バレンタインデーの朝、長崎市のトンネル交通事故で2人が亡くなった。1人は見習いで勤める保育園へ軽乗用車を走らせていた。大破した車内に、子どもたちへの小さな贈り物が壊れずに残っていた。
「お母さん、今日ね、たまたまお弁当やけん。配れるって」
14日午前7時55分。清水美里さん(23)はふだん通りに、長崎市かき道4丁目の自宅を出た。ショートケーキの形をした小さなチョコレート8個と弁当箱を紫色のバッグに入れて。
勤め先は20キロほど離れた市内の畝刈(あぜかり)保育園。学童保育の小学1年生8人を受け持っていた。
子どもたちにバレンタインチョコを渡したいと竹内尚史園長に提案していた。竹内園長は「小学生にだけチョコをあげるのは」と迷ったが、14日は月に一度の弁当の日。おやつも各自で持ってくる。清水さんは「おやつの時間にうまく渡せば大丈夫でしょうか」と説き伏せた。
兄と妹の3きょうだい。昨春、長崎国際大学を卒業した。在学中に保育士を志し、通信教育で資格の勉強を始め、今夏の試験で残る2単位を取って保育士になるのを夢見ていた。
午前8時16分。トンネルに入った直後の清水さんの軽乗用車に、対向車線で追突事故をした乗用車が中央線を越え、正面衝突した。
バッグの中の弁当箱は壊れていたが、チョコは無事だった。
「ちょっと遅れましたが……」。15日の通夜で、父の厚久さん(60)が保育園へ託した。通夜には約600人が集まった。保育園の子どもたちから、折り紙や手紙が寄せられた。
〈みさとせんせいいつもありがとう。またあいたいです。ゆめにでてきてください〉
〈せんせいは、あさ交つうじこでした。なみだがいっぱいでてきました。みさとせんせいともっともっとあそびたかったです。そして、ばれんたいんをもってきてくださってありがとうございます〉
「やっほー」。帰ってきてほしいと願う友人たちから今も、携帯電話にメールが絶え間なく届く。だから、両親は電話の充電を続ける。
「こんなに多くの友だちに囲まれていたんだと思うとうれしい。どうしてうちの子やったんかな、とは思うんですが」。母の清子さん(52)は、娘の遺影の前で話した。(河合達郎)