぼくの反応を気遣う優しさがあふれていた。

 「間違いなく乳ガンなんですね」

 念を押すぼくの言葉に、女医さんは、
細胞を抽出して検査した結果、乳ガンであることは疑いの余地がない
と繰り返し語り、ぼくの乳首をつかみながら、その大きさを測った。
定規を使っての簡単な計測だったが、
2.5×3.5センチくらいの大きさになっていたようだ。
要するに、これはもう正真正銘のりっぱ?なガン、ということらしかった。

 乳ガンであることを確認したぼくは、心の中で一瞬「しめた!」と思った。
 その理由はあとで書くことにするが、簡単に言えば、
(ここからぼくの本格的なトライがスタートできるぞ)と思ったからだった。
ただそれと同時に、
(乳ガンかぁ…、男なのに、人には言いにくいちょっと恥ずかしい病名だなぁ…)
という、もうひたすら苦笑するしかなさそうな、
なんとも情けないような思いも湧き上がってきた。

 乳ガンといえば、女性だけの病気とずっと思い続けてきた。
ところがつい最近、
知り合いの男性が乳ガンで入院していることを友人の話から知った。
それを聞いたとき、心配するよりもまず先に
「ええっ? 男にも乳ガンってあるの?」と、
思わず好奇心と驚きで聞き返してしまっていた。
無知と言えばあまりにも無知で恥ずかしい限りだが、
なるほどなぜか男にも一応乳首なるものが残っており、
その奥の残存乳腺がときどきガンにやられるのだという。

 あとで調べてみたところによれば、
乳ガン患者のうち100人に一人くらいは男性らしい。
ということは、いまや乳ガン患者が毎年4万人近く発生しているというから、
その1パーセントの400人くらいの男性が毎年乳ガンにかかっていることになる。
 いったいなぜなのだろう。インターネットの情報によれば、
どうやらパソコンなどから発生する電磁波が大きな影響を与えているらしく、
それに加えてストレスがある。

 そこまで分かったところで、
(まてよ? そういえばぼくもこの20年近くほとんど毎日パソコンを前に、
たえず締め切りのストレス(プレッシャー)を背負いながら
根を詰めた仕事をしてきたんだから、ひょっとしたら…)という思いが湧き、
以前から乳首脇にあった小さなしこりを
一応見てもらおうということになったのだった。

 もしも知り合いの男性が乳ガンになってくれなかったら、
わざわざ病院を訪ねて診てもらおうなどとは決して思わなかっただろう。
しかも実際に診てもらったところ、
その(ひょっとしたら…)が、なんと本当に「ひょっとしてしまった」のだ。

 女医さんからの話は意外と簡単に終わり、診察室を出たぼくに、
一人の看護婦さんが「ちょっといいですか」と語りかけてきた。
たぶんいきなりガン宣告を受けたぼくが、
すっかり落ち込んでいると思ったのにちがいない。
 待合室の椅子に腰を下ろしたぼくに、看護婦さんは
「大丈夫ですか?」とまず優しい言葉を投げかけてくれた。
「大丈夫ですよ!」とぼくは笑顔を作って答えたのだったが、
その言葉と表情を、あるいは「無理して演じている空元気」
と受け取ったかもしれない。
実際、そのあとも、ぼくを優しく気遣うかのような言葉がいくつとなく続いた。

 その様子からすると、
皮膚科の診察室で初めてぼくが乳首脇のしこりを見せたとき、
女医さんも看護婦たちも、見ただけで即座に乳ガンと思っていたようだった。

  ***

 ぼくが初めて皮膚科を訪ねたのは4月末の連休前のことだった。
しかし予約無しでいきなり出向いたこともあって、
待ち時間が長くなると聞かされ、そのまま帰ってきてしまった。
 連休の間の5月2日にも病院を訪れてみた。
が、このときはさらに人が多くて、はやりそのまま帰途についた。
そして思ったこと、それは、
(すごい人混みだなぁ。これだけ世の中には病人があふれているんだ。
 やっぱり早く本をまとめなければ…)という思いだった。

 その1週間後の連休明け、5月9日にも病院を訪れてみた。
予約はせずとも朝早く出向いて待てば、
診察くらいはしてもらえるだろうと思ったからだった。
それまでは乳首の横にできたしこりを気にすることなどほとんどなかったが、
「男のガン」を知ったのに加え、時々痒さも感じられたために、
妻の勧めに従って一応病院で診てもらうことにしたのだった。

 3度目の正直で、何時間か待たされはしたものの、
この日ようやく皮膚科で診察を受けることができた。
そして(看護婦さんかな?)と思うほど若い女医さんに診てもらった結果、
「乳管癌とパジェット病の疑いあり」と言われてしまったのである。
 「疑い」を「確定」するには、検査が必要だという。
確かに見た目だけで断定するのは乱暴すぎるというものであろう。
となると、また改めて病院を訪れての検査が必要になる。
病院嫌いのぼくとしては(煩わしいなぁ)とは思ったものの、
その場で1週間後の16日に予約を入れ、
乳首の細胞を取り出して検査をすることに同意した。

 ****************

まずはここまで、そのほんの書き出し部分を転載してみました。
「ガン宣告」を受けたことがなぜラッキーだったのか?
それは、この本を最後までお読みいただければ分かります<笑>。
この続きは、近いうちにまた配信します。

なお、このルポルタージュを書き始めたところ、
「実はガンだと言われまして…」というメールが届いたりもしました。
みなさんの中には、ご家族や友人がガンという方もおられると思います。
そういう方には、ぜひこれを続けてお読みいただきたいと思います。
「ガン呪縛」は間違いなく解かれ、
同時に、きっと「完治の希望」が湧いてくると思いますから…。

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