【ラスベガス】ホリー・チェン氏は元小学校教師で、身長わずか5フィート(約152センチ)余り。スパンコール付きの服を好んでよく着ている。一見しただけでは、この68歳の年配女性が地球上で最も売り上げを上げている販売員の1人とはまさか思わないだろう。
ある1月の夜、カジノの宴会場に所狭しと集まった約1100人の聴衆が、立ち上がってチェン氏を迎え入れた。カメラのフラッシュがたかれるなか、チェン氏は黒のエナメル革のブーツでステージ中央へと大股で歩いて行った。すると思いがけずムードが一変した。亡き母の思い出から話を始めたチェン氏が、ほどなくして涙を流したのだ。
「最も強力な武器は人の心を動かすことだ」と、チェン氏はのちに北京語で述べ、「愛を込めてシグナルを送れば、同じようなシグナルを送り返してもらえる」と語った。
チェン氏はこの情緒に訴えかけるビジネスを仕切る主要人物だ。チェン氏とその夫、バリー・チー氏は数十年にわたって、自社ブランドの化粧品や日用品の直接販売を行うアムウェイで世界最大規模の売り上げを稼ぎ、歩合給で働く約30万人の販売部隊を鼓舞している。
各会員による新たな販売員の勧誘により、そのネットワークは今やチェン氏の本拠地・台湾から香港、中国本土にまで及び、さらに米国やフランス、スペイン、ロシアの中国移民コミュニティーにも拡大している。
このピラミッド式のネットワークは中国人コミュニティーの間で「超汎」(「非凡」の意)と呼ばれている。2009年以降毎年30%を超える勢いで成長している。現在、販売員10人に1人はチェン氏の配下にいる計算で、チェン氏はそのすべてからコミッションを得ている。
ある直販雑誌の推計によるとチェン氏の総収益は年間800万ドル(約6億2800万円)だ。「自分がどのくらい稼いでいるかさえ分からない」と、チェン氏はラスベガスに集結した超汎米国支部の面々に向かって語った。
昨今の景気はアムウェイにとって好都合となっている。先進国ではリセッション(景気後退)で副業に乗り出す人が増えており、新たなアムウェイ販売員を生み出している。新興の中南米やアジア諸国では、副収入を得ることに意欲的な新たな消費者の登場で、他地域よりもはるかに高い成長をみせている。現在アムウェイの売上高の90%が米国外のものだ。
アムウェイは昨年の売上高を23日に発表する予定だが、消息筋によると初めて100億ドルに達する見通しだ。そうなれば前年比10%以上の増加だ。
さらに時代は、長年議論を呼んでいるアムウェイの直販手法にも思いがけず援護射撃を送っている。
今や業界を問わず企業はこぞって交流サイト「フェイスブック」を介して直接顧客とやり取りをしている。そうしてつながったユーザー同士のネットワークを影の販売戦力として利用すべく試行錯誤し、自社製品を推薦してくれたユーザーにコミッションを支払っている。
話は再びラスベガスに戻る。周囲で中国語が飛び交うなか、チェン氏が友達作りの重要性を熱心に説くのを聞いているうちに、ふと憂うつな未来が頭をよぎった。恐らくビジネスの未来はアムウェイの会員集会とそう変わらないのではないかと。
すべては人々の強い願望に訴えるよう細部まで入念に演出された儀式のようだ。薄暗い照明の中、チェン夫妻が、彼らの栄誉をたたえるパレードで、真っ赤なキャデラックのコンバーチブルに乗った映像が画面に映し出される。
別のクリップにはチェン氏がプライベートジェット機から降り立つ姿が映っている。さらにチェン氏がアジア各地の大規模な会員集会を率いている映像もあり、昨年秋に台湾で行われた集会の映像では2万1000人収容のアリーナが満員になっていた。チェン氏は、フランスの高級ブランド、シャネルの上客50人の1人だとも豪語している。
小学校教師としての7年間の経験は、チェン氏にタフではあるが、母親のような優しい雰囲気を身に付けさせた。彼女の取り巻きはチェン氏を中国語で「教師」を意味する「老師」と呼ぶ。それら取り巻きの願望を行動に変えるのがチェン氏の役目だ。
だが大半のアムウェイ販売員は魅惑的とは言い難い生活を送っている。アムウェイによると、北米の平均的な販売員の売上高(取り分ではない)は1カ月約200ドルだ。
さらにアムウェイは、詐欺的手法で利益に関して誤った認識を与えられたとして、元米国販売員から集団訴訟を提起され、1億5500万ドルの和解金を支払う事態に追い込まれている。アムウェイは不正行為は認めなかったものの、ビジネスのやり方を変更し、新たな販売員の勧誘よりも製品販売により注力すると約束した。
チェン氏にそのような疑念があったとしても、とっくの昔に拭い去っているようだ。チェン氏いわく「わたしは常々アムウェイは神によって作られた、わたしだけのためのシステムだと考えている」。
成功は盲信から始まるようだ。
「アムウェイのビジネスに足を踏み入れたら、当然ながら考え方や態度を変える必要がある。そうすれば結果は必ず付いてくる」。こう話すのは、ラスベガスのチェン氏の講演で前列に座っていたカナダの販売員、ポール・チェン氏。
ポール・チェン氏はカギは「心を開き、過去や自分の職業、仕事を忘れ、ここへ来て学ぶことだ」と話す。
チェン氏はシンプルな逸話や訓示を好む。出席者はそれを熱心に書き留めている。長時間にわたるチェン氏の 講話は、お決まりの逸話を軽快なテンポで楽しく語り、ところどころ思い付いたように無駄話を挟む。探検家のクリストファー・コロンブスからエジプトのピラミッド、万里の長城、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏まで話題は次から次へと飛ぶ。
お気に入りはロナルド・レーガン元米大統領の話で、レーガン氏が映画俳優組合の委員長を務めることで、いかにして信用を獲得したかを語った。「自らを与える者へと昇華させられるかどうかは、われわれ自身にかかっている」とチェン氏。
話にはチェン氏自身の生い立ちもたっぷり盛り込まれている。生まれ故郷の漁村では貧しい生活を送っており、かゆでさえもぜいたくな食事だった。教師を経てやがてアムウェイに出会う。カジノのテーブルやトイレの順番待ちの列に付く人を口説き落とすことで、成功を収めた(順番待ちの列では、自分の前ではなく、後ろにいる人に話しかけるのがコツだとチェン氏は話す)。
チェン氏が米国に進出したのは1986年。テキサス州ヒューストンで中国語のテレビ番組のインタビューに登場したのがきっかけだ。それをたまたま目にしていたチェン氏の元教え子から輪が広がり、やがて超汎の米国支部を形成するようになる。
中国本土で1995年に直接販売が認可されたときは、通りでお薦めのレストランを尋ねることで最初のきっかけをつかんだ、とチェン氏は話す。「そうやって友達になってから、ビジネスの話を持ちかけた」
チェン氏はラスベガスの宴会場をさっと見渡し、感動的なセリフを口にした。聴衆は一点の疑いもなく、それを受け入れた。「人の外見ではなく、内面を見ることが重要だ。心を理解することが必要だ」