遅ればせながら、映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」を観てきた。
とても真面目につくられた映画で、原作もしっかりしていて、「誰よりも戦争に反対した男」はその通りだと思うけれど、なんだろう、この物足りなさは。
海軍内の対立の図式の淵源を戊辰戦争に求めたところなぞ、原作者の半藤一利先生の面目躍如という感じだし、新聞記者目線の語り口も面白いし、いろいろと見応えのあるシーンもあるのに、肝心の主人公たる山本五十六のキャラが立っていない。
これは、ご子息義正氏に協力を仰いでいることもあっての痛し痒しの部分なのかも知れないが……。
「負」の部分は全部割愛、真珠湾攻撃を「失敗」と総括する割に、責任の所在が曖昧だったり、ミッドウェー作戦大敗の責任問題にも全く触れられていなかったり、山本という一風変わった海軍の将官が、ただ時の流れに乗っかって戦い、死んだ、という、それ以上の意味をこの映画から見出すことは難しいと思う。
真珠湾もミッドウェーも、「条約派」と「艦隊派」の対立で失敗したというように描かれてはいても、聯合艦隊の最高指揮官としての山本の責任の所在までは描かれていない。
山本贔屓のあまり、軍令部のみを悪者にするのもいかがなものだろうか。「聯合艦隊司令長官」は、実戦部隊の最高指揮官であって中間管理職ではないのだ。
人間味を感じさせるエピソードも、子供たちに魚の身を取り分けるシーンとか、開戦前に夫人が用意した鯛の尾頭付きに箸をつけなかったとか、実際この通りなら「へえ」と思うけれど、ほかのエピソードをあえて捨ててまで残った「見どころ」がこれでは、ちょっとスケールが小さすぎないかと思う。
巷間知られている愛人の芸者も出てこないし、人物像として、ただ穏健で頭のいい、ちょっと視野の広い人、ぐらいにしか見えないのが残念なところであった。
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何様のつもりだと言われそうだけど、実際にドラマの考証をやってみた目で、自分がこの脚本、演出に立ち会うとしてどんな意見を述べるか。ほかに、どこがそんなに物足りないかと考えてみた。全般に、いまのNHKあたりなら必ずチェックが入るであろうレベルの、考証の詰めが甘い部分が見受けられる(演出優先でそうなったものも多いかも知れない)。
まず、「新聞記者目線」には限度があるから、語り手の視点が泳いでしまっていて定まっていない。
パンフレットには脚本を50稿は書き直したとあるけど、考えすぎてドツボにはまってしまったのではなかろうか。
目線が定まらないから全体として平板な印象でメリハリが感じられず、またこれだけの長尺でスケールの大きな物語にしては、名のある登場人物が極端に少ない。
登場人物についても、状況についても、セリフ上の説明のほかは字幕すら出てこないから、たとえば海軍大臣が誰とか、井上成美(なんと柳葉敏郎!大出世である)が海軍省でどんなポストにいて、その後、どうしてトラックにいるのかなど、基礎知識のある人にしかわからない。参謀長の名前すら出てこないが、これは要らないということか。
以下、考証メモ風にいくつか気になった点を列挙すると、
●山本は食って将棋を指してばっかり。
●開戦前の時点で「零戦」を「ぜろせん」と言ってはいけない。まだ「れいしき」又は「れいせん」である。順当なのは「れいせん」であろう。
●同郷・長岡出身の零戦搭乗員は架空の人だが、少尉で「赤城」に着任してきたということは、海軍兵学校~飛行学生コースではない。
あの時期に着任する新任士官は海兵なら65期か66期だろうが、飛行学生を終えて母艦に配属されるときにはもう中尉になっているはずである。
とすると、兵から叩き上げた特務士官ということになるが(予備士官が零戦に乗るのはもうちょっとあと)、特務士官の表徴が何も身に着けられていなかったし、当時なら階級呼称変更前だから、公の場では「飛行特務少尉です」というだろう。しかも従兵を通すならまだしも、特務士官が気安く司令部に菓子を持っていくなど、???である。同郷のよしみでも、公私混同が過ぎないか?
「士官たるもの部下に物品を与えず、部下たるもの上官に付届けをしないのが海軍の美風であった」(下士官兵のいわゆる「ギンバイ」は別)と、私は承知している。
また、この少尉は特務士官なら第二士官次室(いわゆるガンルーム~第一士官次室とは別~に入ることになる。兵員室で下士官兵と一緒に飯を食ったりはしない。
●空母搭載機のことを「艦載機」と盛んに言うが、これは正しくは「艦上機」である。日本海軍で「艦載機」は、戦艦巡洋艦等に搭載される艦載水上機を指す。
●参謀飾緒のつけ方が全般にだらしない。
●ドーリットルの本土初空襲に泡を食って、「台南航空隊を厚木に移動させ防空に当たらせろ」といった趣旨の命令を出したが、これは史実とはまったく異なる荒唐無稽なフィクションである。説明は長くなるので割愛。拙著『零戦隊長』(光人社)参照。
●山本五十六が日本のことを「この国」という台詞が数カ所あるが、こんなよそ事のような、当事者意識のない言い回しは近年の無責任政治家に顕著に見られるもので(ハトヤマがよく使いますね)、70年前の人間の言葉遣いとしてはいかがなものか。
ミッドウェー作戦が失敗に終わった後、山本が、「これでいい、ニッポンに帰ろう」というのも同様の違和感。あんた、最高指揮官だよ、当事者意識あるの?とツッコみたくなる。
参謀に、「出撃したから来月は加俸がついて給料が上がる」と声を掛けるシーンがあったが、加算とりのために大艦隊を無駄に動かし、貴重な燃料を浪費したのだとすると、軽口としても笑えないし、これで人情味を出すのは間違いだ。
●司令部の食卓の並び順が先任順になっておらず、変。違和感あり。和食だから夕食だろうが(昼なら洋食のフルコース)、司令部なのに肩寄せ合って、兵員室みたいな飯の食い方をしている。幕僚たちが食いながらあんなふうに議論することも不自然。
●私の見間違いでなければ、山本が黒島先任参謀に作戦立案を命ずる電信紙に書かれた文面はカタカナではあるが現代仮名遣い?「シキュウ」と読めたような気がしたが……。また、「…すべし」は、「…スヘシ」と書かないと。それと、後半、黒板に書かれた戦線図の地名表記も現代風?
このへんは昨今のNHKドラマでは相当神経を使っているのだが、映画にはそういう人はいないのか。
●一見、歴史を追っているノンフィクション風ながら、架空の人物が多い。新聞記者や、花を添える?小料理屋の女将と踊り子などはともかくとして、たとえば、山本と将棋を指して最期は一緒に死ぬ「三宅参謀」(三和参謀と渡辺参謀、樋端参謀がミックスしたような役どころである)、登場する「零戦パイロット」3名、ガダルカナル撤退作戦で戦死する中将の「司令官」など、重要な登場人物の幾人かは実在の人物ではない。
●これは確信犯かもしれないが、真珠湾やミッドウェー海戦当時、士官の被る略帽には二本線はなかった。これは、正確にやると戦争末期の大量動員組の元軍人などからかえって苦情がくるのと、映画やドラマの小道具としては新たにつくらないといけなくなるので、あえてこのようにした例をいくつか知っている。
●真珠湾攻撃成功の報に参謀たちが室内で両手を挙げて万歳するが、海軍の万歳は原則として声で万歳を叫ぶだけで、あのように両手は挙げない。(狭い艦内だとビームに手をぶつけたりするため)
●山本の失った二本の指はうまく隠していましたね。これができないと、以後、山本五十六を演じる俳優には指を二本詰めてもらわないといけない。生えてくるならいいけど。
●零戦搭乗員が、真珠湾攻撃でもラバウルでも、冬用飛行服を着ているがこれは変。飛行帽は冬用、飛行服は夏用が通例であった。
●零戦搭乗員が、空戦中ボサッとしすぎ。見張りを全然してない。戦闘に対する緊張感、警戒心、戦闘への集中と注意力の分散、といった戦う者の雰囲気、殺気がまるでない。ご健在の90歳の元搭乗員の方でも、もっと眼光鋭く、挙措動作がしっかりしている。ただ若い俳優に飛行服を着せただけみたいで、このへん、昔の「零戦燃ゆ」の堤大二郎や、「太平洋の翼」の加山雄三、「連合艦隊」の艦爆搭乗員・永島敏行らの演技には遠く及ばない。(「君を忘れない」のキムタクや松村には勝てると思う)
●真珠湾攻撃やミッドウェー海戦では、戦闘機同士の無線電話はあのような形では使われていない。
●CGの動きが、現実離れしたスピード。発艦時など。
●現在の真珠湾の実景とCGを合わせた真珠湾攻撃シーンは、リアリティにおいて、「トラ!トラ!トラ!」はもちろん、小豆島で撮られたNHKドラマにも劣る。
●ミッドウェーで敵雷撃機が来ずいきなり急降下爆撃機が来るのは変。被弾した零戦が敵空母の艦橋に体当たりするシーンなど、戦時中の戦意高揚映画から70年進歩のない架空の演出で、情けなくて泣けてくる。友永雷撃隊の出撃シーンもなかった。
●「坂の上の雲」の秋山好古(阿部寛)が山口多聞という拭い難い違和感はさておき(山口多聞に瓜二つのご子息・宗敏さんがもっと若ければ出演されればよかったのに)、沈む「飛龍」に山口多聞司令官が一人で残り、艦と運命を共にするとは、ともに残った加来止男艦長の立場はどうなる?
加来大佐も立派な艦長だったんだよ。それと、山口多聞の無帽の挙手の礼はいただけない。(米軍式である)
●セットとCGの合成による戦闘シーンのリアリティがいまいち。昭和40~50年代の円谷プロが手掛けた東宝の特撮に及ばないのではないか。
●ガダルカナル撤退を山本が決断したかのように描かれているが、これは御前会議で天皇のご裁可を得て決まったことである。
●ガダルカナル撤収作戦で「司令官」(五藤存知少将がモデルか)が戦死するが、このあたりは時系列の混乱というか、状況に3カ月弱のタイムラグがあり、筋としてもフィクションである。
●要するに日本の戦争映画にありがちな、「ノンフィクションをもとにしたフィクション」で、これを見て歴史の一端がわかったような気になるのは危険だと思う。
●山本が、「い」号作戦を前に、「戦線をマリアナの線まで後退させる。前線基地の隊員たち(これは台詞上は「将兵」が正しい)には捨て石になってもらう」という趣旨のことを言うが、何たる無責任な言い草だろうか。
現に山本の戦死後、昭和18年9月30日、日本政府は戦線縮小と作戦方針の見直しを含めた「絶対国防圏」構想を発表するが、これは、その圏外の前線にいる約30万人の将兵を見殺しにするというものであった。これは単なる数字ではない。彼ら30万人の一人一人に、それぞれの家族や人生、思いがあったのだ。
●映画では、山本の死後、突然終戦になり、戦争で失われた300万の命の90パーセントは山本が死んだあとのものだったという旨のナレーションが入るが、そこには、「捨て石」にされた将兵や「その後の90パーセント」に対する「優しさ」や「思いやり」といったものは感じられない。
繰り返し言うが、この映画はとても真面目につくられている。スタッフには心から敬意を表したい。ただ、「何か」が足りなかったか(仄聞するところでは、「坂の上の雲」で挙措指導を行った元海将補の先生に断られたそうだけど)、しっかりした考証担当者、挙措動作の指導者はついていなかったのか?、「何か」のしわ寄せで入れたもの、削ったもののバランスで、このようなことになったのだと思う。ノンフィクションの原作があって、それを映像作品にするというのはほんとうに難しいことだと思う。
いっぽう、真面目につくった結果の作品がこんなふうになってしまうというのは、そもそも映画の人には「事実に語らせる」という発想が希薄、というか、「事実」に対する敬意が足りないのだとも思う。だから簡単にストーリーを「演出」の名のもと誤魔化してしまうのだと私は考える。書籍のノンフィクションでは、普通は許されないことである。
パンフレットでは、史実とフィクションの兼ね合いに悩んだようなことが書かれてあるが、脚本家も演出家も、悩む以前に「史実」そのものを筋道立てて理解していない節がある。
「作り手が分かってやっているならいい」という都合のいい免罪符は、ちゃんと「分かって」から使ってほしいと思う。
井上成美にしてもそうだが、山本も、軍政家としては評価できても、戦の指揮はからっきし駄目だったわけで、いかに人格識見に秀でた人物であっても、戦に弱い軍人などナンセンス、評価に値するものではないだろう。「山本、井上で勝てる戦まで落とした。あの二人は国賊だ」とまで言う、第一線の現場の指揮官がつい近年まで何人もご存命でいらっしゃった。
※少なくとも私は、山本五十六は、「一将功成らずして万骨を枯らせた」、よく言って”凡将”であり、「戦争に反対し続けた悲劇の名将」などと祀り上げられるべき提督では決してないと思う。
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私がそう思う所以は、映画の感想とは違った方向になるので、以下に、拙ブログの過去記事より、再録する。
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今年(2011年)は日米開戦、真珠湾攻撃から70周年ということで、テレビやなんかでもさまざまな企画が持ち上がっているようだ。
70年、という数字にどれほどの意味があるのかわからないが、昭和50年、日露戦争の日本海海戦70周年ということで、当時の聯合艦隊各艦の乗組員の生存者が何人か、テレビに出ているのを見て驚いた覚えがあるから、当事者がいるうちに、という意味ではまさにタイムリミットと言えるのかもしれない。
だけど、真珠湾攻撃に関して言うなら、もはやToo Late、10年前には30人いた参加搭乗員がいまや数名しか残っておられず、なかには残念ながら、責任ある発言がもはや不可能な人、体力的に話の無理な人がいらっしゃる。
私は60周年で、その時点でご存命だった搭乗員のほとんどを訪ね取材したが、70年で騒ぐなら60周年、50周年でもっとやるべきこともあっただろうに、と思う。
それはともかく。
私が取材を重ねた元搭乗員のなかに、真珠湾攻撃で第二次発進部隊制空隊指揮官の進藤三郎大尉(最終階級は少佐)がいる。
拙著『祖父たちの零戦』(講談社)の主人公の一人である進藤さんは、真珠湾攻撃や前年の零戦初空戦に関する当時の軍機、軍極秘書類をいくつも手元に残しておられた。・・・・・・このことは、『祖父たちの零戦』にも詳しく書いた。
進藤大尉がラバウルの五八二空飛行隊長に転勤するとき、退役海軍機関大佐の父・登三郎が保管を託され、「軍機」の朱印にびっくり仰天し、慌てて桐箱にしまい込んだ真珠湾攻撃に関する書類の実物が、これである。
編制についても、大まかな取り決めが当初からあった。細かな搭乗割が決まるのはこの後のことである。
敵艦隊の在泊状況による攻撃方法ついて、何通りかのシミュレーションが示されている。
決められた進撃隊形。
進藤大尉への命令書。
聯合艦隊司令長官(山本五十六大将)訓示。起案は宇垣参謀長。
真珠湾攻撃自体は、当時の物差しで言えば壮挙といって差支えなかったと思うけれど、海軍全体が諸手を挙げてバンザイを叫んだわけではない。
進藤大尉と同期で、当時軽巡「長良」航海長だった薗田肇大尉の話。「長良」は開戦時パラオにいて、レガスピーを急襲する陸軍部隊を乗せた輸送船団の護衛を任務としていた。
「12月8日朝、出港準備が完了した時、艦長・直井敏夫大佐が艦橋に上がってきて、何と言われたと思いますか?
『こんな馬鹿な戦争を始めやがって!』
相当大きな声だったので、艦橋にいた第一根拠地隊司令官や参謀連中もふくめ、皆の耳に入ったと思う。我々大尉クラスの末輩には勝つか負けるかなんてわからない。そんな時の艦長の言葉はショックだった。しかし同時に、我々も少尉候補生の時の遠洋航海でアメリカの大きさを見ていますから、同感もできた。『艦長、相当な反体制派だぞ』と、ちょっと痛快に感じたのも事実です」
直井敏夫大佐は、大正7年海軍兵学校を出た四十七期生。同期生121人中20番の成績で卒業したことが記録されている。
これは、常識ある海軍士官としては至極まっとうな考え方であったと、薗田大尉はもちろん、私がお会いした海兵60期前後の海軍士官がほぼ異口同音に証言している。
「長良」はその後、ミッドウェー海戦に参加し、機動部隊の旗艦「赤城」が被弾したのちは、司令長官南雲忠一中将以下の司令部が移乗した。
薗田さんは、
「我が空母群全滅の時の光景、南雲長官が「長良」に逃れて来られた時の沈痛な顔、夜戦をやれとの電命を受けた時の得意の顔、それが取り消された時の失意の顔、いずれも脳裏に焼きついています」
とおっしゃっていた。
現場で戦った海軍士官で、山本五十六が名将であったという人は意外と少ない。ミッドウェーの敗戦以降はいいところが一つもなく、最後は昭和18年4月18日、乗機が最前線で敵戦闘機に撃墜されるという、最高指揮官にあるまじき無様な死に方をした。
護衛戦闘機を出した二〇四空、撃墜された七〇五空陸攻隊、いずれも多くの部下将兵、前途有為な若者たちに、重い十字架を負わせたその最期は、「壮烈」などという美辞麗句で表現すべきではないと思う。
↓は、昭和20年4月7日、沖縄特攻の戦艦「大和」の上空直衛に任じた、「大和」の位置をプロットした戦闘機分隊長の手元に残った航空図だが、こんな悲劇も、もとを辿れば山本五十六の博打が招いたというのは言い過ぎだろうか。(そんなに単純に戦争が始まったのではないことは重々承知である)
できれば拙著『特攻の真意』(文藝春秋)をお読みいただければと思うのだけれど、特攻の生みの親とされる(異論があるのは承知している)大西瀧治郎中将は、結局、山本五十六の尻拭いをさせられたのだと思えてならない。
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山本五十六聯合艦隊司令長官が前線視察に赴いたブーゲンビル島上空で敵戦闘機に撃墜され、戦死したときの乗機、七〇五空の一式陸攻の破片。緑色の塗装が残り、現地の土が着いたまま、箱に収められていた。現在、大西瀧治郎中将の書の掛け軸や真珠湾攻撃、零戦初空戦その他の軍機、軍極秘書類、感状、勲章などとともに私の手元にある。
添付書類によれば、二〇一空会が現地の許可を得て回収し、昭和58年に靖国神社に奉納したものの残りの、風防枠の一部のようである。
ジャングルに墜ちた山本長官機の搭乗者は総員戦死、宇垣参謀長の二番機は参謀長、北村艦隊主計長、主操縦員・林浩二飛曹の三人が奇跡的に助かった。
負傷した林二飛曹は、救助された後、
「これからラバウルに帰って明日、必ずガダルカナルへ出撃します!」
と泣きながら叫んでいたという。
このときの七〇五空陸攻搭乗員計14名、護衛の二〇四空戦闘機搭乗員6名、あわせて20名のうち、屋久島の出身者が2人いる。戦闘機の日高義巳上飛曹と陸攻の林二飛曹である。
この日の戦闘機搭乗員で唯一、終戦まで生き残った柳谷謙治飛長(のち飛曹長)は、林二飛曹と同じ丙飛三期出身だ。
だが、戦後、柳谷さんが日高上飛曹の墓参に屋久島に行った折、林さんに宿泊先を連絡して一席設けていたのに、林さんはついに会いに来なかったという。
この話を、私は当の柳谷さんから聞いた。
予科練の同期生であっても、撃墜された陸攻の搭乗員としては、護衛戦闘機の搭乗員に対し思うところがあったのか。こころの襞を、お二人とも鬼籍に入られたいまとなっては知る術がない。
山本五十六の迂闊な戦死は、多くの部下将兵に重い十字架を負わせ、奇しくも生き残った同期生同士の絆をもズタズタにし、たった二人生き残った彼らにも生涯の禍根、わだかまりを残していたのだ。
そこまで描ききらないと、「山本五十六」の映画としては物足りなさが残ってしまう。 これは、誰がつくっても、誰が演じても難しいと思うが。