首都ワシントンの郊外にある大規模な公立中学校。
9つの小学校から集まってくる1,300人の生徒たちは、人種も様々でアメリカらしさを漂わせている。
一方、貧困率の高い市の中心部では長年、公立学校の学力レベルの低さが問題視されていた。
そのワシントンで5年前、急進的な「教育改革」が行われた。
<ワシントン市 フェンティ市長・2007年当時>
「(訳)ミシェル・リーを教育長に任命します!」
ワシントン市教育長に就任したミシェル・リー。
ドキュメンタリー映画にも登場し、メディアでも大きく扱われた人物だ。
<ミシェル・リー教育長>
「(訳)多くの生徒がくらだらない教育を受けている。なんとかしなくちゃ」
リーは自ら学校現場に何度も足を運び、改革に取り組んだ。
<ミシェル・リー教育長>
「(訳)あなたの先生はどう?」
<生徒>
「(訳)大丈夫だよ」
「学力の向上は教員の質で決まる」と訴え続けたリーは、評価の低い校長や成果を出さない教員をキャリアに関わらず、次々とクビにした。
就任から1年余り、リーは、公教育の場からムダなものを掃き出す改革者として称賛を浴びる。
ワシントン中心部にある公立中学校。
1年生の数学の授業は、特に力が入る。
<数学の先生>
「(訳)ワシントン市の1人当たりの平均年収は55,000ドル(約420万円)ですよ」
生徒の興味をひきつつ、頻繁にミニテストを取り入れている
というのも2年に進級すると、すぐに全米学力テストが行われるからだ。
校長は、全米学力テストの合格率を上げるというリーの目標に従い、パート教員を含む全ての教員に「テストで結果を出せ」と求め続けた。
授業を70分間にし、クラスの移動も集団で行うといった徹底ぶりだ。
廊下や壁には、テストの成績や答案用紙が張り出されている。
数学と国語のテストの平均値は、わずか1年で3割も上がったという。
<スレード校長>
「(訳)リー教育長は、生徒の学力低下に一切の言い訳を許さなかった。努力しない先生もいたんです。私は罰だとは思いません。先生には責任がある」
リーを取材した、教育専門のジャーナリストもこう語る。
<ジャーナリスト ジョン・メローさん>
「(訳)リーは自分の言うとおりにすれば、(教育は)変わると考えた」
「(訳)彼女は言ったんだ『テストの点が上がれば(教師に)お金をだす、下がれば職を失う可能性もある』それは大きなプレッシャーになったね」
そして・・・
リーは成績が改善されないとみなした23の学校を閉校にし、250人以上の教員を解雇した。
「ダメな教員と学校を公教育の現場から追い出す」というシンプルな手法は、当初、市民にも歓迎されたという。
だが・・
<元教師・女性>
「(訳)最大の犠牲者は子どもたちよ」
<教育学者・女性>
「(訳)これは『改革』ではなく、『破壊』していることよ。21世紀の教育とは思えない」
貧困率の高いワシントンで「教育改革」のリーダーとなり、公立学校の校長と教員に結果を要求し続けたミシェル・リー教育長。
<ミシェル・リー教育長>
「(訳)多くの生徒はくだらない教育を受けている」
リーの「教育改革」が歓迎された背景には、10年前に導入されたある法律の存在がある。
その法律の名は、「NO CHILD LEFT BEHIND.(落ちこぼれゼロ法)」だ。
全米を震撼させたテロの年(2001年)に、「教育こそが将来の国の競争力を高める」とブッシュ政権が提案、翌年(2002年)、全米で小学4年生と中学2年生に数学と国語の一斉テストを義務付ける「落ちこぼれゼロ法」が誕生した。
テストの結果は州や市町村、学校ごとに公表され、学校のレベルは一目瞭然となった。
成績が上がらない学校には教員を入れ替えたり、廃校というペナルティーを課してもよいとされ、生徒はよりよい学校に転校できる権利があるとされた。
この法律による学力テストで、ワシントンの合格率は最低ラインだったのだ。
そこに目を付けたリーは、人々にこうアピールした。
「終身雇用で守られた公務員の教員は、努力を惜しんでいる」
「新しい評価制度を取り入れ、成果が上がらなければクビよ」
20年間、教員を務めたギルさんもクビにされた1人だ。
だが、解雇の理由を聞くと、評価が低かったからではなく財政上の人員削減だった。
「学力向上」を掲げていたリーの改革は、いつの間にか教員の人件費削減にすりかわっていた。
同じ学校で、15人がクビになったという。
学校は混乱した。
<失業中のギルさん>
「リーはワシントン市の子供たちにひどいことをした。公立学校を閉鎖して利益を追求し、民営化して組合をつぶそうとした」
ワシントン教職員組合の委員長は、「リーの改革は市長の意向を受けた公教育の縮小、再編だった」と振り返る。
<ワシントン教職員組合 ソンダース委員長>
「(訳)暴力をふるった教師がいたとしたら、しかるべき手続きを踏んでクビにすべきだ。だが、政府の財政不足を理由に266人もの教師を解雇するのは馬鹿げている」
労働組合は、学校の閉鎖や教員の解雇に真っ向から反対したが、ベテランの先生は若いパート教員にすげ替えられ、教員不足は深刻になっていった。
そして・・
<ミシェル・リー教育長の辞任会見・2010年10月)
「(訳)この職を失うのは胸が張り裂けそうです」
教育改革を主導していた市長が、予想に反し次の予備選挙で敗退、リーも教育長の座を追われた。
リーの功罪についていま、街で聞くと・・・
<白人の女性>
「(訳)彼女は学校の標準レベルを上げたと思うわ。彼女の求めるものが高かったので、多くの教師が解雇されたと思う」
<黒人の女性>
「(訳)息子の学校でも、教師がクビになったので、彼は先生なしで学校生活を過ごしたよ。代理の先生はいたけど、何も教えてくれなかった」
<黒人の女子高校生2人>
「(訳)私たちの先生だけど、リーのときに一度、解雇されたけど、今年復職したの」
「私が思うに、政府が生徒の未来に備えているとは思えない」
リーの改革を後押しした「落ちこぼれゼロ法」。
10年前、法律の導入にもかかわった教育学者はいま、この法律は失敗だったと断言する。
<ニューヨーク大学(教育学) ラビッチ教授>
「(訳)私は教育の歴史を専門にやってきたが、この10年を振り返ってみると、民営化が推進され、テストが重視され、教師への罰則に重きがおかれ、教育制度上、もっとも悪い時期だった。教育の質は上がるどころか、かなり下がったと思います」
<記者>
「これが大阪の教育基本条例案なんですけどぜひ、読んでいただいてご感想いただきたいのですが」
取材班は、「大阪維新の会」が制定を急ぐ「教育基本条例案」の全文を英訳したものを見てもらうことにした。
教授は条文の半分近くが、教員に対する懲戒や免職の規定で占められていることに驚き、こう切り出した。
<ニューヨーク大学(教育学) ラビッチ教授>
「とてもショックだわ。これは教師に対して、とても原理主義的で敵対的な態度をとっている。子どもたちを預ける専門職とは見なしていない。罰罰罰、すごくネガティブな姿勢なので、私が教師だったら別のところで教えるでしょう」
「維新の会」の条例案は、アメリカの「落ちこぼれゼロ法」と共通点が多いという。
<ニューヨーク大学(教育学) ラビッチ教授>
「この大阪の条例はアメリカのNCLB法の轍を踏むことになるでしょう。先生が処罰されたり、いい教師が現場を去るでしょう。私はアメリカの子供たちの教育をとても心配している。でも、あなた方は日本の子供たちのために心配しないといけないわ」
多くの教育者や生徒、親たちから「失敗だった」との声が上がるアメリカの「教育改革」。
大阪が進もうとしている道の先に、同じ落とし穴はないのか?
今後、十分な議論が必要だ。
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