2011-02-04
線が叫ぶ
画廊の二階に住む、ペルシャ猫のルルです。
もうずいぶん前の事で記憶は曖昧だが、たぶん豊田市美術館で、だったと思う。
通り過ぎようとした時、一枚の絵に呼びかけられた。
「おい!」と、絵の中の男が言った。
「僕だ! 僕だ!」
尖った肩をした細い男が、少し身体を斜めにして、小さく叫んでいた。
眼光は鋭くはない。媚びているようにも、泣いているようにも見えた。
その絵に近づくと、描かれた線が叫んでいた。
僕は初めて、エゴン・シーレの実物の絵に出会い、
そして魅了された。
以前はクリムトの装飾性が好きで、クリムトからシーレを知ってはいたが、
あくまでも画集の中の作品を見ただけである。
画集では性的に強烈な印象ばかりが目について、
その少し変質的な圧迫感に、嫌悪さえ抱いた。
僕を呼び止めたシーレの像は、道化師の衣装を着けていたと思う。
衣装の上にきれいな色が散らばっていた。
その日の僕は、何が原因だったのかはもう忘れてしまったが、
楽しく明るい気分とは、ほど遠い状態だった。
何かの不安を抱いていた、と思う。
いかに明るく色づけされていたとしても、
シーレの絵は、人を慰めたり励ましたりする類のものではない。
その叫びのような尖った線が威嚇し、不安を掻きたてるから。
その時僕は、呼び止める声にこう応えた。
「ああ、君はここにいたのか」
そして彼の叫びに胸を衝かれ、逆説的に自分の不安が癒されたと感じた。
――僕はひとりじゃない、
と。
今、僕はエゴン・シーレに関する古い本(画集ではなく)を読んでいる。
『永遠なる子供 エゴン・シーレ』 黒井千次・著(河出書房新社)
シーレは1歳半から28歳という若さで夭折するまで、止むことなく絵を描き続けた。
「猥褻な絵を子供に見せた」という罪と、「小女誘拐」の冤罪で、24日間拘留された牢の中でも、
第一次世界大戦で兵役にかり出されても、
絵を描いた。
意外にも、
彼の短い人生にはドラマチックな物語はない。
熱烈な恋愛さえもない・・・と思う。
彼はただ、絵を描くための平安が欲しくて、
田舎に引っ越したり、結婚をしたのではないか、とさえ思う。
しかし当時のオーストリアの田舎では、芸術家という人種は受け入れられなかった。
そして、結婚生活がうまくいけばいくほど、彼の絵は死んでいったように、僕には思える。
妻がスペイン風邪で死んだ3日後に、シーレも同じ病で死ぬが、
彼はその何日か前に、妻の病んで苦しげな顔までも、描いている。
シーレは描く事で、自分を探し続けていたのではないか。
自画像だけではなく、木や船を描いても、そこにシーレがいる。
エロチックな姿態の女を描いても、自分とは違う性を見つめる事で自分を探していた。
僕だ、僕だと、痙攣する線で叫びながら。
たぶんそれが、天才の、芸術家の、・・・生きるという事なのだろう。
「ああ、ここに、いてはったんでっか」
本に熱中していた僕のところへ、きみまろ がやってきた。
きみまろ・・・よう雪が降りましたなあ。今日はぬくといよって、散歩に行きまひょ。
芸術家でも、天才でもなくてよかったとしみじみ思いながら、
僕は本を閉じた。