kuriki topics
2011. 9. 16.
高所順応ステージが開始された昨日、悲しい事故が発生しました。今日はキャンプ2まで登る予定でしたが、今、僕はベースキャンプにいます。
撮影サポートのためにベースキャンプに来ていた山岳カメラマンの木野広明さん(48)が昨日、ベースキャンプ周辺の氷河で亡くなりました。
今朝、ヘリコプターで木野さんのご遺体をカトマンズに搬送。門谷隊員も一緒に同乗し、事故の対応をしています。 木野さんは、急遽栗城隊の撮影サポートをするために参加された山岳カメラマンです。経歴は、早稲田山岳部出身で2000年チョンムスターグ(6962m)を登頂。ガッシャーブルムI峰は7300m地点まで撮影。他にもキリマンジャロなど、山岳カメラマンとしては経験豊富でした。 僕が初めて木野さんにお会いしたのは、羽田空港出発の際にご挨拶させて頂いた時です。 木野さんとはベースキャンプで一緒に生活してわずか数日でしたが、口数は少なくても、山の撮影はプロという印象でした。 9月15日朝7時、僕は標高6000mのキャンプ1に向かいました。ローツェ•フェイスを登る栗城を撮影するために、カメラマンの石井さんと門谷さんがベースキャンプを30分後に出発。 木野さんは朝5時半に自分のテント前にいて、特に変わった様子はありませんでした。また、事故発生前日の夕食も普通にすませ、特に変わった様子や高山病の症状は全く見られませんでした。 朝9時30分、SPCCからベースキャンプに「倒れている人がいる」と連絡があり、9時45分に栗城隊のサーダーと魚住さんが現場に到着。遅れて、チェトさんと廣瀬さんが到着。木野さんの状態は、仰向けで口を開き、両手をぐっと握りしめ倒れていました。 手首と首で脈を計ると、脈はなく呼吸もありませんでした。すぐに気道を確保し、人工呼吸を行い、声を掛け続けました。みんなの着ていた服を木野さんにかけて暖めながら、人口呼吸を行いました。無線で、石井さん門谷さんと、中腹部まで登っていた栗城に連絡が入り、それぞれ現場に急行。しかし、木野さんの意識は回復しませんでした。 ベースキャンプまで木野さんを担架で運び、すでに3時間以上脈がないのは絶望的と医者からの助言もあり、残念ながら人口呼吸を中止しました。 ベースキャンプでは、絶望的な空気の中でヘリコプターを待ちましたが、天候が悪化してしまい、救援のヘリコプターは来られませんでした。 最後に木野さんと会話をしたのは、石井さんと門谷さんでした。 氷河に取り付こうする石井さんと門谷さんに、木野さんはプラブーツを氷河に蹴り込み「さすが、ヒマラヤ。どこよりも固いな。」と言っていたそうです。 通常、ベースキャンプを離れる時は、一人ではなくポーターか誰かが付く事になっています。また、無線も持って行かなければいけません。 木野さんは、一人でベースキャンプを出発。ベースキャンプのチェトさん(ベースを仕切るシェルパ)が「一人では行かない方がいいと思いますよ」と伝えましたが、「ちょっといい所があったら撮影したい」と言って出掛けたそうです。 距離的にもベースキャンプから歩いて15〜20分程度の所でクレバスなど危険な所は無く、また熟練したヒマラヤ登山の経験者なので、ベースの隊員もそれ以上止めることはありませんでした。 木野さんのご遺体をテントに入れて、僕は木野さんに数時間付き添いました。 ヒマラヤとたばこが好きで、昔ながらの「山男」でした。 わずか数日のベースキャンプ生活でしたが、一緒にご飯を食べ、これから始まるところだった冒険の撮影をしてもらえないのが本当に残念です。 事故の対応とショックを隠せない隊員がある程度落ち着いた段階で、今後の事を相談して決めていきたいと思います。 木野さんならどう思うか?それを考えながら決めたいと思います。 木野さんのご冥福を、心からお祈り申し上げます。 栗城史多