そんなこんなで、私は、この度の一件以来、浅田選手を見なおしている。
出版中止の意思を押し通すのは、容易なことではない。かなりとんでもない量の勇気と覚悟がないと、この決断を貫徹することはできない。
個人的な話をして恐縮だが、私は、依頼が来た仕事を、ほとんどまったく断ることができないライターだ。貧乏性ということもあるが、それだけではない。私がオファーを断らない一番の理由は、先方の顔をつぶす勇気が無いからだ。つまり、小心なのだ。
最近、さすがにあまりにも失礼なコメント取材のたぐいは断るようにしているが、それでもなお、引き合わない仕事をスケジュールに入れてしまう悪いくせはなおらない。おかげで、ルーティンの大切な原稿を遅らせてしまっていたりする。本末転倒だ。
まして、既に原稿が上がって宣伝まで済んでいる書籍の出版を拒絶するなんてことは、私には、たとえ太陽が西から昇っても、金輪際、絶対にできない。
もちろんカネの問題もある。
が、損得の問題を抜きにしても、それは、とてつもなくデカい精神的な負担をともなう作業であるはずなのだ。
直接の担当者はもとより、間に立った人々や、その関係者を含めれば、途方に暮れ、顔をつぶされ、嘆き悲しむ人間が、数十人単位で発生している。それらの人々のかわるがわるやってくる悲痛な懇願をひとつひとつ完璧に退けないと、拒絶は完成しない。そう思えば20歳を少し過ぎたばかりのひとりの女の子が、出版の中止という容易ならざるミッションを押し通し得たことは、これはとてつもない達成なのである。
アスリートが成長するためには、この種の胆力(←オファーを拒絶する根性みたいなもの)が不可欠なのかもしれない。ここのところ、色々な競技の選手を見ていてつくづくそう感じる。一流と呼ばれる選手は、誰もが、非常に頑固な一面を備えている。譲るべきところは譲るとして、自分が決めた一線については、周囲の状況がどうであれ、絶対に譲らない――そういう一徹なところがないと、選手は成長することができないのである。
恵まれた素質にまかせて活躍できる期間を終えたら、アスリートは自分で自分を鍛えあげなければならない。そして、そのためには、妥協してはいけない一線を、どこか、自分の中で守らなければならないはずなのだ。
プロフィール
- 小田嶋隆(おだじま・たかし)
1956年東京・赤羽生まれ。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社するも1年ほどで退社。その後、小学校事務員見習い、ラジオ局ADなどを経てテクニカルライターとなり、コラムニストとして活躍中。また、浦和レッズサポとして、埼玉スタジアムにも出没。都内を自転車で移動する肉体派?な一面も。
近著に『その「正義」があぶない。』(日経BP社)『地雷を踏む勇気〜人生のとるにたらない警句』(技術評論社)『人はなぜ学歴にこだわるのか』(光文社知恵の森文庫)、『イン・ヒズ・オウン・サイト』(朝日新聞社)、『9条どうでしょう』(共著、毎日新聞社)、『テレビ標本箱』(中公新書ラクレ)、『サッカーの上の雲』(駒草出版)『1984年のビーンボール』(駒草出版)など。