『スーパージャイアンツ』(『鋼鉄の巨人』が主題のようだが、こちらの副題のほうがポピュラー)のシリーズは1957年から59年にかけて9本作られた。僕は昔の新聞縮刷版を読むのを趣味にしているが、この時期の縮刷版をめくっているとしばしば映画広告が目にとまる。僕よりちょっと上の世代は、町角の映画看板の印象も強く残っているに違いない。
 もっとも6作目までは前・後編の仕立てで、新東宝の奇才・石井輝男が監督を務めている。TVの“国産超人モノ”の源は58年の『月光仮面』といわれているが、映画も含めればこちらのほうが早い(戦前に『怪傑ハヤブサ』なんて怪作もあったようだが)。当時この種の超人活劇が作られたのは、56年に日本でもTV放送が始まった『スーパーマン』の影響だろう。
 オンタイムでは観た記憶のない僕が、初めて『スーパージャイアンツ』を鑑賞したのは80年代の中頃。当時東宝ビデオがいち早くこのシリーズをビデオ化した。手元に1、2作目があるが、なんと価格は1万9800円! かなり奮発して買ったのだろう。ちなみにこのビデオ、『続 鋼鉄の巨人』(初作の後編)が入った2本目に『怪星人の魔城』『地球滅亡寸前』とミスプリされている。
 原水爆実験の映像から始まる初作は、宇宙かなたのエメラルド彗星から、地球人の核開発をやめさせようという名目でスーパージャイアンツがやってくる。タイトルの冒頭、白タイツ姿に身を包んで、照れ臭そうに、うつむきがちに佇む宇津井健のショットが印象的だ。この時代のヒーローものは『月光仮面』の大瀬康一、『遊星王子』の梅宮辰夫、『アラーの使者』の千葉真一……その後アクション畑で活躍する若手俳優が務めている。
 月光仮面のように正体を明かさない超人もいるけれど、スーパージャイアンツはその辺あけすけなのだ。初作で事件に巻き込まれる少年たちの前で、宇津井はあっさり「私はスーパージャイアンツ」と名乗り、その場で変身して空へ飛んでいく。尋問する刑事にはまだ相手にされていないけれど、2話目(怪星人の魔城)以降は国会議員も彼の存在を知りつくしている。
 ウラニウム爆弾の開発で世界征服を企む外国人組織と対決する1、2作目も面白いけれど、個人的には3、4作目の『怪星人の魔城』『地球滅亡寸前』が好みの作品。奇病や円盤騒ぎのエピソードに始まって、新東宝お得意の怪奇映画風味の仕立てになっている。グロテスクな怪星人のメイクもよくできているし、ニセの看護婦がロウソクを手に暗い廊下を歩くシーンなどは大人が見てもゾッとする。怪星人たちに奇妙なダンスを踊らせる演出も石井輝男らしい。
 そのダンスショーの会場は南新宿の山野ホールが使われている。山野愛子の美容学院が建てた当時話題の文化ホールだった。そして、日本の科学者の研究所に設定された球型のガスタンクは、砧の新東宝撮影所の位置から察して世田谷粕谷のものと思われる。周囲に畑が目につくけれど、これも建設されてまもない頃だった。怪星人の仕業で、バスや逆走する銀座通りのショットも面白い。
 なぁんて感じで、ついつい映像に写りこんだ街頭風景に目がいってしまう僕が、初作で興味深く眺めたのは悪党に車でさらわれた少年(たぶんその後の成瀬巳喜男映画で活躍する大澤健三郎だろう)が逃げ回る場面。ここは貨物線と工場街が広がっていた頃の大崎に違いない(こういうロケ地の話はイッツコム・ガイド誌の連載エッセーにも書いたので、入会者は参照してください)。
 花をそえる女優陣は、初作で清楚なシスターを演じる池内淳子、『人工衛星と人類の破滅』(と続編)では新東宝セクシー系の常連だった三ツ矢歌子のセーラー服姿も愉しめる。
泉麻人(いずみ・あさと)
56年東京都生まれ。コラムニスト。昭和文化、街、電車やバスなどに詳しく、著書多数。進行役を務めた『テレビ探偵団』でも『スーパージャイアンツ』は紹介されたが、泉氏はあまり記憶にないとのこと……。