宇津井健の「スーパージャイアンツ」はここ四半世紀、お笑いのタネになってきた。それは独特の白いコスチュームと股間のモッコシが滑稽ということなんだろうけど、肝心の本編を見た人はあまりいないんじゃないだろうか?
実際に「スーパージャイアンツ」を見た方ならお分かりいただけると思うが、子供向けにもかかわらず、なんだが不吉なトーンに満ちた「不気味な映画」という印象が強い。
核戦争の恐怖を背景にした「スパイ活劇」風という舞台設定。生理的に不快な「奇形の軽業師」みたいな怪物造形。江戸川乱歩の曲馬団というか、ビートニク系の前衛舞踏というか、なんだかわからない劇団を経営している宇宙人。いかにも石井輝男的世界であるが、不気味さの一番の理由は、「主役にもかかわらずスーパージャイアンツの人格や心理描写が一切ない」ということではないか?
暗闇でボンヤリ光っている50年代スペーシー感覚あふれる衣裳(よくみるとヒレや触覚がついている)も不気味だけど、宇津井健という俳優が持っているある種の「得体の知れなさ」が、ロボット工学でいうところの「不気味の谷」に近づいているのではないだろうか?
「不気味の谷」は「人間に極めて近いロボット」と「人間と全く同じロボットの」間に横たわる違和感・嫌悪感である。人間にそっくりなんだけど人間ではない。それが視聴者の感情移入をはばんでしまう。石井輝男監督は確実にそのセンを狙っていると思う。
殺陣の振り付けも「投げ」とか「腰払い」とか、すり足の柔道ベースですごく地味。宇津井健の地味で寡黙なキャラクターによく似合っている。(トランポリンやワイヤーアクションといった派手なアクションを見慣れた目には新鮮に感じる。)そもそもスーパージャイアンツは「宇宙人会議」で核実験をやめさせる為に地球に派遣されてきたエージェントであり、人類そのものへの愛情は案外薄いのだ。
宇津井健は同じく石井輝男監督「女王蜂の怒り」という作品で、「ハリケーンの政」という派手な役柄も演じている。だけど、いくらレザージャケットに派手なスカーフといういでたちでも、粋なセリフで賭場に表れても、全然不良に見えない。スーパージャイアンツと同じく、「ああ、この人は何かのお仕事でここにいらっしゃるのね」という謹厳実直な感じが漂う。やっぱり何を考えているのかよくわからないのである。
宇津井健がブレイクしたのは何と言っても「ザ・ガードマン」である。60年代末のスパイ活劇全盛の時代、同じような設定の「キイハンター」が東映らしくヤクザありウエスタンありお色気ありの派手なアクションだったのに比べ、宇津井健の「ザ・ガードマン」は「昼は人々の生活を守り、夜は人々の眠りを安らぐ」「自由と責任の名において、日々活躍する名もなき男」であり続けた。そのキャラクターは「新幹線大爆破」の運転司令室長にも受け継がれている。仕事においては私生活の片鱗も見せない超プロフェッショナル。
何かのインタビューで宇津井健自身が語っていた「役者人生はマラソン」という言葉が象徴するように、彼が演じるキャラクターは実直でひたむきで仕事人間。スーパージャイアンツもまた宇宙の天体のように、着々と仕事を進めていくのだ。最後まで正体不明のままで。