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浜の復興、見届けたい/名取市議・荒川洋平さん=名取市閖上
 | 津波犠牲者の慰霊塔の前で、閖上復興への思いを語る荒川さん=2日、名取市閖上の日和山 |
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◎若者の声、計画に生かす
「6番 荒川洋平議員」。「はい」 1日、名取市議会本会議。真新しい議員バッジの若者が議場に立った。 荒川洋平さん、30歳。津波でまちが壊滅した閖上出身、先月の市議選で初当選した。「緊張した。政治とは全く無縁だったから。これからやることがたくさんある」 昨年3月11日の東日本大震災が人生を変えた。閖上の自宅は全壊。同居する家族4人のうち仕事で出張中だった父(63)は無事だったが、母八千代さん=当時(57)=、弟孝行さん=同(27)=が津波にのまれた。弟は3月末に遺体で発見。母はいまだ行方不明だ。 仙台市内でコンピューター関連の仕事をしていた荒川さんは翌々日、がれきを乗り越え自宅へ。「おかぁ、おかぁ」。叫んでも返事はなかった。 八千代さんは、パートで働いていた近くのカーネーション畑で地震に遭い、生まれながら病弱だった孝行さんを気遣い自宅に戻ったという。2人で徒歩で避難する途中に津波に遭った。 八千代さんはママさんバレーで活躍し、明るく友人が多く、家族の中で「まるで太陽のようだった」と荒川さんは言う。
「閖上復興支援のブログ」。震災から4日後、絶望のふちでこんなブログを始め、閖上の惨状を写真と記事で紹介した。末尾にはこう記して。 「母・弟の安否確認は取れていません。小さな情報でもかまいません。コメント下さい」 ブログ更新は8月末までほぼ毎日続けた。反響は広がり、励ましが寄せられた。ネットの世界の著名人らも紹介してくれ、人気ランキング全国1位が続いた。「ブログを書くことで冷静になれた。自分と周囲を客観的に見られるようになった」 荒川さんは、地元の復興を論議する閖上の住民組織にも参加。閖上の将来について夜遅くまで語り合うようになった。 「市が進める復興計画に、将来の主役となる若い世代の意見がきちんと反映されていない」と肌で感じた。市議選への出馬を決断し、仕事を辞めたのは昨年11月末だ。 「選挙に出るなんてとんでもない」。父は猛反対した。が、最後には首を縦に振った。「家族の死を武器にした選挙はしない」。それを約束に。
しかし、大好きな母の話はつい口に出た。告示前の決起集会。八千代さんの友人らを前に、涙でぼろぼろになる自分がいたが、その思いを胸にしまい、定数21に29人が立った激戦に飛び込んだ。 「地盤なし、看板なし、かばんなし」の新人候補は、2030票を獲得して2位当選を果たす。 母の友人がぽつりと語ったという。「あなたのお母さんが夢に出てきたの。だから応援したの」。母の見えない後押しを背に、荒川さんは誓う。 「勉強を一つ一つ積み重ね、閖上復興のため働く。10年、20年掛かるが、最後まで見届けたい」(小島直広)
2012年02月10日金曜日
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