昨年11月に鳴戸親方(元横綱隆の里)を急性呼吸不全で亡くしたばかりの角界を、またも衝撃が襲った。
警視庁城東署によると、田子ノ浦親方は13日、部屋で家族と一緒にいた際に吐血し倒れた。午後4時45分ごろ、部屋から110番通報があり病院に搬送されたが、すでに心肺停止状態だったといい、その後、死亡した。46歳だった。
2003年に急性心筋梗塞で倒れたが、すぐに復帰。これを機に健康管理を徹底して行い、現役時代に200キロあった体重を50キロ以上減らしていた。死因などは14日に発表される見込みで、葬儀・告別式などは未定。
親方は相撲好きの父親の影響で4歳のころから相撲を始め、スケールの大きさで知られた。
和歌山・新宮高では身長1メートル86、体重160キロの堂々たる体格を誇り、3年連続で高校横綱。3年生時には史上初めて高校生でアマチュア横綱にもなり、怪物の名をほしいままにした。
教師志望であったこともあり進学した日本大学では1年生時から3年連続で学生横綱。大学時代に獲得した個人タイトル28個は史上最多だった。
1988年初場所に出羽海部屋から幕下付け出しでデビュー。大器と期待されながら、肩のけがなどで素質を生かせず、最高位は前頭筆頭だった。98年秋場所限りで引退。
輝かしい実績を誇ったアマ時代と比べ、プロでは不遇。ただ現役時代は誠実な土俵態度を貫き「俺は友達がいないからなあ」と苦笑いしたことも。昨今話題となった八百長騒動とはまったく無縁の力士で、全ては勝負に徹するためだった。
歌や料理がうまく、読書家で頭脳は明晰。2000年2月に田子ノ浦部屋を興し、弟子育成と相撲の普及に新たな情熱を燃やした。昨年九州場所で部屋初の幕内力士、碧山が誕生したばかり。「白鵬を倒す力士に育てたい」。その夢は、後進が引き継ぐことになる。
(紙面から)