2012年2月3日03時00分
■何でも教えてくれる先生
父は英文法が専門の大学教授でした。大学で教壇に立つ一方、自宅では私の先生でした。
小学4年生のころ、風邪で学校を休んだ時のことです。その日の算数の授業は分数の約分や通分でした。次の日に学校に行くと、みんなは理解していましたが、私は分からず、つらい思いをしました。自宅に帰り、父に「算数が分からなくなった」と泣きつくと、分かりやすく教えてくれ、安心した記憶があります。専門の英語以外でも聞きたい時には、いつも教えてくれる大切な存在でした。
自宅では2階の書斎でいつも論文を書いていました。周りには本がいっぱい積まれ、本に埋もれているようでした。部屋の入り口からパソコンに向かう後ろ姿を見ると、かっこいいなと思いました。まさにおやじの背中です。親が仕事をする姿っていいですね。
私が気象予報士を目指したのは、音楽大学に通っていたころです。当初は父のように学者になろうと、卒業後に理系の大学に入学し直そうと思っていました。でも、ピアノも続けたかった。両立する道を考え、資格試験を目指したのです。幼い時から宇宙や空が好きで、図鑑で雲の名前を調べたこともありました。中学時代から科学雑誌「ニュートン」の愛読者です。
「学校に通いたいので、援助して下さい」と父に電話で決意を伝えました。一度、決めたことはやり抜く。そんな私の性格を理解する父は「おお、頑張れ」と背中を押してくれました。学びたいという気持ちを応援してくれ、感謝しています。
2年かけて、3回目の試験で合格しました。試験の前、父に「次の試験で合格しなかったら、やめる」と宣言していたので、ほっとしました。
父は2年前に退職し、今は甲府市の実家で暮らしています。私が出演するテレビ番組を見て、間の取り方や話すスピードなどいろんな指摘をします。最近は「少しずつ落ち着いて話せるようになったね」とほめてもくれます。今でも私にとっての先生ですね。(聞き手・峯俊一平)
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おかむら・まみこ 気象予報士、ピアニスト。昨年4月からNHK「ニュース7」で土、日曜の気象情報を担当する。フルート奏者の母の教えで2歳からピアノを弾き始め、親子でコンサートも開く。28歳。