【ドレスデン(ドイツ東部)で篠田航一】第二次大戦末期、約10万人が犠牲になった東京大空襲などの戦災体験者らが13日、ドイツの空襲被災都市ドレスデンを訪問し、現地の体験者と交流した。1945年2月13日は約2万5000人が死亡したドレスデン大空襲があった日で、被災から67年目のこの日、日独の戦災体験者が追悼行事に参加し、共に祈りをささげた。
訪独した戦災体験者は、45年3月10日の東京大空襲を体験した二瓶治代さん(75)=国立市=と同年7月の鹿児島県の空襲で左足を失った安野輝子さん(72)=堺市=で、東京や大阪の研究者ら計約20人も参加した。
二瓶さんはドレスデン市内の教会で約100人の聴衆を前に「当時私は8歳で、家族5人で逃げた。私だけ爆風に吹き飛ばされ意識を失ったが、気付いた時、体の上に炭のように黒くなった死体がいくつも折り重なっていた。小さな子どもが何人も、親に寄り添うように死んでいた姿も覚えている。前日に『明日また遊ぼうね』と言って別れた友達も命を失った」と当時の惨状を説明。「戦争は、どの国がどんな理由でやっても絶対にいけない」と訴えると、大きくうなずく聴衆の姿も見られた。
ドレスデン空襲を経験したノラ・ラングさん(80)は「自分のことのように聴き入った。同じ思いをした人間として、共に平和を訴えていきたい」と話した。
訪問団はその後、爆撃被害が激しかった旧市街地周辺で、ドレスデン市民ら約1万人が手をつないで平和を訴える「人間の鎖」にも参加した。一行は18日まで滞在し、ハンブルクなど別の被災都市も訪れる。
ドレスデン空襲は、ナチス・ドイツの降伏約3カ月前のほぼ戦況が決していた時期に行われたため、欧州では無意味な市民殺りくの代表例として知られ、「ドイツのヒロシマ」とも形容される。「エルベ川の真珠」と呼ばれた古都は約8割が焼失したが、市のシンボル聖母教会は05年に再建された。教会の屋根にある黄金の十字架は、爆撃をした英空軍パイロットの息子らが奉納したもので、「和解」の象徴となっている。
〔都内版〕
毎日新聞 2012年2月15日 地方版