福島県教育委員会が県内1600の学校・幼稚園の放射線量を測定して場所と数値を発表したのは4月8日夕刻だった。インターネットでそれをみつけた私は、各市町村から高い数値ひとつふたつを選んでグーグルマップに数値をプロットした。それに8、2、0.5の等値線をつけて公開した。この作業に要した時間は2時間だった。これが、この種の放射能汚染地図の最初である。2週間後の4月21日、萩原佐知子さんがきれいにデザインしてくれた地図を初版としてインターネット上で公開した。
4月8日22時のグーグルマップと6月18日放射能汚染地図(改訂版)
私は100点余りをプロットして疲れてしまったが、その後、@nnistarさんが福島県だけでなく東北関東地方全域の自治体が発表する測定値を収集して、色分けして地図上にプロットする作業を続けている。たいへんな努力である。感謝したい。ここに掲げた地図は、6月18日までに@nnistarさんが収集した7000余りのプロットを私がみて等値線をすっかり引き直した改訂版である。@nnistarさんの地図のプロット数は6月28日時点で1万3000を超えているが、引くべき等値線のかたちはあまり変わらない。すべての測定値が、@nnistarさんのページに整理されて公開されている。
放射能汚染の分布を決めたのは風である。噴火によって火山から吐き出される火山灰は上空数キロから十数キロを吹く高空の風で移動するが、福島原発から漏れた放射性物質は地表風に乗って移動した。当時の気象データを見ると、上空1キロ以上の風ではこの分布を説明できない。放射性物質は高さ数十メートルの風に乗って地表をなめるように移動したのだ。盆地や山肌など地形の起伏を感じ取って分布しているのはそのためである。
福島原発から少なくとも三方向に汚染ルートが伸びている。それぞれ日時が違う。各地のモニタリングポストが記録した時間ごとの測定値を読み取ると、それぞれが次のタイミングで汚染されたことがわかる。
北へ向かって一関市に至った放射能雲は3月12日21時に南相馬市を通過した。南へ向かって東京に達した放射能雲は3月15日4時にいわき市を通過した。これは茨城県内で枝分かれして10時半に宇都宮市に、14時に郡山市に達した。枝分かれはもうひとつあって12時に前橋市に達したあと、夕刻以降に軽井沢町と沼田市に届いた。
飯舘村が深刻な汚染に見舞われたのは、同じ3月15日の18時のことである。その日は夕刻になって福島原発に吹きつける風が南東からに変わった。これが福島県にとって悪魔の風となった。特別に濃い放射能雲が出現して19時に福島市、20時半に郡山市に達した。郡山市はその日午後に南から汚染されたあと、夜になってふたたび北から汚染されたわけだ。この放射能雲は白河の関を越えて栃木県内に侵入し、那須と日光に達した。
千葉県東葛地方が汚染されたのは、その1週間後、3月21日から23日にかけてだった。21日6時に水戸市を通過した放射能雲は9時に東京新宿に達した。この3日間、関東地方には強い雨が断続的に降った。放射性物質を含んだ空気が北からやってきて、南からやってきた湿った空気とそこでぶつかった。東葛地方や霞ヶ浦にみられる汚染スポットのかたちと大きさは、放射能雲の濃度または雨の強さで決まった。
この汚染ルートとタイミングは、福島原発で起こった爆発日時と合わない。1号機は3月12日15時36分に爆発した。3号機は3月14日11時01分に爆発した。福島原発から大量の放射性物質が漏れたのは、爆発の瞬間ではなかった。爆発からしばらく時間を置いて、原発建屋から音もなく静かに漏れ出したようにみえる。
(週刊金曜日2011年7月8日発売号に提供した元原稿。週刊金曜日の許可を得て掲載。)