13日午前10時35分、ソウル鍾路区中学洞(チョンノグ・チュンハクドン)の在韓日本大使館前に、白髪交じりの高齢者が立っていた。片手には一束のばらを、他方にはフルートを手にしていた。
「日本帝国主義の過ちを謝罪する」と、1970年代、ソウルC溪川(チョンゲチョン)周辺で、貧しい人々に対し支援活動を行ってきた日本人牧師兼社会運動家・野村基之(81)さんだった。
大使館の向こう側に建てられた平和の碑の前に立った野村さんは、フルートを取り出し、洪蘭坡(ホン・ナンパ)作曲の「鳳仙花」を演奏した。演奏前の緊張のためだろうか、手は震えており、呼吸も苦しそうだったが、3分弱の演奏中は真剣な表情だった。演奏を終え、嗚咽した野村さんは、平和の碑の前に跪き、祈り始めた。
その場に立ち上がった野村さんは、「日本帝国による侵略の歴史が無ければ、『鳳仙花』と言う歌も生まれてこなかっただろう」と、選曲の理由を説明した。
野村さんは1970年代初頭から1980年代中頃まで、故諸廷垢(チェ・ジョング)元国会議員らとともに、C溪川や京畿道華城(キョンギド・ファソン)に貧民自活共同体の託児所を建設するなど、救済活動に力を入れてきた。
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