昭和22年3月。東宝撮影所では、戦後の混乱と社会主義活動への傾注を受け、数度にわたる争議を経た末、東宝の経営者側にも労働組合のどちらにもつかないと表明した有志らの手で、新たに新東宝映画製作所(昭和23年4月に株式会社新東宝に改称)が発足された。同製作所は東宝第二撮影所を母体に、独自に映画製作を行うこととなった。
 同社には、東宝に所属していた監督、俳優、映画スタッフらが大量に移籍を果たしたが、特撮技術者も“特撮の神様”と称された円谷英二門下のスタッフであった上村貞夫、金田啓治、天羽四郎、納次郎らの精鋭が古巣の東宝を離れ、新東宝特殊技術部を立ち上げるに至った。
 こうして誕生した新東宝の特撮陣は、主に一般作品を中心に質の高い合成技術を提供していたが、合わせて様々なジャンルの作品に特撮技術の腕を振るうこととなったのである。以下に代表的な特撮作品を列記してみよう。
 吉田満の「戦艦大和の最期」を原作とした『戦艦大和』(53年)は、戦艦大和の最後の出撃となった天一号作戦を描いた新東宝初の戦記大作である。劇中に登場する戦艦大和のミニチュアは44分の1と70分の1の2種類のスケールが用意され、米軍機によって最期の時を迎える、悲壮感に溢れた大和の姿をスクリーン上に展開させている。
 新東宝創立以来、超特大のヒット作となり、“大シネスコ”と称された『明治天皇と日露大戦争』(57年)は、日本の本格的な特撮映画としては、初のシネマスコープの作品である。実在の明治天皇を名優・嵐寛寿郎に演じさせたインパクトは絶大で、クライマックスの日本海海戦を中心とした、主な日露の海戦シーンがスペクタクル満点に描写され、シネスコ画面にマッチした古色蒼然たる戦争絵巻が見事に表出されている。本作が超特大ヒットを記録した後は、『天皇・皇后と日清戦争』(58年)や『明治大帝と乃木将軍』(59年)等の、明治天皇を主人公とした戦記作品が連作されている。
 『エノケンのとび助冒険旅行』(49年)は、人気俳優・エノケン(榎本健一)を主役に起用した古典ファンタジー作で、エノケンらの冒険旅行の渦中で、土蜘蛛や人喰い鬼等の怪物や妖怪が登場する、特撮の魅力が全編に溢れた快作として仕上げられた。
 その他、日本初のSFヒーローもの『スーパージャイアンツ』9部作(57年〜59年)をはじめとして、新解釈の時代劇『怨霊佐倉大騒動』(56年)、怪談映画『東海道四谷怪談』(59年)、怪異作『地獄』(60年)等、多彩なジャンルに特撮が駆使されている。
 また、新東宝が配給を担当した国光映画製作、関沢新一監督の侵略SF映画『空飛ぶ円盤 恐怖の襲撃』(56年)は、新東宝特殊技術部が特撮パートを担当。しかし同作は現在、ネガも含めてフィルムが現存せず、ファンの間でも幻の作品とされている。
 なお、新東宝特殊技術部は、前記の様に合成技術のレベルの高さに定評があり、上村貞夫や天羽四郎らは、山本嘉次郎監督の港町ロマン作『春の戯れ』(49年)や、市川崑監督の戦場ドラマ『ブンガワンソロ』(51年)の両作品で、二度にわたって日本映画技術賞(前者は劇映画合成撮影賞、後者は特殊合成撮影賞)受賞の栄誉を受けている。
 昭和22年に誕生した新東宝は、昭和30年から社長に就任した大蔵貢のワンマン経営が功を奏さず、その後わずか14年で倒産の憂き目に遭うこととなる。しかし、同社が世に送り出した数々の特撮作品には、戦後の特撮映画界を常にリードする東宝のレベルに挑戦し続けた、逞しき映画人魂が込められているのである。
中村 哲(ナカムラサトシ)
1963年、東京都生まれの特撮ライター。今回の原稿執筆をしていて、自分が初めて購入したレーザーディスクのソフトが、『明治天皇と日露大戦争』のスタンダードサイズのソフトであった事を、ふと思い出しました。