神楽坂の昔の街並み、ちょうど2丁目当たりである。
私と家内が生まれたのも同じ神楽坂の2丁目。
私が飯田橋の警察病院、家内が九段の九段坂病院とほぼ生まれてからそのまま夫婦だったような気がしてくる。
家内のお父さんは歯医者さんをしていた、その門の塀は私の遊び場。
隣の家のお花畑はいつも家内の仲間たちと遊んだ公園。
小学校も当然同じ、でも私が一年に上がるころ妻は6年生、年上であった。
子供のころの私は泣き虫で腕白、家内は私をよくかばってくれた。
私の家は花柳界で、よく素人の大人や子供にいじめられたのである。
いじめられては泣いて鼻水を垂らしていると飛んできて世話をやいてくれた。
中学高校は二人は離れた。
妻は地元の中学から都立の青山高校に、東大コースに進んだ。
私はとても無理、私立の明大中野に入る。
この時代二人が離れたことが良かった。
家内は学校を出ると家も練馬の光が丘に住まいだけうつり、白いスーツに白い帽子、そして国産だが白いスポーツカーで私の前に再登場。
もう、年齢の差はなくなっていた。
私も大学までにしっかり勉強もして、部活にも力をいれ大人に生まれ変わっていた。
家内とは池坊のクリスマスパーテーで大人として再会、ブルースを踊った。
成人式にパーティーを開催するのであちこちのダンスパーティーを研究していた時である。
いちころ、一目惚れである。
妻のドレスは手作り、オーダーメイドでおねえさんが妹のためにドレメの腕を磨き特別に作ったもの。
ペップバーンの衣裳そっくりだそうだ。
帰りは、スポーツカーで送ってくれた。
子供時代のことは二人とも一言も言わない。
電撃的に、初めての恋が始まる。
いつも、デートは家内の家である。
同じ町内家族はみんな旧知の仲。
お父さんもお母さんも私の腕白ぶりは子供の時からご存じ。
家内のお父さんは練馬の広い屋敷にたくさんの松の盆栽を育てていた。
表の庭は普通の日本庭園だが、裏が3千坪はある松の盆栽の畑。
遠くからプロまで習いに来る。
私は書生ではないが、結婚を許してもらおうと盆栽の手伝いが、家内も進めるデートなのである。
何しろ6つ年上というのはその頃でも大変なハンデだった。
そのうえ、同じ町内会何から何までばれている。
一年以上、盆栽の水やりから手伝う、水やりだけでも夏は4時間かけて、3回する。
大変なお父さんに当たったと思った。
でも、何年かの努力が報われて、許してもらえ、お祝いに住まいまで用意してもらえたのには、さすが参った。
幼馴染の妻の家族は私のこともよく見ている。
花柳界育ちで、家がつぶれ、アルバイトを中学からして苦学、何とか大学まで頑張った苦労を認めてくれた。
やはり、同じ神楽坂の二丁目で下町の中で結婚出来て幸せだった。
幼馴染の絆は、夫婦という枠を超えて、強まるばかりである。