渡辺弁護士たちが青くなった甲18号証(上) 

渡辺弁護士の秘密めいた手紙(16)

 田中幸子さんは懲戒請求にあたって、甲1号から甲22号証までの証拠を提出した。その中で、渡辺弁護士が青くなり、代理人たちのメーリングリストで大騒ぎになったのは元女性信者の陳述書甲18号証だった。

 なぜ、監禁諸派は陳述書に衝撃を受けたのか。
 それは、渡辺弁護士の手紙通りのこと−当職に相談→脱会屋を紹介→拉致監禁→監禁説得−が行われたことを、体験者自らが暴露したからである。

 陳述書を全文、紹介する。長文なので、2回に分けて行う。陳述者を三田由香里さんとしておく。

 読みやすいように、適宜、改行、行空けをした。下線、ゴチックは私。文中の*注は最小限にした。それを補うために、陳述書の最後に、やや長めの補足説明と感想を書いておく。

・はじめに
・事実経過
(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)
(8)(9)
・陳述書を書くに至った経緯
(1)(2)(3)(4)(5)(6)
ゴチックが今回アップした部分


渡辺博先生の懲戒請求を審議している先生方へ
−陳述書−
三田由香里
住所は小生管理人の住所を記している。理由は以下を読めばわかる。


はじめに

 私は、2007年に統一教会を脱会した者です。今日までの2年余りは、統一教会とは一切関係を持たず、家と会社を往復するだけですが、家族と共に平穏な日々を過ごしてきました。
 脱会にあたっては、家族と「三田由香里は今後、統一教会信者といかなる接触も持たない。それを違反すれば三田家から除籍する」という文章を取り交わしています。そのため、陳述書を書くかどうかとても躊躇しました。

 私が統一教会をやめたのは事実ですが、この陳述書を書いたことが家族に知られると、「統一教会と接触したのではないか」と疑われてしまいます。父親は曲がったことが大嫌いで、一度決めたことを必ず守る人格なので、本当に父は私を三田家から除籍するでしょう。

 元信者の方々の中には、私のように「保護説得」によって統一教会から脱会できたことには感謝しているけれど、保護説得のやり方に疑問を持っている人は少なくないと聞いています。
 ところが、保護説得に不満を述べると、まだ統一教会と付き合っているのかと判断されてしまい、また保護されるかもしれないと思うと、なかなか言い出せないのです。
 家族に嘘をついて、統一教会の活動をしていたことはよくないことですが、「監禁」された時の衝撃はあまりにも大きく、恐怖と悲しみの体験をした結果、精神的な後遺症に苦しむ人は少なくないはずです。

 繰り返しになりますが、この陳述書が渡辺先生などを通して両親に知られることになったら、私は家から追放されてしまう可能性があります。
 米本さんは、弁護士には厳しい守秘義務が課せられているから大丈夫だと話されています。

 守秘義務を信じて、勇気を出して書くことにします。もし、両親がこの手紙の存在を知った場合、渡辺先生に、今度は、私と米本さんとで懲戒請求の申し立てを行うつもりです。
 なお、綱紀委員会の先生方が、私に質問されたいことがあれば、米本さんを通して下さい。私は、積極的に応じるつもりです。

「繰り返しになりますが」以降の懇願文を覚えておいて欲しい。
 職務上知り得たことを口外してはならないという守秘義務は弁護士に課せられた最高レベルの弁護士倫理である。しかし、そんなことにまるで無頓着なのが第2東京弁護士会に所属する田村町総合法律事務所の渡辺博なのである。これについては後日暴露するが−弁護士の正体をかなり知っているつもりだったのに(モンダイ弁護士のことは何度か記事にしたことがあったから)、私がマヌケだったことを思い知らされた。私がマヌケというより、それ以上に渡辺はワルだったということだろう。

事実経過

 順を追ってお話します。

(1) 私は、統一教会の荒川青年支部に所属する統一教会員でした。
 親には統一教会員であることを明かしたかったのですが、教会内でアベルと呼ばれる先輩信者から止められていました。
 アベルの言うことは絶対的な重みがありましたから、私は隠していました。

 当時の私は、家(埼玉県■■市)から製造メーカーの会社(統一教会とは関係のない会社)に通っていました。統一教会の活動は、会社を終えてからの時間と、土日の休日の時に行っていました。

(2) 2007年7月14日(土曜日)、会社が休みで自宅にいたとき、家族全員で外食しようと誘われ、両親と私の3人で車に乗りました。兄はあとから直接、レストランに来るということでした。

 車を走らせてしばらくすると、私の携帯に兄から電話がありました。
「怪我をしているから動けない。助けてくれ」
 というので、私はとても驚いて、「大丈夫?」と言いました。
 兄が「父さんに代わって」と言うので、私は慌てて父親に携帯を渡しました。
 父は兄と話したあと、「今からお兄ちゃんの所に行こう」と言いました。

 気が動転していて、私の携帯を父がそのまま自分のポケットに入れてしまったことを、その時には疑問には思いませんでした。
 後になって、私が外部の誰とも連絡を取ることができないようにするための作戦だったと分かりました。

 マンションの一室に入ると、兄は布団を敷いたその上に居ました。
 家族全員が部屋に入ると、玄関が閉められ、私はみんなから取り囲まれました。
 この段階になって、私はようやく統一教会から教えられていた「拉致監禁」だということに気がつきました。
 初め体は硬直して頭が真っ白になり、一瞬何も考えられませんでしたが、この現実を受け止めようと私は必死でした。

(3) あとから親に教えてもらったことですが、この部屋は旧浦和市のマンスリーマンションの一室でした。 (なんと、私が帰郷する前に住んでいた(さいたま市南区)近所だった。

 6畳一間に台所、風呂、トイレ、少し広めの廊下があるだけのとても狭い部屋でした。
 6畳の部屋には窓がありましたが、段ボールでふさがれており、電気を付けないと真っ暗になるような状態になっていました。

 私と母と兄は、奥の6畳の部屋で、父は玄関前の廊下で寝ました。

 玄関は、通常の鍵に加え、私が容易に逃げることができないようにチェーンつきの鍵などが2つ取り付けられていました。
 その鍵は、いつも父が腰にチェーンをまくように取り付けていました。
 全ての方法は、保護説得の経験者が教えてくれたそうです。
 2週間後にこの部屋を出るとき、父が鍵を開けるのに5分以上かかっていたことを思い出します。

 私は数日間は、非現実な感覚におち入り、心の中は泣いていました。

(4) 話し合いは、
「由香里が統一教会に入っていることが分かった。お父さんが調べたところによると、統一教会はとても悪いことをしている。本当に教会の教えは正しいのか、もう一度よく考えてほしいから、こういうことをしたんだ。ここで一緒に考えよう」
 という父の言葉から始まりした。

 先ほど説明しましたように、窓も玄関も完全に塞がれ、逃げることはできませんでしたし、素直に全てを話した方がいいと私は判断しました。前にも書いたように、家族に統一教会の教えやその日の出来事などを何でも話したいという気持ちを強く持っていましたから。

 統一教会という名前を出さずに正体を隠して手相を使って、ビデオセンターに勧誘することをやっているとか、友だちを宝石の展示会に誘ったことや、自分も宝石を買ったとか。
 この時私は、“監禁されて”というかたちにはなっていましたが、隠していたことを家族に話すことができて、ほっとしたことを覚えています。

 それから父は、用意していた統一教会の教義の本『原理講論』を出してきて、「書いていることがよく分からないから、教えてほしい」と言うので、家族全員で、小さな円になり、段落ごとに読んでいくということをしました。

 途中、分からないことがあると、読むことを中断して家族が私に質問しますが、質問に答えることができた部分とできない部分がありました。
 私は説明したつもりでいても、家族にとっては説明になっておらず、納得できないと首をかしげていました。

(5) 『原理講論』を読み終われば、また最初から読むということが10日間ほど続くと、父親が、
「ここには、考える材料が少ないから、もっと本やビデオなど資料がたくさんあるところに行かないかい。そこには優しいおばあさんがいて、何でも教えてくれるそこは、こんなところじゃなく、玄関にも鍵をかけていないし、逃げようと思えば逃げられるところだ」
 と、言ってきました。



父親の表現は適切でない。「優しいおばあさんの格好をした、あかずきんちゃんを食べる牙むき出しの雌の老狼」が正しい。この表現に反論したい方は、コメント欄にどうぞ。
 おもて面は優しそうに見えるが、彼女は冷血である。彼女と面識がある宿谷麻子さんがPTSD(アトピー、睡眠障害など)に苦しみ、アパートに引きこもっていることを知っても、一片の同情心すら見せなかったのだから。

 私は3日間、真剣に考えました。
 
 閉じこめられている暮しは窮屈だし辛いけれど、また新しい場所に行くということに対しては不安がありました。元々、私は物事を判断するのが苦手で時間を要する方でした。
 部屋は1つで四六時中、家族の誰かと一緒にいるために息苦しく感じることもあり、一人になりたくて、トイレに長く居座ったり、キッチンの狭いスペースに座り込んで考えました。

この「一人になりたくて」という監禁された子どもの感覚は、監禁した側の家族にはなかなか理解できないようである)

「そのおばあさんとはどんな人なんだろうか・・・ここにいるより、もっと悪い状況になるんじゃないか・・・」

 その頃になると、外に出て外の空気を吸いたいし光を浴びたい、体を動かしたいと思い、玄関の扉の小さな穴から外を眺めては、家族に訴えていました。

「そのおばあさんの所に行けば、ここよりは自由だよ」
 という父の言葉を聞いて、私は行くことを決意しました。
 その間、父はそのおばあさんに携帯から「由香里にいのちの家のことを話しました」とか「これから向かいます」とか報告していました。

(6) おばあさんがいるところは、長野県小諸市にある「いのちの家」というところでした。

2003_0227画像0006

 おばあさんの名前は川崎経子さん。
 日本基督教団に所属する牧師さんということや、「いのちの家」を開設する前は、山梨県都留市にある谷村教会で牧師をしていたことは、後々知りました。

(7) そこに、7月末から、脱会届けを書いた12月15日まで約4ヶ月半ほどいました。

 父は初めの2週間ほどいて、仕事があるのであとは毎週土日に来るようになりました。兄も仕事に戻りました。

 私は初め体調不良により休みということになっていましたが、話し合いが長引くにつれ、辞めざるを得なくり、父親が会社に退職願いを出したそうです。

 突然辞めることになるとは全く思っていませんでしたので、また仕事や職場の仲間もいい人で辞めたくなかったですが、そんなこと言ってられませんでした。とても複雑な心境になりました。

 最後の頃、1ヶ月ほどは、母も家に帰り、私1人だけで勉強を続けました。
 いのちの家での勉強は、反統一教会の本を読んで、川崎先生が統一教会の問題点を語ったり、過去に統一教会がワイドショーで報道された時のビデオ20年以上も前の化石情報!)を観たり、キリスト教の聖書の勉強もありました。

 父の言った通り、いのちの家は夜になっても玄関に鍵がかかっていませんでした。
 初めの頃、脱走を考えた時もありました。
 けれど、逃げても何の解決にもならないと感じましたし、何よりも両親と分かり合いたいという気持ちが強くあって、逃げることはできませんでした。その時のことは、とても苦しかった記憶が残っています。

 私にとっては鍵がかかっているかどうかは、あまり関係がなく、ただ親を悲しませたくなかったのです。そういった意味で、いのちの家での生活は、一見自由に見えますが、「心理的な監禁」だと思いました。

 私は「いのちの家」での勉強によって、統一教会の言っていることにくい違いがあることや、文鮮明の過去の経歴なども教えてもらいました。

 私は、文鮮明が救世主ということに、少しずつ疑問を持ちはじめました。正体を隠して勧誘し、勧誘した人に多額の献金をさせるという、統一教会の活動の間違いについても、考えることができました。

 私は、12月15日に脱会届けを川崎先生に渡し、「いのちの家」から自宅に戻りました。

 家族に心配をかけ、気苦労をかけてしまったことを申し訳なかったと思っています。
(両親は、半年前から休日を利用しては、片道2時間以上かけて川崎先生のところに通っていたそうです)

 また、たくさんお金を遣わせてしまったことも、本当に申し訳なくなかったと思っています。
(マンスリーマンションと「いのちの家」の宿泊費だけでも、最低100万円以上かかっています)


私も一度だけ見学に行ったことがある。高速の関越道に入って、長野道を経て、佐久インターで降りて、田舎道をトコトコだったから、3時間はゆうにかかった。往復6時間かけた勉強会である。毎週日曜日に行っていたとすれば、勉強会は26回!にも及んでいる。


−続く−

コメント

勇気ある陳述書

<三田由香里は今後、統一教会信者といかなる接触も持たない。それを違反すれば三田家から除籍する」という文章を取り交わしています。>

両親に教会に戻ったと誤解され、除籍されるという恐怖と闘いながらの陳述書作成されたのは、大変な勇気だったと思います。

その勇気に敬意を表します。

と同時に、その後の三田さんの親子関係が気になります。

強制説得後、教会に戻った人は「再拉致監禁」を恐れ、脱会した人は、「教会に戻るのではないか、まだ繋がっているのではないか」と疑われるのを恐れる・・
どちらも親に対して、信じて、安心してないように思います。

弁護士の先生方
牧師さん方
弁護士、牧師になろうと思った時、目指していた時、なったばかりの時を思い出してください。
そして、その思いで三田さんが勇気を振り絞って書いた陳述書を読んでみてください。
それでも、自分達が行ったことが本当に正しい!というなら、「なかった」ことにしないで、「あった」こととして正々堂々と主張してください。

PS:記事の主旨とコメントがずれていると思います。ごめんなさい。


陳述書の内容について

はじめまして

陳述書の中で特に異様に感じたのは「除籍」の部分です。「エホバの証人」の「排斥」を連想させます。個人を切り捨てて組織を守るための無情なシステム、だと私は思っています。

拉致監禁という暴力に一度屈した人は、この先の人生選択において家族にもし何か、些細なことでも、反対されたとき、自分の考えや気持ちを主張できるのでしょうか?力で勝ったものは同じ手法を使えばうまくいくと思い込まないでしょうか?

私には親の動機が愛であるとは、どうしても思えません。

家族との決定的な対立を経験したことの無い私には、彼らの苦しみを推し量ることは出来ないかもしれません。ですが、たった一度しかない人生を、相手が親であろうと、隷属して生きるくらいなら、むしろそんな家は自分から出て行ったほうがマシだと思えてしまいます。

人間は社会性が高く、一人では絶対生きられませんが、それと同時に独立と自由を愛するプライドの高い、面倒な生き物です。

拉致監禁容認派の面々については、そもそも彼らの苦しみになど、関心も持っていないのは良く分かります。自主的に反省することの出来る人はとっくの昔に手をひているでしょう。

もう一つ、違和感が。私が居たところ(CARP)では、出来るだけ早く親に証をするよう言われていました。「こちらからきちんと話す前に、反対派から悪口を吹き込まれたら最悪だ」とアベルが言っていたので。まるで正反対です。

Re: 勇気ある陳述書

koyomiさん
>その後の三田さんの親子関係が気になります。

 はっきりとは言えませんが、おそらく陳述書を書く前の関係に戻っていると思います。
 ただ、記事中の注で、「後日暴露する」と書いたように、その後、「除籍」されてもしかたがないようなことが起きました。
 三田さんの陳述書をフォローする形で、私も意見書で、「この陳述書が両親に知られないようにして欲しい」と頼んだのですが・・・。


>弁護士、牧師になろうと思った時、目指していた時、なったばかりの時を思い出してください。
そして、その思いで三田さんが勇気を振り絞って書いた陳述書を読んでみてください。
それでも、自分達が行ったことが本当に正しい!というなら、「なかった」ことにしないで、「あった」こととして正々堂々と主張してください。

 koyomiさんの願いや希望は、一切届くことはないでしょう。なぜなら、彼らはすでに「汚れてしまった」からです。

 弁護士の一人、「沈黙の共謀」の主力メンバーである紀藤正樹弁護士は、当然のことながら、メーリングリストを通して、三田さんの陳述書を読んで
います。彼の感想は、
<困ったことになったなあ>
 この程度のレベルなのです。

藤原さん

 初めての投稿、ありがとうございました。これからもご愛読と投稿、よろしくお願いいたします。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://yonemoto.blog63.fc2.com/tb.php/308-f1050099