| 38(サンパチ)豪雪・上越線の記録 |
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| -はじめに- |
昭和37年の暮れから翌38年の1月下旬にかけ、大陸からの強い寒気団が北陸地方を中心とした日本海側を次々と襲い、これらの地方では断続的に雪が降り続きました。特に昭和38年の1月23日頃に来襲した寒気団は現代風に言うと「超一級の寒気」を伴っていたため、新潟県内では中越地方を中心に平野部の広い範囲で未曾有の大雪に見舞われます。この昭和38年の大雪はのちに「サンパチ豪雪」と呼ばれ、昭和56年の「ゴウロク豪雪」同様、今なお引き合いに出される伝説的な大雪害になりました。
豪雪に見舞われた昭和38年の1月22〜25日頃の新潟市内は1日の降雪量そのものは10〜20センチと少なかったものの、他の期間と比べて平均気温が極端に低くなっており、日中でも氷点下という日が4日間ほど続きます(注:長岡を中心をする中越地方の当時の観測データが見当たらなかったので、新潟市の観測データを参考にしています)。通常、冬型の気圧配置が緩みはじめる際に強い寒気があると、新潟県内では里雪(平野部の雪の量が多い事)に見舞われますが(対照的に、山間部の雪の量が多いと山雪と呼ぶ)、この時はかなり強い寒気に加えて何らかの気象条件が重なり、雪国の人でも経験した事のない大里雪に見舞われる事となりました。
このサンパチ豪雪で受けた鉄道被害は甚大で、新潟県の鉄道の要衝・長岡駅が大雪で使用不能に陥ったために上越・信越線の大動脈が長岡を中心に寸断され、新潟〜東京を結ぶ鉄道ルートは磐越西線のみとなります。したがって、上越・信越線が不通になった当初、ダイヤが乱れつつもかろうじて運行を確保していた磐越西線に東京方面の旅客を振り替えようとしましたが、ほどなくして同線も不通に陥り、新潟と東京を結ぶ鉄道ルートは全滅となってしまいました。 また、新潟県内の他の線区でも不通区間が続出し、新潟鉄道管理局管内のダイヤは大混乱を通り越して異常事態へと発展し、局開設以来初めての大災害となります。
このページでは、このサンパチ豪雪における上越線関連の出来事を、延べ5日間にわたって小出駅に滞留した下り急行「佐渡」の記録を中心に紹介していきます。 |
| 1、未曾有の豪雪 |
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| ↑雪の土合駅(本文と関係なし) |
昭和37年の年末以来、度重なる降雪で来る日も来る日も除雪に明け暮れていた国鉄だったが、散発的な遅延・運休はあったものの主要路線の輸送は何とか確保していた。しかし、昭和38年1月23日の夕方から降り始めた雪は凄まじい量で、長岡・三条を始めとする中越地方の平野部を中心にドカ雪、場所によっては猛吹雪となった。これに対応すべく、国鉄の新潟鉄道管理局は大量の除雪車両や要員を投入して徹夜で輸送確保に努めたが、降り続く雪の量が国鉄の除雪能力よりはるかに勝っていて焼け石に水状態だった。その結果、努力の甲斐もなく翌24日朝に長岡駅付近への列車進入が不可能となり、新潟と東京を結ぶ幹線である上越・信越両線が長岡で寸断されてしまう。
一方、長岡以外の新潟県内の国鉄線は既に前日の夕方頃から影響が出始めており、上越・信越・弥彦・越後・磐越西線の所々で雪害のために列車が立ち往生する事態に見舞われている。23日の時点で上越線のどこでどのような列車が影響を受けたのかはわからないが、24日の朝に長岡が寸断されるまで上越線の運転はなんとか確保されていた。したがって、23日に上越線内で影響を受けた列車は散発的な抑止・復旧を繰り返していた程度で、長時間にわたって不通という状況には陥っていなかったようである。磐越西線も同様で、24日朝に不通に陥った上越・信越線の振り替え輸送を同線に試みたぐらいだから、完全に不通に陥ったのは24日の昼以降という事になる。
上越線以外で立ち往生した列車については自衛隊や地元消防団の力を借りて救出しよう試みるが、断続的に降り続く雪に対して除雪が追い付かなくなった為、列車単位の立ち往生に留まらず、線区そのものが不通になる事態へと次第に発展していった。先ほど登場していない只見線・魚沼線・飯山線も軒並み不通になり、新潟県内のダイヤは、なんとか列車が運行されていた路線も含めて異常事態へと発展していく。
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| 2、大混乱へ |
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| ↑数々のドラマがあった小出駅 |
昭和38年1月24日に異常事態に突入した新潟県内の国鉄だが、特に被害がひどかったのは信越本線の長岡〜新津間を中心とする平野部だった。ご存知の通り、この区間は東京・大阪方面から日本海側を経由して新潟・東北方面へ抜ける列車が全て通過する非常に重要な区間である。その長岡〜新津間を中心とする大動脈の不通が、上越線に大混乱を招き入れる直接の原因となった。というのは、この豪雪の際、前述の通り上越線のダイヤも乱れてはいたものの、上越線を経由して東京〜新潟間などを結ぶ旅客列車は散発的な抑止・復旧を繰り返す程度で、運行そのものはなんとか確保していた。しかし、24日の朝に長岡駅への進入が不可能になって行く手が阻まれと、上越線の列車は宮内や越後川口・小出駅で相次いで抑止や運転打ち切りとなり、中には東京方面へ引き返す列車もあった。
しかし。
運転が打ち切りにならず、28日に長岡〜新津間が開通するまでの延べ5日間にわたり、上越線の駅に滞留し続けた列車がいた。
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その滞留した駅とは小出・小千谷・宮内(信越本線合流駅)駅であり、それぞれの駅に滞留した列車は以下の通りである。
| 滞留駅 |
列車番号 |
種別・愛称 |
所定運行時刻 |
| 小出 |
701列車 |
急行「佐渡」 |
上野9時30分発、小出13時35分発、新潟15時15分着 |
| 小千谷 |
723列車 |
普通列車 |
高崎6時25分発、小千谷10時16分発、長岡10時38分着 |
| 宮内 |
3709列車 |
夜行準急「越後銀嶺」 |
上野発長岡行(前夜の23日夜発) |
| 713列車 |
夜行普通列車 |
上野発秋田・新潟行(新津分割) |
※上越線に関係のある列車のみ掲載。他の線区の滞留列車は不明。 |
| 3、小出駅 |
ここからは、小出駅に滞留した急行「佐渡」号を中心にについて書き記します。(以下の記録は2003年の夏に小出駅で開催された「小出駅開業80周年イベント」で、そのイベントのひとつとして催された「小出駅80年のあゆみ」という展示会(別窓起動)で公開されていた当時の様子や、関連資料・新聞記事等を参考にまとめたものです)
【1月24日】・・・1日目
長岡駅への列車進入が不可能になり、その影響が上越線の列車に波及。
沿線自治体は職員を臨時招集して徹夜での特別態勢を敷くが、除雪は全く追いつかず。 |
運行状況
(上越線関連) |
下り
(滞留列車) |
3709列車(準急・越後銀嶺)、713列車(夜行普通)・・・宮内駅滞留決定(前日夜に上野を発った列車)
723列車(普通)・・・小千谷駅滞留決定
701列車(急行・佐渡)・・・小出駅滞留決定 |
| 上り |
朝の706列車(準急・ゆきぐに1号)と734列車が大幅な遅れで上野に向かった以降、長岡以遠からの列車は途絶 |
特別措置
列車 |
以下の列車は全て越後川口駅で運転を打ち切り、折り返しとなった
下り721列車→越後川口→上り742列車として高崎・越後湯沢方面に折り返し(以下同様)
729列車→越後川口→740列車
711列車→越後川口→744列車
735列車→越後川口→746列車
737列車→越後川口→748列車 |
| その他 |
23日夕刻新潟発上り急行「越路」と24日朝発上り特急「とき」は、信越本線・長岡〜新津間のいずれかの駅で滞留。その他の上越線関連の列車は不明。おそらく、運休もしくは途中駅で打ち切りか。発駅返送が多数あった模様。 |
小出駅の
701列車・急行「佐渡」 |
・到着時の旅客数591人。
・車内宿泊が決定し、客車内の電灯・暖房設備を強化。ホームから電源ケーブルを車内に引き込む作業等を実施
・パン食支給(昼食)、炊き出し要請(夜食)、電報・電話取次ぎ、乗客から車内責任者選出など
・約100名が自費を承諾して周辺旅館に宿泊 |
【1月25日】・・・2日目
状況変わらず。東京方面からの列車は3本のみ。それらの列車で小出駅に到着した乗客が加わり、小出駅はさらに混雑。滞留中の701列車に、後から来た乗客が乗り込んで小競り合いが頻発。 |
運行状況
(上越線関連) |
下り
(滞留列車) |
701列車(急行・佐渡)・・・引き続き小出駅滞留
小千谷に滞留した723列車も、小出滞留の701列車と同期間の滞留だったようだが、宮内に滞留した2列車については詳細不明
なお、小千谷滞留客は駅周辺の商店街や民家・町職員の自宅等に収容された |
| 上り |
依然として、長岡以遠からの列車は途絶状態 |
特別措置
列車 |
729列車→越後川口→740列車
735列車→小出→746列車
737列車→小出→748列車 |
| その他 |
23日夕刻新潟発上り急行「越路」と24日朝発上り特急「とき」は、引き続き信越本線内のいずれかの駅で滞留。その他の上越線関連の列車は不明。 |
小出駅の
701列車・急行「佐渡」 |
・炊き出し要請(朝・昼)、体調不良の乗客に対して医師の往診など。
・周辺旅館組合に「佐渡号」の乗客の収容を依頼。組合がこれに応じ、前日旅館に宿泊しなかった残りの乗客全員(373人)を収容。これで、佐渡号の乗客は全て旅館に収容された |
【1月26日】・・・3日目
さらに雪は降り続き、状況は一向に好転せず。東京方面からの列車は4本のみ。それらの列車で小出駅に入込む乗客が後を絶たず、小出駅員は対応に苦慮。佐渡号以外の乗客にも、食事や宿泊の手配を行う。 |
運行状況
(上越線関連) |
下り
(滞留列車) |
前日と変わらず |
| 上り |
前日と変わらず |
特別措置
列車 |
前日まであった越後川口折り返しの列車はなくなり、全て小出折り返しとなる(小出以北が不通になった?)
721列車→734列車
729列車→740列車
735列車→746列車
737列車→748列車 |
| その他 |
前日と変わらず |
小出駅の
701列車・急行「佐渡」 |
・収容先旅館ごとに乗客名簿作成、責任者の選出をおこなう。また、一部の乗客は旅行の続行を諦めて上り列車で引き返す。
・今後降雪が激しくなって除雪要員が不足した際、さらに除雪要員を補充してもらえるように、小出町を含む周辺自治体長や消防団長に対し依頼。
・翌日佐渡号を出発させる事を目標とし、関係部署と調整にはいる
・この日の宿泊人数・380人(佐渡号以外の乗客も含む) |
【1月27日】・・・4日目
ようやく除雪作業がはかどり始め、佐渡号の出発見通しがつく。具体的には、新津〜小出で除雪作業をしているロキ・キマロキが小出に到着し次第、佐渡号発車という段取り。 |
運行状況
(上越線関連) |
下り
(滞留列車) |
急行・佐渡・・・列車番号を3703列車に改め、17時に出発する事を決定。
小千谷・宮内に滞留した3列車についての詳細は不明だが、前述したキマロキの除雪が完了した区間から、逐次運転を再開したのではないかと思われる。 |
| 上り |
小出までの除雪完了後に、長岡以遠から東京を目指す列車を運転予定 |
特別措置
列車 |
この日の折り返し列車は不明 |
| その他 |
信越線内で滞留中だった上りの急行「越路」と特急「とき」も、上記列車同様に除雪完了後に運転を再開した可能性が高い(推測) |
小出駅の
3703列車・急行「佐渡」 |
・夕刻の出発に備え、客車の屋根上を除雪。一時的に強化した電灯・暖房設備等を撤去。
・旅館に医師を派遣し体調不良の乗客を診てもらう。
・乗客収容先の旅館に夕刻発車見込みを伝える。出発二時間前に連絡するので、その後駅に集合する事を申し合わせ。
・しかし、ロキ・キマロキの除雪作業に遅れが生じ、当初予定の17時出発が困難となる。 |
| 【佐渡号出発に向けて】 |
21時、乗客収容先の旅館に連絡を入れ、分宿していた乗客を駅に召集。駅に到着した旅客を、「佐渡号の乗客」「佐渡号以降の列車で到着した乗客」「小出からの乗客」の順に乗車させ、22時10分に全員の乗車が完了。あとは出発を待つばかりとなったが、小出駅まであとわずか3駅まで迫っていたロキにトラブルが発生し、小千谷〜越後川口間で立ち往生。行く手を切り開くはずの除雪車に行く手を阻まれ、佐渡号は乗客を乗せたまま再度出発不能に陥ってしまう。
これに苛立った乗客が駅員に詰め寄るシーンもあったが、ロキが立ち往生した現場に救援車が到着し、再び出発の目途がたつ。しかし、時刻は午前0時を回り5日目を迎える事となる。 |
【1月28日】・・・5日目
佐渡号出発 |
| ロキのトラブルによってさらに増延した3703列車・急行「佐渡」号だったが、日付が変わった午前2時35分、さまざまなドラマがあった小出駅を乗客491人と共に後にした。列車番号は変わったものの、実に85時間もの遅れで発車していく列車の中では、どこからともなく万歳三唱が沸き起こったという。それを見送る小出駅員も然りで、発車する佐渡号を駅員全員が万歳三唱で見送った。 |
延べ5日間にわたる乗客と駅員との交流の中で信頼関係や連帯感が生まれたのは言うまでもなく、この列車が去った数日後、乗客からの感謝の手紙が小出駅に山のように届いたという。この手紙の一部は「小出駅80周年の展示会場」で公開されていて実際に目を通したが、どれもこれも駅員への感謝の言葉で埋め尽くされていた。
以上が、小出駅に滞留した701列車の記録です。
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| 4、上越線以外の状況 |
サンパチ豪雪の「その後」の話を少し…。
前述の通り、上越線は1月28日の未明に小出〜長岡間の運転が再開された。しかし、信越本線の長岡〜新潟間が完全に復旧したのは28日の夕方になってからで、小出駅を85時間遅れで発車した佐渡号は新潟到着までにさらなる遅れを生じたようである。しかしこの復旧も一時的なもので、その後も度重なる積雪のため、不通と復旧を繰り返す日々が何日も続く事になる。そのため、通常ダイヤでの運行には程遠い状況が当分の間続き、上野と新潟を結ぶ直通列車に至っては雪害発生から約2週間後にあたる2月7日まで運行されなかった。
その他の線区も、高崎鉄道管理局や自衛隊などの救援を受けて懸命に除雪作業を進め、逐次復旧区間を増やしていった。最後の復旧区間となったのは弥彦線で、1月23日に不通になってから17日目にあたる2月8日に復旧し、これでようやく新鉄管内すべての路線が開通となる。そして、1月24日の運休開始の日から数えること実に26日目の2月18日、上野〜新潟間を結ぶ特急「とき」が運転を再開されるに至った。
終わってみれば、今回のサンパチ豪雪で受けた国鉄の被害は合計約9億円(当時)に達し、新潟鉄道管理局内だけでの除雪要員も延べ24万人を記録した。
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| 5、38(サンパチ)豪雪での被害 |
社会ニュースとしてのこの豪雪での全国の被害状況は、家屋の全半壊6000棟、除雪作業中の転落事故・家屋倒壊・雪崩・感電・過労などによる死者・行方不明者は231名にのぼった。各地の道路網の除雪も全く追いつかず、農村部や一部の都市部が一時孤立状態に陥ったうえ、大量に降り積もった雪が川の上流部で一気に捨てられた為、下流地域で季節はずれの洪水が発生してしまい、場所によっては川への雪捨てが禁止になる措置がとられた。このため、派遣要請を受けた自衛隊が火炎放射器で融雪を試みる一幕もあったが、大した効果をあげられなかった。道路脇や空き地には日に日に雪が高く積み上げられ、民家の屋根の雪はね作業は、通常なら雪を投げ下ろす作業だったものがこの時ばかりは屋根よりも高い所に投げ上げる作業になったという。加えて、外への出入りは二階の窓からという、雪慣れした人でもうんざりするほど不便な生活を余儀なくされた。
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| 6、新潟鉄道管理局とサンパチ豪雪 |
最後に…。この豪雪で莫大な被害を被った側である国鉄の新潟鉄道管理局(と金沢鉄道管理局)に対し、その被害に同情する世論はなく、逆に約1週間にわたって大動脈・信越本線を運行不能に陥らせた除雪能力の低さが地域産業に1000億円超の多大なる被害を与えたとして非難の的となり、除雪能力のアップが急務の課題となった。また、同じく除雪能力不足を露呈した長岡市を始めとする多くの自治体は、一斉に「克雪都市宣言」をして除雪能力の向上を図る大きな転機になった。これが功を奏し、サンパチ豪雪に匹敵するか、それ以上とも言われた昭和56年のゴウロク豪雪では、鉄道・市民生活ともにサンパチほどの被害を受けずに済み、除雪能力の向上に取り組んできた成果を発揮した豪雪となった。
一説によると、日本海側には15〜20年周期で大雪が来るというジンクスがあるらしいが、2005年12月下旬にも大寒波が来襲して大雪になった。新潟県内のダイヤが麻痺するという事態に陥ったが、それでもサンパチ豪雪ほどの甚大な被害には至らなかった。
伝説のサンパチ豪雪。次の大寒波の時もきっと引き合いに出されるでしょう。 |
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