山口県光市の母子殺害事件で殺人や強姦(ごうかん)致死罪などに問われた当時18歳の元少年(30)が、20日の差し戻し上告審判決を前に広島拘置所(広島市)で毎日新聞記者の面会に応じた。「事件の真相を認めてもらった上で、(判決が)厳しいものであれば受け入れたい」とした一方、「厳しい刑罰こそ望むが、死はそこで途絶えてしまう」とも語り、生と死の間で揺れる複雑な胸の内を明かした。
6日、狭い接見室を隔てるアクリル板の向こう側に、黒のタートルネックに灰色の上着姿で元少年が現れた。「なるべく努めて、落ち着いて臨もうと思っています」。00年の1審から数えて5度目となる判決を待つ。差し戻し審で殺意を否認した元少年は「検察の主張は事実と異なっている。(最高裁には)証拠をきちんと見て判決を下してほしい」と訴えた。
記者が元少年の姿を見るのは、差し戻し控訴審の死刑判決(08年4月)以来4年ぶり。肩幅は広くなり、がっしりした体格。髪は短く刈り、ひげを生やしていた。事件時は細身だったが、今は頬骨も張り、たくましさも感じさせる。
「端的に言えば、悲しかった」。4年前、死刑を言い渡された瞬間をそう振り返る。「僕1人の命では、亡くなった2人の命を償えない。未来を取り戻すことはできない」と思うからだ。臓器移植のドナー登録に触れて「1人の命でも、複数の人の命をつなぐことができる」とも話し、「命をなくす死刑には反対」と続けた。
差し戻し審の法廷では、遺族の本村洋さん(35)と向かい合える自分を目指したい、と述べた。思いは変わらないといい、「等身大の僕を分かってほしい。それでも(本村さんが)極刑を望むなら、裁判所に言われるより受け入れられる」と話す。だが「どういうことが償いになるのか教えてほしい」「模索することも反省の一つ」とも言う。法廷で述べた「(被害者のために何をしたいか)見つかっていない」状態から抜け出せない迷いも伝わる。
本村さんに謝罪の手紙を送った時期もあったが、「手紙には、受け取り手がいますから」といい、送るのを控えている。本村さんはかつて記者会見で「手紙は開封していない」と明かした。今は母子の月命日、支援者の手を借り、事件現場に花を供えている。
約15分間、表情は落ち着き、時折笑顔も見せながら早口が続いた。拘置所の単独室では本を多く読み、筋力づくりにも励んでいるという。東日本大震災は拘置所のラジオ放送で知った。支援者と相談し、福島の子どもたちに放射線測定器を贈るための募金に協力した。関係者によると、家族の面会は、長い間途絶えている。【大沢瑞季】
毎日新聞 2012年2月19日 11時15分(最終更新 2月19日 12時28分)