大村京佑の哲学講座。緊急時は老婆を見捨てて子供を助けるべし
僕の発言に対して、「正体見たり、残念な方」というコメントをいただきました。
投稿者:大村京佑
東北大震災で80歳の老婆を助けるために7人の40代男が津波に飲まれた例がありますが、本当にバカげた話です
投稿者:匿名ユーザ (未認証ユーザ)
大村さん
少し前から時々このブログを拝見していました。
いったいどんな方なのかと興味をもっていたのですが、この発言「東北大震災で80歳の老婆を助けるために7人の40代男が津波に飲まれた例がありますが、本当にバカげた話です」には、少し驚きました。
あなたは「80歳の老婆」の命を「7人の40代男」の命と比べるのですか。そして、はっきりと「7人の40代男の命」の方が大切だと思うのですか?
あなたには母親はいませんか?
なにより人の命を助けようとして死ぬことは馬鹿げたことですか?
いろいろと見聞も広く知識も豊富で器用な方とお察しいたしますが、この発言を見て正体見たりというか、典型的な現代の日本の男性というか、残念な方なのかなぁと思いました
僕からすると、この事件の話を聞いておかしいと思わない方がおかしいと思うのですが、まあ、これが普通の日本人の感覚なのでしょう。
日本人は同調主義です。
空気を読んで、人に合わせることが正しい。
自分でモノを考えると他人と衝突することになるから、なるべく自分でモノを考えない。
マニュアル人間になる。
マニュアル人間とはすなわちロボットです。
だから日本人はロボットが大好き。
マジンガーZ、ガンダム、合体ロボ。
ロボット人間はプログラムされた内容は正確に再現します。
しかしロボット人間はプログラムされていない場面に出くわすと固まって動かなくなる。
判断不能になる。
津波という状況がまさにその場面だったと思います。
40代の男と言えば、普通なら妻子がいます。
子供は小学生か中学生ぐらいでしょう。
80歳の寝たきり老婆を助けるために働き盛りの40代男7人が死ぬということは、7人の命が無駄になると同時に、その後ろに控えた7人の妻と10数人の子供たちが路頭に迷うということです。
もうすぐ死ぬ老婆のために7人の男が死んで合計20数人の女子供が路頭に迷う。
これをバカげた話と言わずして何がバカげた話なのでしょうか。
これこそ日本の美徳?
僕から言わせればこんな日本の美徳は愚の骨頂、アホの北極点です。
これはアホの坂田
死んだ7人の男たちも、自分の妻子のことは考えなかったのでしょうか。
おそらくこの7人は空気に負けたのでしょう。
この事件では一人だけ生き残りがいるのですが、合わせて8人という小集団は空気を作れる単位です。
彼らは地元の消防団員だったので、人を助けるという義務感がまず前提としてあった。
80歳の寝たきり老婆を家から搬出しているうちに、津波が迫ってきた。
自分の妻子のことを考えたら、老婆など放り出して逃げたかった。
しかし同調主義の日本人は批難に弱い。
そこ逃げ出してしまうと、「お前に母親はいないのか」などと後から人に批難される可能性がある。
そこで批難されるくらいなら、妻子を残して死んでしまえということです。
残された合計20数人の妻子たちは今何を考えているのでしょうか?
たった一人の80歳の寝たきり老婆を助けるために死んだ夫・父親を誇りに思っているのでしょうか?
アホな判断をしたアホな大人たちへの批判を控えることは、一見すると親切心にも見えます。
しかしそれは自分たちのアホさをごまかす為の目くらましに過ぎないのです。
アホを擁護することによって自分のアホを隠す。
隠して隠して一億玉砕。
なぜ日本では誰も怒らないのですか?
欧米は哲学の文化です。
最近はサンデルの哲学講座が話題になりました。
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか? 金持ちに高い税金を課し、貧しい人びとに再分配するのは公正なことだろうか? 前の世代が犯した過ちについて、私たちに償いの義務はあるのだろうか――。
平時の敬老精神は良いでしょう。
しかし非常時での敬老精神は間違っている。
非常時ではむしろ老人から見捨てるべきであり、そういったマニュアルにとらわれない柔軟な発想を養うことが哲学の目的です。
ここで僕もサンデル教授にならって哲学講座をします。
設定 「津波が迫っています。80歳の寝たきり老婆が家にいます。あなたならどうしますか?」
答え 「たとえ自分の祖母でも放っておいて逃げる。そもそも津波が届く海岸沿いの家で寝たきり状態が迷惑」
設定 「津波が迫っています。自分は寝たきりです。救助が来ました。あなたならどうしますか?」
答え 「救助を拒否する」
設定 「津波が迫っています。子供が泣いています。あなたならどうしますか?」
答え 「連れて逃げる」
設定 「老婆を見捨てました。お前に母親はいないのかと批難されました。あなたならどうしますか?」
答え 「無視する」
僕は若いときはよく怒っていたのですが、最近は怒らなくなりました。
本当はもっと怒りたいのですが、怒るという行為はとても疲れる行為なのです。
自分が怒るよりも怒る若者に知恵を貸す方が楽だと思ってブログを書いていますが、どうもこのブログは若者の読者が少ない感じで残念です。
- 大村京佑さんのブログ
- 新しいコメントの追加
- 参照(983)
- Permalink
コメント(29)
はじめまして。 大村さんの指摘にひとつ付け加えれば、日本人
はじめまして。
大村さんの指摘にひとつ付け加えれば、日本人は人を助けるために自分が犠牲になることを、美徳とする心があります。
今回の地震でも、町役場の防災放送を最後の最後までやり、津波の犠牲になった女性がおりましたが、感動美談としてマスコミなどに紹介されております。
逆に、ご指摘の状況で逃げだした場合、「卑怯」「ずるい奴」などと思われ、後々自分でも自責の念にとらわれてしまうと思われます。「あのとき、死んでしまえばよかった」と思い詰めてしまうかも知れません。
大村さんのおっしゃることは正論だと思いますが、僕がその場にいたら、大村さんのように割り切ることができるか自信がありません。
舐め犬さん、ようこそ 英語で言うとバター・ドッグですね。
舐め犬さん、ようこそ
英語で言うとバター・ドッグですね。
舐めるのは僕も好きです。
でも舐められるのはもっと好きです。
しかし舐められてうれしいのはアソコだけであって、人格の方は舐められてはダメですね。
世の中、自分は何も努力せず、人に要求するだけの人間は多い。
そういった人間の頭には社会正義などといった観念はありません。
自分は何の努力もせず、ただ人に要求する。
「男は働け!卑怯者!女は弱者!弱者は正義!」
ハイエナのような連中です。
あなたはよく言えば人が良い。
悪く言えば気が弱い。
あなたのような人間はそういったハイエナ族にとって格好のターゲットです。
骨の髄までしゃぶられる。
男は舐めるのも良いですが、舐めさせることも忘れないようにしましょう。
女を教育するのも男の仕事のうちです。
先のコメントを書いた者です。 大村さん、若いですね。 厚み
先のコメントを書いた者です。
大村さん、若いですね。
厚みも奥行きもないぺらぺらの人間なんですかね。本当に残念な方ですね。まぁ、そのうち年をとれば考えが変わることもあると思いますが…
先の豪華客船の事故では、船長はもちろんいい年した男性たちが我先にと争って救命ボートに乗り込もうとして、女子供が先だという若い男性ともみ合いの喧嘩になったという報道もありました。
大村さんは、きっと、なりふり構わず真っ先に救命ボートに乗り込むタイプですね。きれいごと言ってる暇があったら、俺は助かるぞって
寝たきりの老婆を、津波などの災害時に助ける必要はないという意見はわかりました。では自分で身動きとれない身体障害者の方や知的障害のある方についても同じようにお考えですか?
おそらく答えはYESでしょうね
老婆を助けるか助けないかの問題は日本人云々という問題ではないです。ですが、あなたの意見は現代の日本人の薄っぺらさを象徴しているかのようで、日本社会の病理をまざまざと感じさせてくれます。
こんにちは。 こういうことですね。 おぼれている人がいたと
こんにちは。
こういうことですね。
おぼれている人がいたとして、先ず、助ける前に年齢を聞く。自分より年上だとわかったら見捨てる。
なるほど。
初めまして。 いつもブログ読ませていただいてます。 他の方
初めまして。
いつもブログ読ませていただいてます。
他の方のコメントの意味がよく分かりません。
津波の時のような一刻を争う非常事態に老人より若い人の命が優先されるのは全然間違ってないと思うのですが。
皆もっと「津波てんでんこ」の伝承の意味を考えるべきだと思います。
再び、件のコメントの発言者です。 幼い子供の命が優先される
再び、件のコメントの発言者です。
幼い子供の命が優先されるのは当然だと思いますよ。
幼児を助けるか老人を助けるか、二者択一を迫られる状況では、幼児を助けるのが当然でしょう。
でも、そんな決断は簡単なことではありません。「苦渋の選択」です。まともな感覚の持ち主であるなら。
老人を助けようとする行為を馬鹿げていると一蹴する「心」は、人としてあまりにも浅はかであり荒んでいます。
日本人としてどうか、ではない。人間としてどうか、という問題です。
「件のコメントの発言者」さん、発言者のともこさんは「津波て
「件のコメントの発言者」さん、発言者のともこさんは「津波てんでんこ」と言っています。
人の発言を良く聞いて適切なコメントを返してください。
対話が成立していない発言は今後一方的に削除します。
ともこさん、ようこそ 東北には「津波てんでんこ」という言葉
ともこさん、ようこそ
東北には「津波てんでんこ」という言葉があるらしいですね。
初めて知りました。
「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分の命は自分で守れ」になるという。また、自分自身は助かり他人を助けられなかったとしてもそれを非難しない、という不文律にもなっている。
40代男性らが老婆の救出のために波に飲まれたことは単に結果
40代男性らが老婆の救出のために波に飲まれたことは単に結果論であって、男性らは別に命を捨ててまで助けにいったとは到底思えません。老婆を助けに行って皆生還できる見込みは十分ある、または途中で厳しい状況になっても老婆救出を諦めて、引き戻って助かる見込みはある、という判断で救助に向かったはずですので、一概にその一部始終に対して馬鹿げているという発言をするのはやはりどうかと思います。そういう判断もなく一目散に助けに行ったというのであれば、大村さんと同じく馬鹿げた話であるということに対して同調しますが。救助に行ったということはもちろん褒められるべきことですし、もし救助にいかなかったとしてもそれは避難されるべきことではないでしょうから、馬鹿げた事と一蹴するのはあまりに短絡的すぎです。男性らが老婆の救助に向かった→助けられずそれどころが自分らも波に飲まれて死んだ、という一連の事実に対して当事者の意図や考えを無視して、ひとことで馬鹿げた話だとするのはあまりにも無理があります。
それから、「40代の男と言えば、普通なら妻子がいます。」ということですが、今の時代そのような考えはもはや普通ではありませんし、「その後ろに控えた7人の妻と10数人の子供たちが路頭に迷う」というのも、女性も十分働いて子供を養っていける現在の社会を考えればそう簡単に路頭に迷うこともないと思いますが。古い考えに惑わられずもう少し柔軟な考えをしてもいいのではないでしょうか。
私個人、その救助の映像や一部始終の詳細を知りませんので、お門違いの発言でしたら御容赦ください。
この話はテレビでやってましたが、生き残った人は疑問を感じつ
この話はテレビでやってましたが、生き残った人は疑問を感じつつも何も言えなかったことを後悔しているような話しをしていました。
そもそも、寝たきり老人が海辺に住んでいるという前提自体が馬鹿げた話というか、迷惑な話だと思います。
自由には責任が伴います。
海辺に寝たきりで住むことが居住の自由とするなら、それに伴う危険も自分で引き受けるべきだと思います。
あと言論の自由。
日本の感覚は名誉毀損を重視して言論自由を制限しますが欧米は逆です。
言論自由を重視して名誉毀損を軽視します。
そしてそれは事実から学ぶという姿勢だと思います。
死者の名誉を重んじて事実を封印する考え方。
事実をオープンに論じることで犠牲を無駄にしない。
僕は後者の考え方を支持します。
>女性も十分働いて子供を養っていける現在の社会を考えればそう簡単に路頭に迷うこともないと思いますが。
だから非常時でも敬老精神は大事ということでしょうか?
僕の感覚ではそれは常識を超えたキチガイ沙汰であり、妥協できる点は一切ありません。
初めまして。 私は大村さんの意見に賛成です。 私には乳児が
初めまして。
私は大村さんの意見に賛成です。
私には乳児がいます。
もし、非常時に老婆を発見しても、助けに行かないと決めています。
心に誓っています。
私は私を頼っている子供の事を、何をするにも念頭に入れています。
だから助けません。
でも、子どもだったら助けます。子供は世の中の宝です。見捨てません。
子供は我が子もよその子も同じ。助けます。
私のような働き盛りの世代は次世代の為に命を懸けるべきだと思います。
反対に私が老婆だったら、誰にも気づかれないように津波にのまれたかったでしょう。
まだ生きたいだなんて思いません。
誰の役にも立たず、年金の世話になって生きるのは
私はイヤです。
死ぬまで次世代の為に生きたいです。
今の若者は・・・・とよく言われますが
今の年寄は欲深く、がめつく、昔の年寄と大違いだと私は感じています。
昔の年寄は、なんでもくれました。
自分に取って置くようなことはしませんでした。
私はそんな年寄になりたいです。
今の国の借金を自分たちの世代でなんとか返したいと
いつも思っています。
若者に希望を作ってやるのも大人の仕事ですよ。
死ぬまで怠けずに、次世代の為にやってあげませんか?
薄っぺらい若者などという前に、がめつい大人をなんとかしてほしい!!
seishikaさん、ようこそ 最初から最後まで同感です。
seishikaさん、ようこそ
最初から最後まで同感です。
あなたのような母親から生まれた子供は幸せです。
男から見ても「こんな人にこそ自分の子供を産んで欲しいな」と感じさせるような意見です。
こんにちは。 大村さんの意見に賛成です。 そういう風に思っ
こんにちは。
大村さんの意見に賛成です。
そういう風に思っていても、口に出すと叩かれるのが嫌なので、口にしない人も多いと思います。
私は、助けに行く時は、自分も生きて帰れるか、もしも自分が救助に失敗して死ぬ時は、私が死んだ時に泣く家族が何人いるか、考えます。
夫が救助に行って死ぬかもしれない場合は、止めます。子供の生活がかかっていますし、親が泣きます。
他人の親を助けに行って死んだら、それこそ親不幸です。
日本人て忠臣蔵のお話が好きですよね。わたしは、???です。
バカな殿様のために、妻子を残してかたき討ちに行って、切腹というのは、私はよいことではないと感じます。
でも、日本人は忠臣蔵が好きな人多いですよね。
自分や家族を犠牲にして大義名分を大切にする風潮があると思います。
気持ち悪いです。
そういう考えが、日本を第二次世界大戦に向かわせたのだとも思います。
家族や自分の人生が大切です。と口に出して言えたら、戦争になっていないかもしれません。
りかさん、こんにちは。 はじめましてかな? 僕も忠臣蔵は嫌
りかさん、こんにちは。
はじめましてかな?
僕も忠臣蔵は嫌いです。
「俺は討ち入りには参加しないよ。妻子が大事だからね」と言った人間は卑怯者。
大して意味のない武士の名誉とやらのために妻子を犠牲にした男は英雄。
異常です。
いや、もしかすると義士は英雄ではないのかもしれない。
空気に流された男たち?
特攻隊と聞くと勇ましいイメージがありますが、実際は逆で気の弱そうな人が多かったらしいです。
ノーと言えない人たち。
このあたりは面白いテーマなので、今度ブログで書きます。
ごもっともですが、気持ちが悪くなりました。 テレビで見る大
ごもっともですが、気持ちが悪くなりました。
テレビで見る大日本婦人会のオバサンたちの様子を思い出したので。
それと、「子どもは助ける」なら、最後までそうなさるのでしょうか。
それができれば立派だと思いますが。
たとえば、流されそうな時、ちょっと手をつかんでやっても、自分の子が落ちそうになったら手を離すんじゃないでしょうかね。
助けられた子が、「助かった」と思って他から手を離していたら、一度も手をつかまなかったよりも残念なことになるような気がするんですが。
自分の子のための権利だけを主張しているのでは、言ったもの勝ちだし、今の世の中、「子どものため」というのは何よりも大義名分だと思いますから。それこそ「空気」に蔓延してます。
人間が繁栄してきたのは、血縁でない間柄でも助け合ってきた結果だという説があります。
「役に立たない者は死ね」という意見は、子殺しをするチンパンジーと人間の中間にあるような気がします。
「子どもなら助ける」とおっしゃる方は、自分の子どもと同じ時間を生きる子どもたちに、すでに手を差し伸べていないのなら、今すぐ何かしてあげてほしいものです。
100円でいろいろなことができるそうですから、簡単なことではないでしょうか。
「国際化」の時代、今回の大震災でも世界の各地から支援が寄せられたそうですから、「あなたのお子さんのために」やっておいて損はないと思いますよ。
管理人追記:投稿者:ソナム
何か勘違いをしてらっしゃいますね。 「役に立たない者は死ね
何か勘違いをしてらっしゃいますね。
「役に立たない者は死ね」なんて意見はどこにもなかったと思います。
ここで僕もサンデル教授にならって哲学講座をします。 設定
ここで僕もサンデル教授にならって哲学講座をします。
設定 「津波が迫っています。80歳の寝たきり老婆が家にいます。あなたならどうしますか?」
答え 「たとえ自分の祖母でも放っておいて逃げる。そもそも津波が届く海岸沿いの家で寝たきり状態が迷惑」
これをそう思ってしまいました。
他にもあったかもしれませんが。
やっぱり妄想が入っていますね。 あと、匿名は本当に嫌いです
やっぱり妄想が入っていますね。
あと、匿名は本当に嫌いです。
今までの匿名発言に名前を入れていいですか?
それは困ります。 謝りますし、二度と訪問しません。 ごめん
それは困ります。
謝りますし、二度と訪問しません。
ごめんなさい。
今までありがとうございました。
ハンドル名は出しましたが本名は伏せます。 お元気で。
ハンドル名は出しましたが本名は伏せます。
お元気で。
災害時の医療現場のトリアージを参考に、、、 皆さんのコメン
災害時の医療現場のトリアージを参考に、、、
皆さんのコメントを見ていて思ったのですが、感情的な話のレベルにとどまっていて、合理的でありません。
命を年齢で差別してよいのか?とか、年寄りを見捨てるのか?という話になるから、もめるのだと思います。
これを、災害時の救命の医療現場で行われているトリアージを例にあげると分かりやすいと思います。
ウィキペディアより
トリアージ(Triage)は、人材・資源の制約の著しい災害医療において、最善の救命効果を得るために、多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を決定すること。特記すべきとして、優先度決定であって、重症度・緊急度決定ではない。すなわち、人材・資材が豊富にある平時では最大限の労力をもって救命処置され(その結果、救命し社会復帰す)るような傷病者も、人材・資材が相対的に不足する状況では、全く処置されない(結果的に死亡する)場合があるということが特徴である。語源はフランス語の「triage(選別)」から来ている。適した和訳は知られていないが、「症度判定」というような意味。ただ、一般病院の救急外来での優先度決定も広義のトリアージであり、識別救急(しきべつきゅうきゅう)とも称する。
簡単に例をあげると、
重傷患者一人に医師が長時間かかわっていて、他の助けられる人10人を治療できないのであれば、そのてのかかる重症患者を見捨てて、大勢が助かる順位で治療をするということです。
一見非道に見えますが、「最大多数の最大幸福」という観点からは、正しいことが国際的に医療現場では認識されています。
平常時では、もちろんどの命も最大限尊重されるべきですが、非常時には別の基準で考えるべきであるということです。
医療現場では、トリアージは標準化しつつありますが、災害救助の現場でも、トリアージの方法を研究するべきだと思います。
個人や組織の倫理で考えるレベルではないからです。
そうすれば、無用に個人が非難されることはなくなり、もっと大勢が助かるようになります。
>平常時では、もちろんどの命も最大限尊重されるべきですが、
>平常時では、もちろんどの命も最大限尊重されるべきですが、非常時には別の基準で考えるべきであるということです。
ん?
それを議論しているはずなんだけどな。
Benthamのutilitarianismを地でいくよう
Benthamのutilitarianismを地でいくような意見が続きますね。
ご自分が、その「大勢のために犠牲にならなければならない少数派」になった時、どのように感じるか想像すらできない人ばかりなのだとお見受けしました。(というか自分は決して少数派にはならないと思っているのかも?)
そのうちわかる時がくるといいですね。そしたら、やっと、人間らしい人間になれますよ
何か勘違いしてらっしゃいますね。 「老人か子供か?」の選択
何か勘違いしてらっしゃいますね。
「老人か子供か?」の選択と「多数派か少数派か?」の選択は次元が違うと思います。
それに最近は高齢化社会で老人の方が多数派です。
正直、自分は寝たきり老人を助ける為に危険は冒したくないです
正直、自分は寝たきり老人を助ける為に危険は冒したくないですね~
逆に自分が寝たきり老人の立場なら、危険を冒してまで助けて貰わなくてもいいです
こんな事言ったらヒューマニストの餌食になるので普通は黙ってますが
戦闘機にのって敵国戦艦に突っ込んでお国のために玉砕しろ!と言われたら故意に海に不時着します
福島原発の横でとれたホウレン草を毎日しこたま食べて福島を応援しろ!と言われても食べません
国家破綻なので貯金や不動産を全て国家に召上げろ!と言われたらキャピタルフライトします
こういう考えの人間は生きてる価値すら無いのですかね?
それが普通なんですけどね。 個人が幸せに生きるために社会が
それが普通なんですけどね。
個人が幸せに生きるために社会がある。
社会が個人を不幸にするなら社会に参加する義務は無い。
勝手に一人で生きる。
欧米はそんな考え方です。
日本は島国なので、そういう生き方、考え方が育たなかった。
村八分なんて本当は大して怖くないんですけどね。
全く同じ考えです。 ついでに言うと、よそ様の子ども様の生き
全く同じ考えです。
ついでに言うと、よそ様の子ども様の生き死にも関係ないですから、自分の家族だけで逃亡します。
希望の見えない日本に固執はしません。
自分が一生懸命働いて、できるときは手助けをして生きても、年を取って動けなくなれば収容所に入れられてさっさと死ねと言われるかもしれない国ならば、自分が動けて、少しでも金を持っているうちに出て行った方がいいですね。
どの世界でも同じかは知れませんが、自分で決めたところならば、そこでどのような目に遭おうと仕方がないと思えますから。
人は根が無くて幸いです。
管理人追記:投稿者:ソナム
上に付け加えますと、自分の子どもでも面倒を見てくれるように
上に付け加えますと、自分の子どもでも面倒を見てくれるように育てられないかもしれませんから、死ぬ時が来たら受け容れなくてはならないでしょうね。
面倒を見させるために子どもを育てるのではないですし。
全て、自己責任、ということでしょう。
管理人追記:投稿者:ソナム
最初は、「80歳の女性を助けるために、7人の40代(=労働
最初は、「80歳の女性を助けるために、7人の40代(=労働力)の男性が亡くなったのは、『私には幼い子どもと妻への責任があるんです!逃げます!』と言えなかったこと、言わせない空気を失くせ」という提言だったのではないかと思ったのですが、どちらの命を優先すべきか、そもそも命について選別することを容認してもいいのか、になっているみたいですね。
自分は、「80歳の女性」を助けなくてもいい、
でも、「未来ある子どもたち」を優先しなくてもいいと思います。
もちろん、今、「子ども」という立場の人たちに、この世の中がこうなった責任はないかもしれない。
でも、昔「子どもだった」人たちにも、世の中がこうなったことに責任はない。
「どこで、誰が、責任をとるか」、なんて無くて、最終的には、「その世の中で生きるか、自分の選択に責任を持つ」だけ。
自分で動ける人はそれでよく、高齢者や子どもは、彼らを大事に思う人だけで世話すればいい、ということにすればすっきりしますね。
誰でも自分が大事に思うことのために頑張ればいいじゃないですか。
助け合うなんて、幻想ですよ。
「私の大事なものを社会全体でも大事に思え!」なんてことは、すでに脅迫ですね。
まさしく「空気」ですよ。
だから、7人の男も、空気に従うこと、妻子を残すこと、すべては自分の自己責任。
誰がそうさせたか、なんて、そこに生きることを選んだ自分でしょう。
愚かかどうかなんて、他人が考える必要もない。
もう考えるのはやめにします。
提起してくださってありがとうございました。
管理人追記:投稿者:ソナム