謹賀新年
新年明けましておめでとうございます。
旧年中は当ブログ『極右翼勢力』ならびに『NPO外国人犯罪追放運動』への
温かいご支援を賜りましたことに篤く御礼申し上げます。
本年も外国人犯罪による治安の崩壊そして安全保障の崩壊、
その元凶たる現体制という最大の問題点を社会運動家として、
またジャーナリストとして一層厳しく追及していく所存ですので、
ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願いします。
平成24年 元旦
BLOG『極右翼勢力』主宰
『NPO外国人犯罪追放運動』理事長
有門大輔
←ブログランキング応援クリックお願いします!
★昨年度の「総括」と今年度の指針!
「孤立」を恐れず、「内なる敵」を排外せよ!
このブログにおける更新記録に新たに「2012年1月」という開設から7年目の年月が刻まれる。平成23年という一年を振り返って、どのような年だったと総括すべきだろうか。
インターネット環境においては「第2拠点」とも言うべき『同特連(同和・カルト特権を許すな!ネット連合)』なるブロガーの連合体を形成し、「みたいな実さん」や「太賢さん」といった新たに出会った仲間たちと共に、日本社会に根深く浸透している部落・同和問題への追及に乗り出した意義は大きい。
元をただせば武家社会における差別的(?)な身分制度を廃して強国を作り上げたとする明治の近代国家成立に端を発するわけだが、近代という現体制を至上のものとして明治維新を礼賛し、戦前・戦後の括りのみで国を論じる旧態依然とした国家観からの脱却も然りである。
そうした概念は一昨年、つまり平成22年後半より既に私の中では「下地」がつくられていたわけだが、昨年中はその下地を固める一年だったと言えよう。一昨年中に到達すべきところへ、余計に1年かけ、めぐりめぐって廻り道ながらも昨年中にようやく到達したといった具合である。
運動そのものについても言える。かつて主流派として牽引した「行動する保守」運動の本流から外れ、「傍流」「傍系」となって久しい私だが、そんなことは一昨年の段階で前兆は見えていた。
しかし、本流も支流も何も…何がそれを決しているかと言えば、所詮は我が陣営の運動も「数の論理」に過ぎなかったのである。
総体的にどこも動員力は落ちているというのに、どこそこの団体が主催するデモには100人あるいは200人が集まったので素晴らしい、対して人が群がらない、人気のないところは失格の烙印を押されてしまうのが昨今の世情である。
それでは近代政治の民主主義と変わらないではないか。
人を集めるために先鋭的な主張を引っ込めて温和な主張に転じなければならないのか、人気取りのためにやりたくもない明治維新の礼賛をやり、戦前を徒に美化せよというのか。
数の論理が全ての勝敗・優劣を決してしまうから同和の走狗まで国会議員になれてしまう、数の論理だから愚かな政党が政権を担うし、国賊が大臣や首相にまでなってしまう。
だから自身の信念や道理を曲げてまで大勢に迎合する必要はないし、「孤立」というものを恐れてはならない。
皆と一緒でなければ安心出来ない性質の日本人は、とにかく孤立というものを恐れる。孤立を恐れた結果、皆に合流したのは良いが、皆が間違った方向へ進んでいたら皆と一緒に奈落の底へ落ちなければならない。
この1〜2年、分裂そして合流また分裂を繰り返した「行動する保守」運動だが、そもそも在日朝鮮人に付与された特別永住資格など「在日特権」問題を追及することを旗印に「行動」を開始した運動体が分裂したということは、「対在日戦線の構築」が失敗したことを意味する。
分裂したということは内外からそれを仕掛け、運動体そのものの停滞を目論んだ者らが存在するということであり、これは日本の保守運動、右翼団体の民族運動ひいては近代国家が成立して以降、全ての政治・社会運動に通ずる。
今後の執筆活動を通じ、その「内なる敵」(運動の内側と、日本国の内側)の正体に斬り込むとともに、それらを排外していくことに努めたい。
昨年末より保守系SNSサイト『my日本』と管理人・西田省人(よしひと)に関わる問題を追及し始めたのもそのためで、また、同じくmy日本と西田が敵視する誹謗中傷のメッカ『2ちゃんねる』での様々な妨害工作も日本の保守運動を停滞させるものに他ならない。
匿名でのネット工作や情報戦を是としない私とは三つ巴、四つ巴の戦い(バトル・ロワイアル)を展開することになるだろう。
所詮は人生そのものが周りは敵ばかりの中で生きているようなもので、時々の運やめぐり合わせで雌雄が決しているに過ぎない。
さる12月31日の保守系団体『チャンネル桜』の「年忘れしてはならない! 紅白さくら祭 みんなで韓流紅白をぶっ飛ばせ!」とするイベントの第2部でmy日本の西田省人も出演していたという。
大団結を提唱するのは大いに結構だが、韓流の紅白歌合戦を批判するイベントに、「親日派狩りゲーム」を制作した韓国企業とビジネスをしている人物が出演していることの矛盾は強烈だ。
これが今の日本の保守運動で許容されていることであり、その一方では「排外主義」が敬遠されている。「韓流をぶっ飛ばせ」とするイベント的な排外主義は良くて、本物志向の排外主義は困るという。これこそが「分断工作」でなくて何なのか!?
翻って敵の工作は凄まじく、朝鮮も然りだが、いくつもの軍閥や民族に分かれている共産中国でさえ日本に対する歴史観の強要という「精神侵略」に始まって実際にヒトを送り込む「人口侵略」、次いで「軍事侵略」の段階に達し、今やその三段階を同時に繰り出してきている。
こうした敵性民族・敵性国家からの工作によって分断に次ぐ分断を仕掛けられているのがわが日本なのだが、中朝にあって日本にないものは「独裁体制」による国益の追求である。
暮れに金正日が死去した北朝鮮は、三男の金正恩(28歳)を軍の最高司令官に任命するなど、金王朝3世を中心とした体制固めのもと、民族国家の繁栄を期すとする機関声明を高らかに発表した。
日本もそうだが、いつの時代だって国家が目指すべきところは繁栄、発展、飛躍でしかない。問題はそれをどのような体制で追い求めるか。民族国家の繁栄という一点に集約した強権の独裁体制がより強いに決まっている。
昨今、北朝鮮問題を論じる政治評論家やジャーナリストの間でも変化の兆しが見られたと思うのは、以前なら北朝鮮を「異常な体制」として捉えていたものだが、二十歳代の最高指導者というおよそ近代国家の常識では考えられない事象を日本の徳川幕府に例えるなど、「現代日本人の常識で考えるな」とする傾向が出てきたことである。
むしろ異常なのは、こうした国々が周辺に位置しながら近代以降の旧態依然とした現体制に甘んじている日本のほうだと言えよう。
この平成24年度は持てる限りの筆力を尽くして、引き続き人々の魂を揺さぶり、外国人天国となった「現代日本の常識」を覆していくことに努めたい。