明治の文豪・夏目漱石からパソコンで執筆する平成の作家・角田光代まで、27人の作家の自筆原稿と愛用の万年筆を展示した「作家と万年筆展」が、神奈川県立神奈川近代文学館(横浜市中区)で2月26日(日)まで開催されている。原稿用紙と万年筆は、ワープロやパソコンがなかった時代の、作家唯一の「商売道具」。肉筆の味わいや万年筆へのこだわりから、作家の素顔が読み取れる。
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展示の様子
高級万年筆をばんそうこうで固定した井上靖
夏目漱石が愛用したのはイギリスのデ・ラ・ルー社製「オノト」。1907年に丸善が輸入を始め、漱石は1912年に内田魯庵から贈られたものを愛用した。
吉川英治の愛用は「ペリカン500NN」。『私本太平記』と『新・水滸伝』の執筆に用いられた。
大佛次郎愛用は「モンブラン・マイスターシュテュック74」。朝日新聞に連載した『天皇の世紀』の1~600回にこのペンを使ったことを、付属の箱に記している。
現行製品で9万円ほどする「モンブラン・マイスターシュテュック」シリーズは、立原正秋、早乙女貢、開高健、伊集院静など多くの作家に愛されてきたが、井上靖のものはおもしろい。自分好みに調整するためか、インク窓にばんそうこうを巻き付けて固定している。そのためキャップは閉まらず、インクが乾く間がないほど使い続けていたことがうかがえる。
黒岩重吾は2本の「モンブラン・マイスターシュテュック149」を使い分け、1本には新潮文庫のキャラクターシールを貼っているのがおちゃめだ。井上も黒岩も、高級品を惜しげもなく使い倒しているのがすがすがしい。
北方謙三の「モンブラン・マスターピース149」は、柴田錬三郎が『眠狂四郎』の執筆に使用し愛用していたもの。北方が譲り受け、「狂四郎」と名付けたその万年筆でタイトルを書きつけた『破軍の星』は、1991年の第4回柴田錬三郎賞を受賞した。万年筆の「縁」から賞が生まれた記憶に残る1本となった。
中野考次の「モンブラン・ライターズエディション オスカー・ワイルド」は、中野の碁敵である作家・近藤啓太郎との対局で得た「戦利金」で買ったもの。自らの作品でそれを公表しており、『清貧の思想』とは違った一面を見せる。作家がのきなみ、モンブランを愛してきたことがよくわかる。
原稿用紙にも時代が
原稿用紙にも時代や作家の個性が表れる。昭和40~50年代には、編集者が作家から原稿を受け取り、そこに直接レイアウトやルビ指定を書き込み印刷所に入稿していた。何度も推敲してぐちゃぐちゃに直しを挿入する作家もいれば、完全原稿で渡す作家もいる。作家の名前を印刷したオリジナルの原稿用紙も増え、世界を飛び回った開高健は、なぜか茅ケ崎の自宅の住所と電話番号を刷り込んでいた。一方で広津和郎はコクヨの市販品を愛用し、原稿用紙にこだわりはなかったようだ。出久根達郎の自筆原稿
書き文字の味わいも奥深い。向田邦子のエッセー「ライター泣かせ」の自筆原稿は、まるで「編集者泣かせ」。走るような文字は判別が難しい。それでも「私は万年筆を三本持っている。三本の中で一番書き馴れたのを本妻と呼び、次に書きやすいのを二号、三番手を三号と呼んでいた」と、万年筆へのこだわりを別の作品で書いている。
井上ひさしの『吉里吉里人』創作ノートは、作品設定の見取り図などが精密に描かれ、文芸作品の「原稿」とは一線を画している。
現代の作家でも手書きを公言する出久根達郎は、原稿を万年筆と毛筆で書き分け、毛筆の力強さには圧倒される。角田光代は普段はパソコンで執筆するが、この展示のために『対岸の彼女』の一部分を、オーダーメードの「万年筆博士謹呈手づくり万年筆」で手書きした。角田の自筆が見られる貴重な機会になるだろう。
そのほか、万年筆をモチーフとした小説を集めたコーナーや、作家の万年筆への愛情あふれる言葉も展示されている。懐かしの万年筆が多く並び、文学ファンだけでなく万年筆マニアの来場も多い。2月19日(日)には、出久根達郎による記念講演会「『文字を書く』ということ」が開催される(料金・1000円)。
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「作家と万年筆展」 月曜休館。観覧料は一般400円、65歳以上と20歳未満、学生が200円、高校生100円。中学生以下無料
詳細は、神奈川県立神奈川近代文学館のホームページで