妊娠8カ月で震災の犠牲になった岩手県陸前高田市の小鎚有花さん(当時24歳)の夫潤一さん(27)が、一周忌の法要を前に、妻がおなかに宿していた小さな命の法名を授かろうと考えている。お兄ちゃんになるはずだった長男悠陽(ゆうひ)君も2歳4カ月のやんちゃ盛り。遺影を指さし「ママ」と呼ぶようになった。「この1年、家族4人で乗り越えてきた気がするんです」。法名に、その証しを残したいとの思いを込める。
有花さんが見つかったのは震災2カ月後の昨年5月11日。3日後、遺体を火葬に付すと、おなかのあたりに小さな骨がいくつも残った。「有花と一緒に、おなかの中で、懸命に生きようとしていたんですね」と潤一さんは言う。
出産予定日は5月16日。女の子だった。有花さんも家族も、その日を心待ちにし、「陽詩(ひなた)」と名付けていた。潤一さんの母知子さん(54)は「震災後も、お店へ行くとつい女の子の服に手が伸びてしまって」。遺影の脇でベビー服のフリルが揺れる。
4月には産休に入るはずだった有花さん。この1年、家族は「大きなおなかを抱えて逃げられなかったんじゃないか」「なぜ助けに行ってやらなかったのか」と悔やんできた。そのたびに、悠陽君の笑顔が癒やしになった。
震災時1歳半だった悠陽君は、母の記憶が曖昧だ。それでもいつしか遺影を「ママ」と呼ぶようになった。昨年9月から保育所へ通い、仮設住宅でもこたつに上ったり、飼い猫を追いかけたり、元気いっぱいだ。
小鎚さん家族は、住んでいた地域の高台に近所のみんなで移転しようと考えている。潤一さんは思う。「この街にいれば、震災で母親が亡くなったことも、妹ができるはずだったことも、いつか悠陽に自然な形で伝えられる気がするんです」【市川明代】
毎日新聞 2012年2月15日 12時47分(最終更新 2月15日 13時03分)