今春の福島県でのコメ作付けを巡り、従来より厳しくなる放射性セシウムの新基準値(1キロ当たり100ベクレル)を踏まえ「制限を広げたい」とする農水省と、「コメを作りたい」とする産地がにらみ合っている。下流の卸・小売りには昨年産の福島米を敬遠する空気があり、消費者団体は「制限を緩めれば不信が増幅する」と警戒。原発事故がもたらした生産者と消費者の苦悩、混乱に収束は見えない。
「田植えの準備もあるから早急にしたいが、地元の皆さんが納得しないことを一方的に決めるのも紛糾のもとになる」。9日の記者会見で、筒井信隆副農相は作付け制限を巡る国の立場を説明した。
農水省は昨年末、11年産米で暫定規制値(1キロ当たり500ベクレル)超の放射性セシウムが検出された地域は「作付け制限が必要」との考えを示した。しかし、自治体からは「原則として作付けしたい」との意向が続出。一方、JA福島中央会は「500ベクレル超の地区は制限する」と逆の方針を掲げており、地元でも意見はくい違う。
500ベクレル超の地区はコメへのセシウム移行のデータを取る実験田として作付けし、100ベクレル超は除染などを前提に全面的な作付けを要望している福島市。100ベクレル超は31地区中18地区で、農地面積に換算すると市の全農地の6割に達する。ただし11地区では検出された農家が1~2戸にとどまり、市農政課は「一律に制限すれば、不検出だった農家に説明できない」と困惑する。4月上旬から全ての水田で除染を始めれば、多くの水田が新基準値を下回るとみている。
風評被害への懸念も根強い。桑折町は「作付け制限地区だと見られれば、桃などの売り上げにも影響が出る」。相馬市は「100ベクレル以下でも売れていない。市場に出すのは検出限界値未満(ND)と定め、他は国が買い取るなどの措置が必要」と、国の対策に期待する。一方、11年産米すべてがNDだった会津地方では、作付けに慎重な意見が相次ぐ。昨秋は国の検査後に暫定規制値超えのコメが相次いで見つかったことが福島県産米全体への不信感を広げた。JA会津みなみは「耕作したい農家の気持ちは分かるが、消費者の立場とは違う」と指摘する。
作付け制限地区のアフターケアも今後の課題だ。水田は一度作付けをしないと荒廃し、簡単に再開できなくなる。各市町村の担当者らは、農家が農業を続けていく意欲を低下させ、農業人口の減少につながることを懸念し、「食用にしない条件でコメを作ってはどうか」との要望も多い。
だがある同省幹部は「実験田を作るとしても、全域でやるわけにはいかない。汚染米が作られれば、食用米に混入するリスクはどうしても残る」と慎重だ。08年には、工業のり用などとして出荷された「事故米」が菓子の原料などになっていた問題が発覚している。【曽田拓、深津誠、清水勝】
昨年、福島県では約8500ヘクタールが作付けを制限された。地震・津波被害を含めれば県全体の作付面積は6万4400ヘクタールと前年比1万6200ヘクタール減り、生産量も全国4位(44万5700トン)から7位(35万3600トン)に転落。作付け制限による大幅な生産減が続けば、コメどころ福島の地位は揺らぎかねない状況だ。
業界団体などによると、11年福島県産コシヒカリの取引数量(卸業者の買い入れ量)は2月第1週までの累計で前年同期の4分の1程度にとどまる。特に昨年12月以降の落ち込みが激しく、業界関係者は「消費者の反応を気にして敬遠する業者が多い」と話す。
価格面にも影響は出ている。農水省がまとめたコメ取引価格(卸業者の買った価格)は全国的には安値だった前年より2割程度高い値が続く中、福島県の中通り産コシヒカリは昨年12月時点で14%高と伸び悩む。全国農業協同組合連合会福島県本部(JA全農福島)は先月30日、卸業者に示す基準価格を60キロ当たり500~1500円引き下げ、中通り産コシヒカリで1万3800円などにした。割安感を武器に販売先を確保する狙いだ。
作付け制限の行方には、消費者サイドも注目する。主婦連合会の山根香織会長は「生産者には気の毒だが、コメは主食なので、厳しくなる新基準に合わせてしっかり作付け制限すべきだ。それが福島産米への信頼を回復させ、ひいては福島の復興につながる」と指摘。さらに「作付けを制限される農家は原発事故の被害者。国の補償や東京電力の賠償などできちんと救済していくべきだ」とも語る。
一方、国の食品安全委員会の専門委員を務めた消費生活コンサルタントの市川まりこさんは「従来の暫定規制値でも健康に影響はないが、ゼロ・リスクを求める消費者はおり、対策を尽くしても国民全員の不安を解消するのは不可能だ。新基準値を超えるコメを流通させないのは当然だが、農家の営農意欲を維持し産地を守るためには、なるべく作付けを認め、最後は消費者の判断にゆだねるべきだ」と提言する。【行友弥、井上英介】
毎日新聞 2012年2月10日 東京朝刊