【1月8日=宮城県石巻市】
気仙沼市を出発し,宿泊地の宮城県石巻市を目指した。気仙沼線が不通なので,一旦内陸部を通る東北本線を経由し,石巻線を通って石巻市に入った。石巻線は現在,石巻―女川間が津波の影響でやはり不通であり,石巻駅の駅名表示板では女川寄りの駅名がシールで隠されていた=写真=。

石巻駅の駅名表示板では女川寄りの駅名がシールで隠されていた
石巻駅前に出た。同駅周辺も震災時は津波が押し寄せ,多大な被害が出た地域だが,街灯は点灯しており,道路を明るく照らしていた。駅前にある飲食店の前では,成人式後の懇親会を終えたとみられる若者たちが談笑していた。

今晩の宿は駅から徒歩5分ほどの距離にあるホテル。このホテルも被災したそうだが,現在は通常営業を行っているという。部屋は6階で、窓や外にある通路からあたりを見回した。街灯はつき,道を自動車が走り抜ける。ただ,灯りがついていない民家も目立った=写真=。
街灯はつき,道を自動車が走り抜ける。


【1月9日=宮城県石巻市,同東松島市,同松島町】
翌朝。旅を再開し,石巻駅に向かった。前日の夜は気づかなかったが,駅周辺には空き地がいくつかできていた。昨年6月に訪れた時は,壊れた建物があった。津波で被災し,復旧できずに取り壊されたのだろうか=写真=。

津波で被災し,復旧できずに取り壊されたのだろうか


石巻駅から仙石線の列車に乗る。仙石線は昨年6月の段階では全区間の約半分が不通だったが,その後,石巻―矢本間が運転を再開した。年度内には,その先の矢本―陸前小野間も復旧する見込みだという。ただ,電気設備が壊れているため,現在はディーゼルカーが石巻―矢本間を往復する。

矢本行きの列車には通学の高校生などが乗り,ごく普通の通勤通学風景が見られた。矢本駅で代行バスに乗り換えた。仙石線に並走する国道を仙台・松島方面に走っていく。鳴瀬川と吉田川を渡り,川沿いの土手を進んだ。前回訪れた時は,津波で流された自動車やがれきが田んぼを埋め尽くしていたが,現在ではほとんど撤去され,重機が田んぼの復旧作業を行っていた=写真は上が昨年6月の様子,下が今年1月のほぼ同地点=。

重機が田んぼの復旧作業を行っていた=写真は上が昨年6月の様子


下が今年1月のほぼ同地点


しかし,その先の野蒜(のびる)駅周辺では壊れた家屋や商店がそのまま残っていた=写真=。
野蒜(のびる)駅周辺では壊れた家屋や商店がそのまま残っていた


野蒜駅前には「仙石線を早急に復旧させよう」と書かれた旗が立っていたが,この付近の仙石線は特に被害が大きかったため,3年半程度をかけて線路や駅を内陸部に500メートルほど移設する方針という=写真は早期復旧を訴える旗と野蒜駅舎=。
=写真は早期復旧を訴える旗と野蒜駅舎=


日本三景のひとつ「松島」に近い高城町駅付近で代行バスを降りた。川に架かる橋の上からは松島の島々が見えた=写真=。
川に架かる橋の上からは松島の島々が見えた


だが,橋周辺の道路には亀裂や陥没した箇所が今でも残っていた。注意を促すためなのか,亀裂に沿って白い線も引かれていた。「完全復旧」とは言いがたい状態だった=写真=。
亀裂に沿って白い線も引かれていた。


東北本線の松島駅に移動し,仙台行きの電車に乗って南下した。福島県に向かうためだ。続稿では,福島県いわき市と同広野町の今を伝える。(つづく)