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2012年1月29日 (日)

キティとA子、そして私の元妻、三人は「自己愛的人格障害」である

キティと岐阜のA子の人格が双子のように酷似していることは、二人を知っているほとんど者すべての共通認識であるといえる。岐阜女子はキティの縮小コピ-版であり、頭の悪いキティ―、または自己演出の下手なキティ―である。

その共通性は、ひとことでいえば、人格の欠点そのものではなく、自己の人格に厳然とある欠点を直視せず、欠点そのものを認めることを絶対的に拒否するという点にある。そのため、批判その他のかたちで加えられる自己愛の損傷に対して過剰な拒否反応を示す。立派な体面や完璧な自己像に強い関心を抱く(これはキティにおいてとくに顕著である。岐阜女子は自己を演出する「才能」はなく、ひたすら事実を隠蔽することに執着するのみである)。二人の決定的な邪悪性は悪いおこないをすることではなく、悪いおこないによる罪悪感に耐えられないことである。あるいは罪悪感や劣等感に耐えることを絶対的に拒否することである。したがって、自己愛を傷つける相手は無条件に「敵」であり、相手に深い憎しみの感情を抱くようになり、執念深い報復行動に走るのである。

実はこの二人に共通する「自己愛的(ナルシズム的)人格障害」は、離婚した私の元妻とも共通しているのである。ただ、私の元妻の場合はもっと複雑で、職場では優秀なキャリアウーマンであり、家庭でも人格障害とは気づかせなかった。知能もこの二人よりもはるかに高く、検察官も裁判官も騙しとおしたのである。私に対して一方的に離婚を宣言したのち、自分が離婚原因つくったこと、離婚の責任が全面的に自分にあることを直視することを絶対的に拒否するために、警察にウソの被害届を出し、私を逮捕させたのである。岐阜の最低女の言うように、ストーカーを続けていたわけではない。このバカは、私の本すら読まないで勝手にデタラメを吹聴する究極の怠け者である。その場限りの自己の利益のために子どもじみた思いつきを何の吟味もせずに口走る究極のご都合主義者である。こんなクズを支援する人間などいるはずもないし、もしいたら、究極のピエロである。

私は「岐阜女子」という言い方をしているが、彼女は自分が訴えている医師と病院名をジャーナリストのブログで実名公開してしまっているにもかかわらず、自分が匿名で情報発信することは著しく不当で不公平である。一方の当事者のみを実名報道するジャーナリストも含めて最低の卑怯者である。なぜなら、当該医師と医院は民事裁判の被告となったにすぎず、しかも裁判では完勝しているからだ。別訴も起こしたようだが、裁判で負けた原告が「不正裁判」とブログ等で裁判官批判を繰り返している以上、敗訴は既定の事実である。その理由は、これで万一原告を勝訴させたら、裁判官が他の裁判官の判決を「不正」と認めたことになるからだ。裁判の当事者が判決の批判などしたら、逆効果でしかないことにこの人格障害者は気づかない。自己愛のみが肥大しているがゆえに、自分の主張だけは他人が受け入れる義務がある、と根拠なく信じているらしい。裁判官の身分保障はあらゆる公務員のなかでもっとも手厚く、行政機関による懲戒処分は憲法上いっさい禁じられている。原告がいくら吠えようが喚こうが、原告敗訴の判決は微動だにしない。こんなクソ裁判を続ける人間の精神は完全に壊れている。「自分は裁判官より正しい。ゆえに敗訴したのは裁判が不正だからだ」。そのように疑いもしない。裁判に勝つために裁判官の心証を少しでもよくしようという、子どもにもわかる道理がこの自己中心者には思いもよらないらしい。この傲慢で尊大な自意識こそ、自己愛的人格障害の中核的特質である。

この二人は刑務所には入らないかもしれないが、本当に邪悪な人間は刑務所などには入らないものである。幸いにもこの二人は結婚できないため、犠牲になる夫もなく、友人もいないため、ネット社会以外での犠牲者は出そうにない。

私の元妻は、その人格障害ゆえに私を塀の中に送り込んだ。拙著でもその分析は不十分であったと思う。キティとA子、双子のように酷似した人格をもつ二人の人格障害者の言動が、私の過去に対する示唆を与えてくれた。二人が隠蔽している事実も含めて、もう少し考察を続けたいと思う。

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コメント

須坂さんの著書は読んでませんので詳細は存じ上げませゆが、ここでキティとA子さん、元妻を並列に並べて論じるのはたぶん逆効果だと思います

元妻がどんな方なのか存じませんが、須坂さんの言葉を用いさせて頂けば、須坂さんは裁判で負けた側になりますから、負けた側が何を言ってもということになってしまうのではないでしょうか?

元妻が正しかったとは言いませんが、須坂さんがここで反論されるのは、逆効果ではないかと思います

須坂さんがいくらストーカーじゃないと言ったところで、須坂=ストーカーという言葉が一人歩きしてしまうのではないでしょうか?

A子さんのつけたハンドルネームですけど、悪質ですね

A子さんはその程度のレベルの低い女ってことです

須坂さんも手を切られたらよいのではないかと思うのですが

サンラーワールドの件では敗訴した増田氏の訴訟は退けられましたが、T医院が上訴し、津田哲也氏、A子さんに対する訴えを起こした場合、裁判所はどのような判断をするか、楽しみに待ちたいと思います

私は、「ストーカー」では起訴すらされていませんし、そのような事実もありません。
言葉だけがひとり歩きするのはまずいので、はっきりと違うということを強調しておきます。
ブログのトップページの拙著の目次だけでも目を通していただければ、ストーカーの「ス」の字も出てこないことがわかるはずです。私が「ストーカー規制法」により警告を受けたのは、キティや岐阜女子が真実を知られそうになると相手を「ストーカー」呼ばわりするのと同じ心理から生じた「被害者」の恐怖感が原因です。あくまでも真実の隠蔽が原因であって、犯罪の摘発を目的とした被害届ではありません。

「でたらめな供述調書」および「恥ずかしながら、事件の真相」
「清本美鈴(元妻の仮名)氏に学ぶ国家権力の利用法」
の各節を読んでいただければ、わかると思います。

この裁判が国選弁護人のきわめて初歩的で悪質な弁護過誤であることは、控訴審を担当してくれた東京の弁護士が教えてくれたことで納得できました。今となっては取り返しがつきませんが、クソ女の口封じだけはしておきたいと思います。

一般論になってしまいますが、須坂さんおよびその他の事件(刑事・民事)の裁判による法律上の事実認定と本当の真実が必ずしも一緒とは限らないのではないでしょうか。

ですので、須坂さんが「ストーカーと呼ばれる理由がない」と仰っていることは、須坂さんの仰る通りでしょう。

また、実際に事件として立件された事実(法律上の事実認定)が、必ずしも須坂さんを含めた各当事者が知っている実際に行われた真実かどうかは、現場を見ていた人しか知りえないことです。

私は、法律上の事実(事実認定)と真実が必ずしも一緒でないと考えています。

理由は、そのようなことが認められなければ、現在における既に冤罪などの再審請求による損害賠償さえ、本来の制度として残らないことになり、矛盾すると思うからです。

え〜と、キティやA子さんのことと元妻のことを並列に語らないほうがよいかなぁと思ったのです

両者ともネットで反論をするとすぐストーカー扱いする異常者だと思います

でも、そこに元妻を並列で並べてしまうと、論点がズレてしまうのではないかと思ったのです

余計なことを言ってしまったかも知れません

すみませんでした m(_ _)m

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