この状況でもし彼女が、周囲の大人たちにたやすくコントロールされるお人形さんであったら、浅田真央はその時点で、競技者としては成長を終えなければならなかったはずだ。
が、彼女は、「ノー」を言うことができた。
それもただの「ノー」ではない。億単位の損失を発生させ、何十人の顔をつぶし、少なからぬ関係者との関係を気まずいものにする「ノー」を、彼女は貫徹した。ということはつまり彼女は、トリプルアクセルを跳ぶことよりもさらに困難な決断を、たったひとりで完結させたということだ。
これができるのなら、余事はどうにでもなる。
私は、これまで浅田真央の体型やしゃべり方(自分を「真央」と呼ぶのを聞いたことがある)から、彼女が、年齢よりずっと幼い人格の持ち主で、それゆえ、技術やフィジカルはともかくとして、メンタリティの上では、とてもではないがキム・ヨナには及ばない選手であるというふうに思っていた。
でも、今回のことで、彼女を見なおしている。
バンクーバー五輪後の不調と心労(母親の死もさることながら、その後に起きた周囲との軋轢は、相当な負担になったはずだ)の影響は、簡単には拭い去れないだろう。
しかしながら、それらの影響から立ち直って本来のコンディションに立ち返った時、浅田真央は、以前より素晴らしいスケーターになっているはずだ。
期待している。
ソチでは金が取れるはずだ。
プレッシャーをかけるな、と?
大丈夫。この程度のプレッシャーは、既に乗り越えている。
プロフィール
- 小田嶋隆(おだじま・たかし)
1956年東京・赤羽生まれ。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社するも1年ほどで退社。その後、小学校事務員見習い、ラジオ局ADなどを経てテクニカルライターとなり、コラムニストとして活躍中。また、浦和レッズサポとして、埼玉スタジアムにも出没。都内を自転車で移動する肉体派?な一面も。
近著に『その「正義」があぶない。』(日経BP社)『地雷を踏む勇気〜人生のとるにたらない警句』(技術評論社)『人はなぜ学歴にこだわるのか』(光文社知恵の森文庫)、『イン・ヒズ・オウン・サイト』(朝日新聞社)、『9条どうでしょう』(共著、毎日新聞社)、『テレビ標本箱』(中公新書ラクレ)、『サッカーの上の雲』(駒草出版)『1984年のビーンボール』(駒草出版)など。