これまでの日本の紙のリサイクルの歴史を振り返ると、前回までで判ったように、専門的な知識を持った人のなかでは、紙のリサイクルを「環境」ということで考えた人はいないと思われる。
それを簡単にまとめてみる。
紙は森林から取れる理想的な「自然のエネルギーの利用」であるし、日本は先進国で森林面積比率はトップ3に入る。だから、まずは日本の森林を使って紙を作っていた45年前までは環境という点では、日本人は自然を利用しながら生きるという、いわば環境の王道を歩んでいた。
もちろん、「紙を使うから森林が破壊される」ということはない。紙の原料となる樹木は毎日、成長する。成長した分の一部をいただくのなら、むしろ森林は活きてくる。その意味で石油が「遺産」なら、森林は「月給」なのだ。
山の木を薪として使うのは環境としてはまずまずだから、「森林の樹木を紙として利用し、使い終わったらストーブにくべましょう」というのは実に素晴らしく感じられる。特に、紙は「端材や間伐材」を有効に使えるので、森林から角材をとり、残りを紙にすることもできる。
その意味で「新しい紙(リサイクル紙ではない)」というのは「環境によいベスト商品」である。だから、日本の森林から紙を作っていた時代から考えると、日本の森林をまったく利用せずに荒れ放題にすることを、「環境によい」と言うのは少し考えた方が良いだろう。
まして、植林したスギが利用もされず、ただ花粉を出すのでそれに苦しむ日本人姿は、森林を忘れた罰のようにも感じられる。
だから、「紙をむやみにリサイクルするのが環境に良い」という論理を作り出すのもかなり難しい。
そこで、新しい概念を考えるための出発点を「国内の森林でまかなって、品質の良い状態で捨てられる紙だけをリサイクルする」としてみたらどうだろうか。そして、紙の需要が増えてきたら、赤信号を出して、「紙の消費量を下げる」という試みをする。
つまり、「自分が利用できる自然を知る」ということからはじめるという考えもある。そうすると日本の森林から取れる紙に、適正なリサイクルを加えて、おそらく1000万トンぐらいで第一の赤信号がつくはずである。
次に紙の消費量が抑えられない場合だが、それでも国内の森林をできるだけ使い、足りずを輸入する。そしてできるだけリサイクルは控える。「環境を守る」という意味で、この考え方が正しいかは少し慎重に考えなければならないが、地産地消、自然との共存を第一にするなら、こうなる。
リサイクルは基本的には資源の浪費になる。紙の場合はプラスチックより良いが、それでも回収、運搬、脱僕、補強などで、新しい紙の2倍は石油を使うだろう。それに回収した紙を全部使えるわけではない。歩留まりというのが存在する。
私は一度、生産現場を経験しているので、「原単位」の恐ろしさをよく知っている。100キログラムの紙を回収しても、製造するときの歩留まりは80%程度ぐらいだから、2割はそこでまた捨てなければならない。
これがどうして「恐ろしいか」というと、せっかく、分別回収し、運搬し、いろいろやって最後の段階でもう一度、廃棄しなければならない羽目になるからだ。たとえば、それまでにキログラム10円かかったとすると、そのうち8割しか利用できないので、まず10を0.8で割るからそこで12.5円になる。それに2割を捨てるので、その費用がそのままかかってくる。
時々、税金や視聴料で暮らしている人は忘れるらしいが、リサイクルの為に使う土地も建物も、運搬するクルマも道路も信号機も、機械もリサイクルにはどうしても必要で、一つ一つ石油を使って作る。決して、「無から有を生む」こともないし、また寿命が来たら更新しなければならない。
石油はほとんどが中東からの借り物だ。現在のように「アメリカ、カナダからパルプを買って紙を作り」、「アラブから石油をかってリサイクルする」ということになると、紙をリサイクルするというのが果たして環境に与える影響はどういうものかと思う。
「100%リサイクル」というのは、自然に生えてくる樹木を使ってはいけないという思想だ。
このことを話していたら、ある市長さんが「それは捕鯨問題と同じですよ」と言われた。日本が主張している捕鯨は「新しく誕生した分だけ捕鯨する」ということで、それは正当な自然の利用である。これに対して欧米の捕鯨反対は、何が何でもダメというものだ。それなら牛肉はどうかということになる。
日本の紙のリサイクル運動は、捕鯨禁止運動と似ている。自然を壊さない範囲で利用するという知恵まで否定するなら、人間は死滅する。それが環境なのだろうか?
また、紙の原料を供給する国は先進国で、先進国の森林は増えている。アマゾンの森林は別の理由で消えていっているので、見当はずれの保護運動をすると本当に必要なものを失う。
さらに科学的なことも考えなければならない。紙はプラスチックや私たちの体と同じ、高分子材料でできている。だから、何回か使うと劣化して使えない。100%リサイクル紙などは何を考えているのか判らないが、人間が万能だと思い、自然を軽視しているのだろう。
(平成20年3月3日、修正)
武田邦彦
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