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再考 - 米国はなぜ移設先を辺野古から変えないのか
地図を確認すると、南から那覇市があり、国道58号線沿いに北上すると浦添市があり、宜野湾市と北谷町を過ぎて嘉手納町へと至っている。けれども、実際に車で走ってみると、町と町の間は途切れておらず一つに繋がっていて、どこが境界なのか分からない。嘉手納から南は切れ目のない一つの大都市で、東京と埼玉、東京と千葉、東京と神奈川のだらしない接着と延長と同じように、言わば「沖縄首都圏」として一体の都市集積である。ここに、今回の「切り離し」の政治によって先行返還となった牧港補給基地とキャンプ瑞慶覧とキャンプ桑江がある。「沖縄首都圏」らしく、新しい商業施設が並び、県の中でもモダンでハイカラな市街地域に違いないのだが、この58号線の12kmほどを通過したときの印象は忘れられないものだ。それは、視界に入る道路の右と左の世界のコントラストであり、沖縄と日本と米国の三者の関係性の衝撃の真実である。左側に見える沖縄の商店や民家は小さくて古い。狭いところに家屋が密集し、頼りなく、くっつきひしめいて人々が暮らす現実を想像させる。右側には金網の向こうにゆったりとした静かな空間が広がり、緑の芝生の中に白い宿舎が点在し、ときどき芝の上でパターゴルフを楽しんでいる。ここは日本ではない、日本にいる外国人と日本人の関係ではない、18世紀の中南米の原住民とスペイン人、19世紀の米国南部の黒人と白人の世界だと、そのことが直観で悟られて絶句させられる。


植民地の現実が物理的に目の前に突きつけられる。沖縄の米兵の犯罪が異常に多い問題について、数字や文字だけを見ていると驚かされるが、現地で58号線の左右の景観を見ると、その真実が分かる気にさせられる。東京や京都に観光に来ている外国人と、それに接するわれわれ日本人というプレーンでフラットな関係ではないのだ。人と人の権利関係が違う。19世紀のアラバマやテキサスだから、あのような犯罪と被害が多発するのである。だが、問題はさらに複雑で、二者ではなく三者の構造であり、ここには日本(東京=政府=資本)の顔が割り込んでいる。それは、58号線をさらに北上して恩納村の沿道に立ち並ぶリゾートホテルであり、「xx機構」の名を冠した天下り法人のピカピカの建物(別荘)である。振興費の土建予算で建った沖縄の自治体の庁舎もそうだし、あの防衛庁沖縄局の舎屋もそうだ。非常に多い。目につく。それにしても、米国が辺野古を断念し、パッケージ切り離しに踏み切るという大きな動きがあったというのに、マスコミはなぜ辺野古の座り込みテントを取材してインタビューしないのだろう。ニュース報道であれば、真っ先にそこにカメラを入れ、現場の声を取るのが定石ではないか。最近のNHK報道の「沖縄の現地の受け止め方」の絵は、必ず県庁前と場所が決まっていて、意図的に手抜きをしている。普天間や辺野古で撮らない。

筑紫哲也が生きていて、NEWS23の番組を続けていたら、佐古忠彦を辺野古に飛ばしてテント村の生中継を入れただろうし、太田昌秀をスタジオに呼んで沖縄の目線で解説を組んだだろう。それこそが、視聴者が見たい価値のある報道コンテンツだ。おそらく、それだけでなく稲嶺進の訪米に密着して始終を撮り、スミスやイノウエやウェッブとの会談にカメラを入れたに違いなく、今回の米政府の辺野古断念について米国の関係者がどう発言するか注目したことだろう。当然、ワシントンの稲嶺進を生中継で登場させたはずだ。普天間は日本の政治の重大問題である。偶然なのか、計画的なのか、稲嶺進の訪米と米政府の辺野古断念の発表が重なった。マスコミにとってこれほど恰好の報道素材の出現はなく、二つを重ねて取材し、辺野古とワシントンと東京を結ぶ三元中継の企画を組み、夜のニュース番組で特集するのが商売として当然だ。きっと高い視聴率が取れただろう。国民の関心が高い問題だから。信じられないことに、この絶妙の報道機会のめぐり合わせにもかかわらず、稲嶺進の訪米と行脚は全くニュースに扱われないのである。その代わり、大越健介を筆頭に各局キャスターは、「普天間が固定化する」と鸚鵡返しで言い、今回の動きをネガティブな事態として刷り込み、「辺野古移設を早くしろ」と扇動するのだ。何から何まで歪曲し、日米政府の都合のいいようにプロパガンダする。

前回、米国が沖縄の海兵隊をグアムに移転させながら、同時に辺野古の新基地を欲しがる問題について、吉田健正のリアリズムを紹介して考察した。さらに検討を加えたい。米国はなぜ辺野古に執着するのか。それは本意ではなく、単に防衛官僚の利権狙いに政治的に付き合っているだけなのか。日本のネットで散見される(左側の)議論は、何かあまりに米国の意図を忖度し、防衛官僚を悪玉にする一方で、米国を美化して解釈しているように私には思われる。米国は辺野古を欲しがっていないのに、防衛官僚がそれに妄執しているのだという構図を勝手に思い描き、その観念を信じ込み、それを論理の軸にして政府批判をしているように見える。米国はそれほどお人好しなのか。その(左側の)認識は間違いだ。根本的に勘違いをしている。それは、現地沖縄の人々の米国観との温度差にも現れている。米国というのは、もっと醜怪で傲慢で残忍で冷酷な生きものであり、少なくとも沖縄の人々に対しては、19世紀にアフリカ系やネイティブに接したのと同じ態度で接している。その差別と蔑視は、メアを見ればよく分かる。2年前、鳩山政権時、結局、普天間移設が辺野古に行き着いた政治の内実について、われわれは観察眼を研ぎ澄まして検証する必要がある。あれは防衛官僚が主導した結果ではなかった。鼻面を引き回したのは米国である。米国が、強引に辺野古に決着させ、5月末の日米合意に及んだのだ。

日米合意が辺野古で決着するにおいて、日本側の防衛官僚は脇役だった。むしろ、彼らは政権と一緒にドタバタ迷走する側だったのだ。政権と米国の間に入って小間使いのようにせわしく動き回り、勝連半島沖埋立案だの、シュワブ陸上案だの、嘉手納統合案だのと、あれこれ書類を作って米国と政権の間を往復していたのである。防衛官僚の側の一線は、「県内移設」の厳守であり、その一線さえ保持できれば、辺野古だろうがどこだろうがどうでもよかった。辺野古沖一点張りではなかった。鳩山由紀夫と選挙前民主党の「県外国外」を粉砕できれば、それでよく、「県内移設」の政治を得られればよかった。辺野古沖に持って行ったのは、米国の有無を言わせぬ剛腕である。強制だ。私の見解を言おう。米国は、物理的な辺野古を欲しがったのではない。どうしても辺野古沖海上滑走路が欲しくて、それが必要で、2年前の普天間騒動を辺野古に決着させたわけではない。それは、事務レベル軍事レベルの政策要求ではない。米国が辺野古に回帰させたのは、政策ではなく政治の動機である。権力の動機だ。普天間移設という日米安保上の問題については、決定するのは米国であり、日本側に口出しする権限はないのだと、その関係性を知らしめるために、日本側を迷走させるだけ迷走させ、普天間政局の混乱を鼻で笑いながら、2006年の日米合意の原点に帰着させたのである。2006年の原点が辺野古沖だったから、辺野古沖にしたのだ。

それが理由であり、それが真実である。具体的・政策的な意味はない。権力的・政治的な意味がある。実利ではなく名分を目的とした政治。もし、2006年の日米合意の中身がシュワブ陸上案や嘉手納統合案だったなら、米国は2010年の日米合意でも、そこを普天間移設先に選んだだろう。簡単に言えば、「俺が一度決めた場所だから」、辺野古以外の決着を認めなかったのだ。海兵隊は8000人がグアムに移転し、実際には海兵隊の拠点は沖縄に不要になる。それを承知の上で、2006年に日本に辺野古新設を承諾させているのであり、日本も同意の上で日米合意を取り交わしたのであり、現実に必要性があろうがなかろうが、作ると約束させたものは作らせるのだ。重要なのは、辺野古基地という物理的な利益の獲得ではなく、日米合意を日本側の要求や発案から変更させないという政治なのである。日米国家間のヘゲモニーなのだ。(戦争で得た)日本は絶対に独立させない、属国のまま支配するという米国の強い意思である。だから、米国は辺野古を取り下げない。沖縄の人々の不屈の抵抗に負け、事実上、断念する不如意に至ったけれども、日米の政府間では辺野古は絶対に撤回しない。約束の履行を迫り続ける。これが、辺野古の政治の中身である。ネットの(左側の)一部が言うような、米国の意向の忖度がどれほど無意味で、米国の「無欲」を強調する言説がどれほど甚だしい筋違いであるか、納得していただけただろうか。

米国は、小賢しく「東アジア共同体」だの「日米関係の見直し」だのを言い出した鳩山政権を容認できなかったのであり、それを力で叩き潰したのだ。さて、この辺野古断念(パッケージ切り離し)の政治の中で、もう一つ浮かび上がっているのは、岩国への1500人移転の打診の問題である。今後の成り行きは不透明だが、この1500人という数は、明らかに半島有事に備えた部隊であることが分かる。沖縄から転出する8000人のうち、4700人がグアム行きで、残り3300人がハワイ・フィリピンなど他地域のローテーションだが、まだ詳細が決まっておらず、岩国に打診があった1500人もこの一部である。米国は、どうやら韓国にも打診している様子で、岩国が難色を示しているので、韓国で1500人を受け入れてくれと要請している。韓国政府は、そのような協議はしていないと否定、藤村修が岩国(1500人)の打診問題で示したのと同じ対応をマスコミに見せた。韓国では、早速、在沖海兵隊の韓国転入に反対する抗議集会が起きている。日本国民の立場からすれば、半島有事の兵力なのだから、その負担は韓国で負うべきだとも思う。米国の狙いは何なのだろう。日本と韓国の両方に1500人を拒否させ、その代償としてグアム移転費をせしめようとする思惑なのだろうか。興味深いのは、こうして1500人という数を出し、ハワイやフィリピンという場所も出していることで、海兵隊を細切れにして分散する計画が進んでいて、グアムの巨大要塞化と兵力集中構想が崩れていることだ。

グアムは4700人から増えず、それで打ち止めなのだろう。そして、沖縄からは、もう8000人を出すという計画が本格的に固まっていて、その前提で島内が動き始めている。どう考えても、普天間は固定化ではなく流動化だ。


 
by thessalonike5 | 2012-02-10 23:30 | Trackback | Comments(0)
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