Jackson History - 歴史 -

カリフォルニア州グレンドラにあった“Charvel’s Guitar Repair”は、ギターカスタマイズを中心に手掛ける、ウェイン・シャーベルによる小さなリペア工房であった。
グローバーは、1978年12月にこの小さな工房を買い取り、そのオーナーとして成功すべくまさに駆け出し始めたのである。1979年のアトランタSummer NAMMショウにおいて、彼らのギターは記念すべきデビューを果たし、メジャーレーベルもが契約せんとするラウドでヘヴィなサンセット通りのバンド連中の間で、瞬く間に最新気鋭のギターとして取り沙汰されるようになる。

1980年後半・・・グローバーのもとに、驚異的に優れた才能も持つある若いギタープレイヤーからコンタクトがあった・・・彼の名はランディ・ローズ。
Quiet Riotを経て、ブラックサバスに在籍したオジーオズボーンのニューバンドに参加したランディは、グローバーに会って独創的な新しいギターをデザインする事を望んだ。

グローバーとランディの会合は、その年のクリスマス前に実現し、すぐさま彼ら二人はそのギターデザインをペーパーナプキンにスケッチし始めたのである。
彼らの発案によって生まれたこのギターは、かくも近未来的で鋭利に象られたシェイプゆえコンコルドとあだ名され、非対称な白いVシェイプの流線ボディを纏うスルーネック構造を持ったものであった。

これが、グローバージャクソンがヘッドストックにその名を冠した最初のギターである。

このコンコルドが、正真正銘のグローバーの名を冠するギターの第一号であり、このギターをプレイするランディの雄姿は世に多く存在するが、ランディ自身によって提案された多くの改良点を反映したセカンドバージョンが、次なる彼のメインギターへとなっていくのである。しかし、1982年3月、あまりにも突発で悲劇的な事故によるランディの他界により・・・セカンドバージョンをプレイする彼の姿は多くないものとなってしまった。とはいえ、このセカンドバージョンが、ファーストバージョンと並び、全世界を席巻する現代ランディモデルの実質的な礎となった事は紛れもない事実であり、いまや伝説的モデルとも成り得ている。

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Charvel Factory