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急死の元幕内・久島海の田子ノ浦親方…心労がたたった?

デイリースポーツ 2月14日(火)7時27分配信

急死の元幕内・久島海の田子ノ浦親方…心労がたたった?
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田子ノ浦部屋に入る警視庁関係者=東京・江東区(撮影・西岡 正)
 高校生として史上初のアマチュア横綱に輝いた大相撲元幕内久島海の田子ノ浦親方(本名久嶋啓太=くしま・けいた)が13日、東京都墨田区の病院で急死した。死因は不明。46歳だった。和歌山県新宮市出身。自宅は東京都江東区北砂7の9の1。葬儀・告別式などは未定。13日午後4時45分ごろ、同親方が江東区北砂の田子ノ浦部屋で吐血して倒れたと警視庁に通報があり、病院に搬送された。事件性はないとみられる。

 突然の訃報だった。春日野部屋付きの清見潟親方(元幕内栃栄)によると、田子ノ浦親方はこの日朝、弟子を連れて春日野部屋などへ出稽古した。「いつもと変わらない様子だった。きょうで出稽古が終わりなので、また(3月に春場所が開催される)大阪で会おうとおっしゃっていたのに…」と、清見潟親方は沈痛な表情で話した。

 田子ノ浦親方は和歌山・新宮高3年でアマ横綱、日大でも3年連続で学生横綱となった。1988年初場所に出羽海部屋から幕下付け出しでデビューし、大器と期待されたが肩のけがなどで素質を生かせず、最高位は東前頭筆頭だった。98年秋場所限りで引退して2000年2月に田子ノ浦部屋を興した。

 独立後は苦難の道のりが続き、04年にホープと期待された17歳の三段目力士、08年には部屋所属で25歳の呼び出しを亡くした。自身も30代後半に心筋梗塞を患い、現役時代は200キロあった体重を50キロ以上減らした。

 昨年九州場所で部屋初の幕内力士、碧山が誕生したばかり。「白鵬を倒す力士に育てたい」と夢も描いていた。同じ出羽海一門の三保ケ関親方(元大関増位山)は「若くて熱心で、部屋としてもこれからというときに…無念だったでしょう」と悔やんだ。

 弟子への厳しい指導で知られる一方で、ブログとツイッターの両方を駆使して、一般のファンにも広く情報を発信することに熱心な親方でもあった。歌や料理がうまく、読書家で頭脳は明晰(めいせき)。年寄名跡問題で揺れる中で年寄会の副会長を務めていた。真面目な性格ゆえに「心労がたたったのだろう」と気遣う親方衆は多い。

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最終更新:2月14日(火)9時10分

デイリースポーツ

 

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