東日本大震災で我が子を亡くした宮城県内の母親らが、悲しみを分かち、支え合っている「つむぎの会」への参加者が約100人に達した。会は、肉親が自殺した遺族の支援活動をしてきた田中幸子さん(62)=仙台市青葉区=のもとに寄せられた相談がきっかけで作られ石巻、気仙沼、仙台の被災3市で活動している。「命日も同じ、津波にのまれた状況も同じ遺族同士、深く理解し合える」。遺族らは、月1回開かれる語らいの場を心のよりどころにしている。
石巻市の会合に参加している鈴木由美子さん(42)は、小学校6年の三男秀和君(当時12歳)を津波で亡くした。「これからどうやって生きていけばいいのか」とすがるような気持ちで加わった。震災から間もなく11カ月。母親同士の間などでは、秀和君のことを話題にする機会は少なくなったが「この会なら(息子を亡くした)お母さんとして泣ける」。
避難誘導中に殉職した県警河北署(石巻市)交通課の青木謙治さん(当時31歳)の母恭子さん(52)。周囲からしばしば「(殉職して)立派だったね」と声をかけられるが、「『警察官なのに逃げた』と責められてもよかった。私が守るから帰ってきて」と悲しむ。そうした気持ちも、遺族同士なら分かり合える。「悲しみは変わらないが、支え合う仲間がいるから自分も頑張れる」と話す。
会を運営する田中さんは05年11月、警察官だった長男健一さん(当時34歳)を自殺によって失った。遺族同士が語り合う場を作ろうと翌年、「藍(あい)の会」を設立。07年には、病気などさまざまな理由で子どもを亡くした親の会「つむぎの会」へと拡大した。
さらに震災の遺族から相談の電話があったこともあり、昨年6月からは「親と子の命をつむぎ、(心の中で)一緒に生きていけるように」との願いを込め、被災地で活動を始めた。参加者は母親がほとんどだが、田中さんが紹介し遺族同士で電話やメールで支え合っている父親もいて、会員は約100人に達した。
田中さんは「悲しみは決して癒やされることはなく、生きていくには仲間同士、支え合うことが必要だ」と訴える。問い合わせは田中さん(090・5835・0017)。【熊谷豪】
毎日新聞 2012年2月7日 10時29分(最終更新 2月7日 13時20分)