大村京佑の哲学講座。緊急時は老婆を見捨てて子供を助けるべし
僕の発言に対して、「正体見たり、残念な方」というコメントをいただきました。
投稿者:大村京佑
東北大震災で80歳の老婆を助けるために7人の40代男が津波に飲まれた例がありますが、本当にバカげた話です
投稿者:匿名ユーザ (未認証ユーザ)
大村さん
少し前から時々このブログを拝見していました。
いったいどんな方なのかと興味をもっていたのですが、この発言「東北大震災で80歳の老婆を助けるために7人の40代男が津波に飲まれた例がありますが、本当にバカげた話です」には、少し驚きました。
あなたは「80歳の老婆」の命を「7人の40代男」の命と比べるのですか。そして、はっきりと「7人の40代男の命」の方が大切だと思うのですか?
あなたには母親はいませんか?
なにより人の命を助けようとして死ぬことは馬鹿げたことですか?
いろいろと見聞も広く知識も豊富で器用な方とお察しいたしますが、この発言を見て正体見たりというか、典型的な現代の日本の男性というか、残念な方なのかなぁと思いました
僕からすると、この事件について話を聞いておかしいと思わない方がおかしいと思うのですが、まあ、これが普通の日本人の感覚なのでしょう。
日本人は同調主義です。
空気を読んで、人に合わせることが正しい。
自分でモノを考えると他人と衝突することになるから、なるべく自分でモノを考えない。
マニュアル人間になる。
マニュアル人間とはすなわちロボットです。
だから日本人はロボットが大好き。
マジンガーZ、ガンダム、合体ロボ。
ロボット人間はプログラムされた内容は正確に再現します。
しかしロボット人間はプログラムされていない場面に出くわすと固まって動かなくなる。
判断不能になる。
津波という状況がまさにその場面だったと思います。
40代の男と言えば、普通なら妻子がいます。
子供は小学生か中学生ぐらいでしょう。
80歳の寝たきり老婆を助けるために働き盛りの40代男7人が死ぬということは、7人の命が無駄になると同時に、その後ろに控えた7人の妻と10数人の子供たちが路頭に迷うということです。
もうすぐ死ぬ老婆のために7人の男が死んで合計20数人の女子供が路頭に迷う。
これをバカげた話と言わずして何がバカげた話なのでしょうか。
これこそ日本の美徳?
僕から言わせればこんな日本の美徳は愚の骨頂、アホの北極点です。
これはアホの坂田
死んだ7人の男たちも、自分の妻子のことは考えなかったのでしょうか。
おそらくこの7人は空気に負けたのでしょう。
この事件では一人だけ生き残りがいるのですが、合わせて8人という小集団は空気を作れる単位です。
彼らは地元の消防団員だったので、人を助けるという義務感がまず前提としてあった。
80歳の寝たきり老婆を家から搬出しているうちに、津波が迫ってきた。
自分の妻子のことを考えたら、老婆など放り出して逃げたかった。
しかし同調主義の日本人は批難に弱い。
そこ逃げ出してしまうと、「お前に母親はいないのか」などと後から人に批難される可能性がある。
そこで批難されるくらいなら、妻子を残して死んでしまえということです。
残された合計20数人の妻子たちは今何を考えているのでしょうか?
たった一人の80歳の寝たきり老婆を助けるために死んだ夫・父親を誇りに思っているのでしょうか?
アホな判断をしたアホな大人たちへの批判を控えることは、一見すると親切心にも見えます。
しかしそれは自分たちのアホさをごまかす為の目くらましに過ぎないのです。
アホを擁護することによって自分のアホを隠す。
隠して隠して一億玉砕。
なぜ日本では誰も怒らないのですか?
欧米は哲学の文化です。
最近はサンデルの哲学講座が話題になりました。
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか? 金持ちに高い税金を課し、貧しい人びとに再分配するのは公正なことだろうか? 前の世代が犯した過ちについて、私たちに償いの義務はあるのだろうか――。
平和な時の敬老精神は良いでしょう。
しかし非常時での敬老精神は間違っている。
非常時ではむしろ老人から見捨てるべきであり、そういったマニュアルにとらわれない柔軟な発想を養うことが哲学の目的です。
ここで僕もサンデル教授にならって哲学講座をします。
設定 「津波が迫っています。80歳の寝たきり老婆が家にいます。あなたならどうしますか?」
答え 「たとえ自分の祖母でも放っておいて逃げる」
設定 「津波が迫っています。自分は寝たきりです。救助が来ました。あなたならどうしますか?」
答え 「救助を拒否する」
設定 「津波が迫っています。子供が泣いています。あなたならどうしますか?」
答え 「連れて逃げる」
設定 「老婆を見捨てました。お前に母親はいないのかと批難されました。あなたならどうしますか?」
答え 「無視する」
僕は若いときはよく怒っていたのですが、最近は怒らなくなりました。
本当はもっと怒りたいのですが、怒るという行為はとても疲れる行為なのです。
自分が怒るよりも怒る若者に知恵を貸す方が楽だと思ってブログを書いていますが、どうもこのブログは若者の読者が少ない感じで残念です。
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コメント(8)
はじめまして。 大村さんの指摘にひとつ付け加えれば、日本人
はじめまして。
大村さんの指摘にひとつ付け加えれば、日本人は人を助けるために自分が犠牲になることを、美徳とする心があります。
今回の地震でも、町役場の防災放送を最後の最後までやり、津波の犠牲になった女性がおりましたが、感動美談としてマスコミなどに紹介されております。
逆に、ご指摘の状況で逃げだした場合、「卑怯」「ずるい奴」などと思われ、後々自分でも自責の念にとらわれてしまうと思われます。「あのとき、死んでしまえばよかった」と思い詰めてしまうかも知れません。
大村さんのおっしゃることは正論だと思いますが、僕がその場にいたら、大村さんのように割り切ることができるか自信がありません。
舐め犬さん、ようこそ 英語で言うとバター・ドッグですね。
舐め犬さん、ようこそ
英語で言うとバター・ドッグですね。
舐めるのは僕も好きです。
でも舐められるのはもっと好きです。
しかし舐められてうれしいのはアソコだけであって、人格の方は舐められてはダメですね。
世の中、自分は何も努力せず、人に要求するだけの人間は多い。
そういった人間の頭には社会正義などといった観念はありません。
自分は何の努力もせず、ただ人に要求する。
「男は働け!卑怯者!女は弱者!弱者は正義!」
ハイエナのような連中です。
あなたはよく言えば人が良い。
悪く言えば気が弱い。
あなたのような人間はそういったハイエナ族にとって格好のターゲットです。
骨の髄までしゃぶられる。
男は舐めるのも良いですが、舐めさせることも忘れないようにしましょう。
女を教育するのも男の仕事のうちです。
例の発言をしたものです。昨日、コメントをしたので、また見に
例の発言をしたものです。昨日、コメントをしたので、また見に来てみました。(昨日はこのスレッドは読まないで投稿してました)
大村さんは、「残念な方」ではなく「痛い人」だったんですね。
男尊女卑がその性根に染み付いていて無意識のうちに女性蔑視が言動にあらわにでてしまう「典型的な日本人男性」。
しかも下品。
うーむ。こういう男性が生き残っているのか。しかも英語がそこそこ堪能でありながら、その感覚…
日本はアフガニスタンと変わらないのではとしばしば思います
先のコメントを書いた者です。 大村さん、若いですね。 厚み
先のコメントを書いた者です。
大村さん、若いですね。
厚みも奥行きもないぺらぺらの人間なんですかね。本当に残念な方ですね。まぁ、そのうち年をとれば考えが変わることもあると思いますが…
先の豪華客船の事故では、船長はもちろんいい年した男性たちが我先にと争って救命ボートに乗り込もうとして、女子供が先だという若い男性ともみ合いの喧嘩になったという報道もありました。
大村さんは、きっと、なりふり構わず真っ先に救命ボートに乗り込むタイプですね。きれいごと言ってる暇があったら、俺は助かるぞって
寝たきりの老婆を、津波などの災害時に助ける必要はないという意見はわかりました。では自分で身動きとれない身体障害者の方や知的障害のある方についても同じようにお考えですか?
おそらく答えはYESでしょうね
老婆を助けるか助けないかの問題は日本人云々という問題ではないです。ですが、あなたの意見は現代の日本人の薄っぺらさを象徴しているかのようで、日本社会の病理をまざまざと感じさせてくれます。
こんにちは。 こういうことですね。 おぼれている人がいたと
こんにちは。
こういうことですね。
おぼれている人がいたとして、先ず、助ける前に年齢を聞く。自分より年上だとわかったら見捨てる。
なるほど。
初めまして。 いつもブログ読ませていただいてます。 他の方
初めまして。
いつもブログ読ませていただいてます。
他の方のコメントの意味がよく分かりません。
津波の時のような一刻を争う非常事態に老人より若い人の命が優先されるのは全然間違ってないと思うのですが。
皆もっと「津波てんでんこ」の伝承の意味を考えるべきだと思います。
再び、件のコメントの発言者です。 幼い子供の命が優先される
再び、件のコメントの発言者です。
幼い子供の命が優先されるのは当然だと思いますよ。
幼児を助けるか老人を助けるか、二者択一を迫られる状況では、幼児を助けるのが当然でしょう。
でも、そんな決断は簡単なことではありません。「苦渋の選択」です。まともな感覚の持ち主であるなら。
老人を助けようとする行為を馬鹿げていると一蹴する「心」は、人としてあまりにも浅はかであり荒んでいます。
日本人としてどうか、ではない。人間としてどうか、という問題です。
40代男性らが老婆の救出のために波に飲まれたことは単に結果
40代男性らが老婆の救出のために波に飲まれたことは単に結果論であって、男性らは別に命を捨ててまで助けにいったとは到底思えません。老婆を助けに行って皆生還できる見込みは十分ある、または途中で厳しい状況になっても老婆救出を諦めて、引き戻って助かる見込みはある、という判断で救助に向かったはずですので、一概にその一部始終に対して馬鹿げているという発言をするのはやはりどうかと思います。そういう判断もなく一目散に助けに行ったというのであれば、大村さんと同じく馬鹿げた話であるということに対して同調しますが。救助に行ったということはもちろん褒められるべきことですし、もし救助にいかなかったとしてもそれは避難されるべきことではないでしょうから、馬鹿げた事と一蹴するのはあまりに短絡的すぎです。男性らが老婆の救助に向かった→助けられずそれどころが自分らも波に飲まれて死んだ、という一連の事実に対して当事者の意図や考えを無視して、ひとことで馬鹿げた話だとするのはあまりにも無理があります。
それから、「40代の男と言えば、普通なら妻子がいます。」ということですが、今の時代そのような考えはもはや普通ではありませんし、「その後ろに控えた7人の妻と10数人の子供たちが路頭に迷う」というのも、女性も十分働いて子供を養っていける現在の社会を考えればそう簡単に路頭に迷うこともないと思いますが。古い考えに惑わられずもう少し柔軟な考えをしてもいいのではないでしょうか。
私個人、その救助の映像や一部始終の詳細を知りませんので、お門違いの発言でしたら御容赦ください。