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田子ノ浦親方46歳急死 部屋で吐血し病院搬送も帰らぬ人に

スポーツ報知 2月14日(火)8時2分配信

 大相撲の元幕内・久島海の田子ノ浦親方が13日の夕方、東京・墨田区内の病院で急死した。死因は不明。46歳だった。午後4時45分頃、同親方が江東区内の田子ノ浦部屋で吐血して倒れたと警視庁に通報があり、病院に搬送された。事件性はないとみられる。田子ノ浦親方は和歌山・新宮高時代に高校生で史上初めてアマチュア横綱に輝き、日大で学生横綱になるなど活躍し、1988年初場所で初土俵を踏んだ。最高位は前頭筆頭だった。葬儀・告別式は未定。

 アマチュア時代に史上最多の28個のタイトルを獲得し、「怪物」と呼ばれた元・久島海の田子ノ浦親方が、あまりに突然逝った。警視庁城東署によると、江東区内の田子ノ浦部屋で家族といた際に突然、吐血して倒れたという。病院に搬送されたが心肺停止状態で、帰らぬ人となった。

 田子ノ浦親方は新宮高時代に3年連続で高校横綱に輝き、3年時には高校生として史上初のアマチュア横綱を獲得した。日大でも3年まで学生横綱のタイトルを獲得。3年連続の学生横綱は最多で、1年の時にはアマ横綱とのダブルタイトルにも輝き「久嶋啓太」の名を全国にとどろかせた。

 鳴り物入りで出羽海部屋に入門し、88年初場所に幕下付け出しで初土俵。大器と期待されたが伸び悩み、肩や膝の故障などに苦しんだ。ついに三役には手が届かず98年秋を最後に引退。出羽海部屋付きの親方として後進の指導にあたり、2000年2月に独立。しかし、その後は苦難が続く。04年にホープと期待された17歳の三段目力士、08年には部屋所属で25歳の呼び出しを亡くした。自身も30代後半に心筋梗塞を患い、現役時代200キロあった体重を50キロ以上減らした。

 それをきっかけに料理に興味を持ち、雑誌に料理コーナーの連載を持つなど多彩な一面もあった。ある親方は「自分で弁当を持ってきたりして、いろいろと体に気を使っていたのに」と悔やんだ。遺体と対面した春日野親方(元関脇・栃乃和歌)は「顔はまだ温かく、きれいだった」とやりきれない表情で話した。

 昨年名古屋場所では碧山が部屋初の十両に昇進し、同年九州には新入幕を果たしたばかり。先週は春場所(3月11日初日・大阪府立体育会館)の新弟子検査を受検する新弟子の母校などを訪問するため、大分県まで赴くなど精力的だった。13日朝も碧山らを引き連れ、墨田区内の春日野部屋へ出稽古。普段と変わらぬ指導を行った。部屋を持つ師匠が亡くなったのは、昨年11月の鳴戸親方(元横綱・隆の里)以来。部屋の力士は、同じ出羽海一門の出羽海部屋に転籍することが有力となった。転籍の理事会は早ければ14日にも行われる見通しだ。

 ◆田子ノ浦 啓人(たごのうら・けいと)本名・久嶋啓太。元前頭筆頭・久島海。1965年8月6日、和歌山・新宮市生まれ。46歳。新宮高3年でアマ横綱に輝き、日大に進学。全日本学生選手権3連覇など最多の28タイトルを獲得。88年初、幕下付け出しで出羽海部屋から初土俵。89年春、新十両。同年名古屋で新入幕。98年秋を最後に引退。準年寄・久島海を経て99年8月に年寄・田子ノ浦を襲名。2000年2月、出羽海部屋から独立し、田子ノ浦部屋を創設した。幕内通算237勝273敗15休。現役時代は187センチ、204キロ。

 ◆田子ノ浦部屋 98年秋場所を最後に引退した久島海は、年寄・田子ノ浦を襲名して出羽海部屋の後進の指導にあたっていたが、2000年2月に分家独立して大宮市(現さいたま市)に部屋を創設。03年に現在の江東区内に部屋を移した。昨年名古屋場所で、碧山が同部屋として初の関取に昇進している。現在の所属力士は幕内・碧山のほか、幕下の碧天(あおぞら)、海龍ら8人がいる。

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最終更新:2月14日(火)10時30分

スポーツ報知

 

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