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高英姫の真実 「喜び組」出身の“側室” 金日成主席は正恩氏を孫と認めず

産経新聞 2月15日(水)8時16分配信

高英姫の真実 「喜び組」出身の“側室” 金日成主席は正恩氏を孫と認めず
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高英姫氏(写真:産経新聞)
 北朝鮮の新指導者、金正恩(キムジョンウン)氏の母、高英姫(コヨンヒ)氏(2004年死亡)が在日朝鮮人出身であるだけでなく、後に「喜び組」と呼ばれる接待役だった経歴などから、祖父の金日成(イルソン)主席が生前、正恩氏を正式な孫と認めていなかったことが14日、関係者などの証言により分かった。父は日本軍への協力者といえる軍需工場労働者で、密航船を運営し逮捕され、やむなく北朝鮮に渡ったことも判明。“負の出自”は、16日の金正日(ジョンイル)総書記生誕70周年を境に加速しそうな正恩母子の偶像化に打撃となりそうだ。(桜井紀雄)

 高英姫氏は、格闘家の高太文(テムン)氏の娘という説が広く信じられてきた。しかし、北朝鮮の民主化に取り組むNPO「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」(RENK)が北朝鮮内部や在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)関係者らから得た証言と、在日朝鮮人の帰国者名簿など複数の記録から、父親は韓国・済州(チェジュ)島出身の高京沢(ギョンテク)氏だと裏付けられた。

 太文氏の娘と高英姫氏の帰国時期や年齢、「万寿台(マンスデ)芸術団」で活動した経歴が似ていたため、誤解が生じていたが、韓国の情報機関、国家情報院も「父は京沢氏だ」としていた。

 関係者らの証言などによると、京沢氏は1929年に出稼ぎのため渡日。陸軍管理下で軍服や天幕を作る大阪市の「広田裁縫所」で働いた。戦後、済州島への密航船を運営し日本の警察に逮捕され、出所後、62年に家族を連れ北朝鮮に渡った。法務記録には「強制退去」と記された。他の在日朝鮮人のように「地上の楽園」を夢見た帰国ではなく、半ば強制的な送還だった。

 英姫氏が芸術団の踊り子時代に、金総書記に見初められたことは知られている。韓国に亡命した金総書記の親族らの証言によると、後に「喜び組」と呼ばれる秘密パーティーでの接待役に選ばれ金総書記の固定パートナーとなり、76年から平壌の別荘で同居した。

 内部情報によると、出自に加え、金総書記に既に正妻がいたことから側室として扱われた。正恩氏ら2人の息子をもうけたが、金日成主席は当時、金総書記の別の妻が生んだ長男、正男(ジョンナム)氏を後継者とみなし、正恩氏らを正式な孫とも認めなかったという。

 金主席死去後は英姫氏を偶像化する動きも表れた。一方で、3代世襲の根拠に「革命の血統」を掲げる北朝鮮にとり不都合な英姫氏の出自には全く触れず、金総書記死去後は「最高機密」に指定された。

■喜び組 「万寿台芸術団」など北朝鮮で最高峰とされた芸術団の中でも容姿、才能ともに優れた女性らで構成。金正日総書記と側近らだけが出席を許された秘密パーティーで演目を披露したり、接待に当たり、金総書記の側近らの妻や愛人になったメンバーも多いという。万寿台芸術団から選抜されたメンバーで1970年代に結成された「親愛なる指導者同志(金総書記)の公演室」が原型とされる。

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最終更新:2月15日(水)9時25分

産経新聞

 

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