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地震の予知は経験の蓄積から
科学技術庁 防災科学技術研究所 地圏地球科学技術研究部 地震・噴火予知研究調整官 岡田 義光 氏 |
- 人生も研究もコツコツ地道な積み重ね -
地震国日本で、私たちは心のどこかに"いつか大地震が起こるのではないか…"という不安を抱いて暮らしている。
今回は、科学技術庁 防災科学技術研究所で地震・噴火予知研究調整官を務める岡田義光氏をゲストにお迎えした。
起きては困るが、起きないことにはデータが蓄積できないという難しい相手を対象に、地道に研究に取り組む岡田氏。地震予知研究の現状や研究に対する氏の姿勢をじっくりとお伺いした。 |

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地球が動いているという生のデータに触れるところがおもしろい
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中島 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
岡田 おめでとうございます。
中島 さっそくですが、岡田さんは地震・噴火予知研究調整官という、ちょっと厳めしい肩書きをお持ちですが、そもそもこういう研究に入られたきっかけは何だったのですか。
岡田 小さいときから地味なことが好きでしてね。(笑)小学校では気象観測クラブに入って、毎日温度や気圧を見て野帳に書くというような、地道にやっていくことが好きだったんです。大学では地球物理学を専攻し、大学院に進むとき何を選ぶかということになったんですが、当時人気があったのが超高層大気や気象。地震はほとんど人気がなくて、あまり華やかではなかったんですが、むしろ私は、さっき言ったように地味にコツコツやるのが非常に好きだったものですから地震を選びました。ところが、入って間もなく東海地震の騒ぎが起きて、一躍、脚光を浴びるようになってしまったんです。(笑)今も結構忙しく仕事をしていますが、こんなふうになるとは、実は思っていませんでした。
中島 そういうご研究の中で、魅力というのはどういったところですか。
岡田 素朴なところでは、自然を見るというところが一番好きですね。研究というと、机に座って鉛筆を動かしてというイメージがありますが、地球を対象にする場合、フィールドへ出ていろんな現象を見るのが出発点ですね。今はテレメーター観測の時代で、あまり外へ行かなくなりましたが、学生時代とか東大の地震研究所にいた頃は、地震計やレコーダーを持って山の中に寝泊まりして、何日も観測するということをやりました。ともかく地球が動いているという生のデータを観測できるところが一番おもしろいですね。
中島 そうですか。ところで地震というのは、どういう形で予知しているんですか。
岡田 予知ではなく、予知の研究をしているんです。(笑)予知というのはそんなに簡単にできることではなく、地道に、いくつもの経験を蓄積していかなければなりませんから。
方法ですが、地震の起きるところは一番深くてもせいぜい600キロから700キロ。地球の半径が64000キロくらいあることを考えると、ごく上っ面の部分です。しかも何百キロという深さの地震は非常に珍しく、関東地方なんかでわれわれが感じる地震は大体100キロより浅いんですね。そういう地球の表面で起きている現象ですから、例えば薄い板を思い浮かべてみてください。そこに力を加えていって、どこかでバリンと壊れるのが大地震だとすると、壊れる前に小さな割れ目ができそうな気がしますね。こういう人間には感じないような微小地震とか極微小地震を監視するのが一つです。また、薄い板を曲げていって壊れるのなら、これくらい曲げたら壊れそうだという“目安”がありそうですね。こういう地殻変動といわれる地面の変形を探ることも一つの重要な要素です。
中島 壊れるというのが、揺れるという地震の衝撃になるわけですね。
岡田 壊れるという言い方はちょっと大ざっぱですが、岩石があるところで急激に破断すると、面ができてそれを境に急激なずれが起きる。それが振動となって伝わって建物を揺らしたり、海の底で起きると海底が急に持ち上がって津波になったりするわけです。つまり地震活動や地殻変動などの力学的な変化を見ることが地震予知の一番基本的な方法です。さらに、これが原因となって岩石の電磁気的な性質が変わる。また歪みがたまると地下水の水位が変わったり、断層面から微量な元素が出て地下水の成分が変わる。いわゆる、化学的変化ですね。それと、ナマズは有名ですが、小さい地震や地下水の変化などに対して非常に敏感な動物や植物が異常をきたす。ただ力学的変化、電磁気および化学的変化、動植物の異常となるにつれて、地震との因果関係がだんだん難しくなるんです。決して動植物を否定するわけではありませんが、一番初めの地震とか地殻変動など最も基本になるところも、まだきちんとできていない状況ですので、主な力はそちらに注いでいます。でも地震予知のための確定した方式があるわけではありませんから、役に立つものは何でも使うということで、あらゆる情報から総合判断するというのが現状です。 |
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中島 情報をキャッチする技術の面でも、今では3000メートルクラスですか、地球の奥深くまで掘り下げて兆候をキャッチできるようになった。最近ですとGPSなどいろいろありますが、そういう技術が進歩する中で、今どこまで予知できるのか。地震国日本の国民としては気になるところなんですが。
岡田 少なくとも日本では予知というのは一度もしたことがありません。発生がうんと差し迫ったときに、近いうち危ないかもしれないということは言えるかもしれませんが、日食を当てるように、ずっと前から何月何日にという形での予知は、多分不可能だと思います。ときどき予言者みたいな人が出てきて「何月何日に大地震が起きる」なんて新聞や雑誌に出ますが、あれは「予知」ではなくて「予言」と言って区別しています。
現在、長年のデータの蓄積や過去の地震資料などから、例えば東海でいつかは地震が起きるというくらいの長期的な予測はかなりの確度でできています。問題は、何年以内とか何か月以内とかのレベルで異常を見つけるということなんですが、これはなかなか進歩しないと思うんです。相手の地震にもよりますが、2、3回は経験させてください、という感じですね。今日観測点をつくったから明日予知ができるということでなく、今やっている仕事は植林事業だという意識をもっているんです。今観測を始めても、われわれは何も得るものはないかもしれないけれど、孫子の世代にその成果が出ることを考えているという…。
中島 何十年後かに成果が出てくる。
岡田 “国家百年の計”というようなことになるかと思うんです。そんな気の長いことと言われるんですが、地震はサイクルが長いですし、相手が起きてくれない限り、しようがないんですね。だけど、それは別に逃げているわけじゃないんです。
実例として、地震とは兄弟分の火山の方。最近の例で言いますと、1986年の秋から始まった伊豆大島の噴火では、噴火の2、3時間前に下から何か物が上がってきているという兆候がキャッチできたんですね。非常にはっきりしたシグナルが2、3回あったんですよ。それで今度この現象があらわれたら警報を出そうと思って、今も監視体制をとっているんですが、幸か不幸か静かになってしまった。せっかく前兆はこういうものだとわかっても、その次にあらわれるのは、うんと先になっちゃうんですね。別の例で言うと、鹿児島の桜島。あそこは小さなものまで含めて1年に何百回って噴火する。そうすると大きな噴火の前には山の中心部が上がるとか、これくらいデータが変化すると、何%くらいの確率で、どの程度の噴火が起きるというような法則性が見えてくるんですね。ですから今50%か60%の確率で噴火予知ができているんだということです。
中島 まず経験を積むことが大切だということですね。
岡田 はい。観測技術が随分進歩していますから、経験の蓄積さえ得られれば、何らかの法則性は出てくるんじゃないかと期待しているんです。ただ最近、新聞や雑誌等でときどき「地震予知はこのままでいいのか」という批判があります。今やっている予知研究は、とにかく観測をして何か前兆があらわれるのを待つという姿勢であって、それでは学問ではないのではないかと。地震という破壊現象が、どういう物理法則に従って起きているかというような、うんと基礎的な研究、岩石実験とか理論的な破壊の成長過程とかをやって、物理法則に基づいて、こういうことがあったら次はこうなって必ずこうなるという、決定論的にきちんと地震予知をするべきだという主張が強くなってきているのです。私は、それも簡単にすぐできるとは思いませんが、もちろん一方でそういう努力も続けていかなければならないと思っていますし、実際、出てきた観測データに基づいて、われわれは地下の構造がどうなっているのかなど非常に基礎的な研究を日常的にはやっているのです。人間が空へ飛んでいく時代に、どうして足元のことが予知できないのかなんて声も聞きますが、やはり経験の蓄積がものすごく遅いというのが一番歯がゆいところです。どんな学問でもそうだと思いますが、一番最初は観察や実験による経験の蓄積から始まって、たくさん事例が集まると何か規則性が見えてくる。そして最後の段階として、その規則性に基づいて先を予測する、それが科学の筋道だと思うんです。地震の場合、起きては困るけれど、大きな地震はめったにありませんよね。いくら立派な観測器材をつくって最新の技術を使ってやっていても、相手があらわれないことには、その地震の前後にどういうことが起きるのかという経験を蓄積できないんです。実験室で地震を起こしてみるわけにはいきませんし、岩石破壊実験など模擬実験はしていますが、どうしても自然の地震とはスケールがまったく違いますからね。 |
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中島 研究者の立場とすれば一種のジレンマというか、起こってはいけないけれど、ある程度定期的に起こって欲しいと…。素人が考えると、観測点をもっと増やせばいいんじゃないかという気がするんですが。
岡田 おっしゃるとおりですが、予算と人員という問題がありますので、まず観測強化地域に指定されている東海とか関東などにターゲットを絞って、そこでうまくいったら次のステップへ進むと。あっちこっち目移りせずに、東海や関東で、ぜひともいい結果を出す。もちろんそこだけを見て近視眼的になっていてはいけませんので、外国で起きた地震などからも学ぶことは学ぶ。それから一方で、地震を起こす物理的な法則とか地下の構造とか基礎的な研究もどんどん進めていかなければいけないと思っています。
中島 今の状況でベストを尽くしていくということですね。
岡田 そうですね。今、日本で地震予知ができそうだと思われている唯一のものは東海地震なんです。これは駿河湾のあたりを中心として、ごく浅いところで発生し、100キロぐらいの範囲が関与するマグニチュード8クラスの巨大地震ということなので、前兆的なものも非常にあらわれやすい。十分な観測さえしていれば、キャッチできる可能性が高いんです。それに対して、このところ関心が高まっている首都圏の直下型地震は、東海地震と比べるとものすごく難しい。フィリピン海プレートというのは、東京の下で30キロから40キロくらいの深さになります。しかも、関東大地震はマグニチュード8くらいでしたが、今騒がれている直下型地震は一まわり小さい7クラスで、エネルギーにすると30分の1くらいのものなんですね。深くてスケールが小さい分、出てくる前兆も期待できない。おまけに、東京というのは人がいっぱいで、車は走っている、地下鉄は走っているという状況ですから、微弱な地面の動きをキャッチするのに、はなはだ不向きなところですね。
中島 実際に首都圏直下型地震が起きたら、それは大変なことでしょうが、研究者にとっては非常にエキサイティングな事象なのではないですか。
岡田 そういう感慨には浸っていられないんじゃないでしょうかね。あっちこっちから問い合わせが来て。
中島 でも、しょっちゅう起こるものではないですからね。関東大地震は100年というサイクルですか。
岡田 関東大地震タイプは、大体200年だということになっているんですよ。関東大地震は巨大な地震でしたから、東京の下あたりの歪みは全部なくなっちゃったけれど、また次の歪みの再蓄積が始まっていて、今3分の1くらいが相模湾に蓄積されていることが測定でわかっているんです。単純に考えると、あと3分の2残っているから、大ざっぱに言ってあと140年経ったら次の関東地震が起きる。日本人だと一般には、一生に一度くらいは大きな地震を体験するという話ですね。
中島 そうですか。では現状の地震予知研究を踏まえて、将来に向けての岡田さんの夢のようなもの、あるいは問題提起というか提言、そのあたりはいかがでしょうか。
岡田 そうですね。今結構強力な観測網をつくって、関東から東海地域の様子がいろいろ見られるようになってはいますが、まだまだ十分ではないので、ほかの機関との情報交換も含めて、いろんなデータを総合化していくことが必要です。それから、今はただ、地震が起きると、震源はここだったとか地面がこういうふうに傾いたとか、観測事実だけがデータとして出てきます。これをもう一歩進めて、例えば地震が起きて地面が変形した場合、地下でどういうことが発生しているかというモデルをただちにつくって、地下で起きている現象がすぐわかるような方向に進んでいけたらいいなと思っています。個人的には、理論地殻変動の計算みたいなことに非常に興味を持ってます。
中島 一種の方程式のようなものですか。
岡田 簡単に言ってしまえば、地面の中で地震とか火山噴火の源みたいなものが生まれたときに地表がどんな変形をするかというものを求める計算式です。1989年の7月に伊東沖で海底噴火がありましたね。あの噴火の前に1週間くらい激しい群発地震があったんですが、その間に伊東と熱海沖の初島の間の距離が20センチほど伸びたり、伊東のあたりの地面が8センチくらい持ち上がったりという、普通ではなかなか考えられないような地殻変動が起きたんです。その頃私は、地面の中でマグマみたいなものが割れ目に入ってきて膨らんだら、どういうふうに地表が変形するかという仕事をしたばかりだったので、さっそく適用したところ、実にうまく合ったんです。その計算で、地下の様子が推定できた。あれは興奮しましたね。
中島 素晴らしいですね。
岡田 この話は続きがありまして、伊東沖の群発地震は1930年頃にもあったんですが、東北大学の人たちがそのときのデータを再チェックしたんです。そうしましたところ、私がつくったモデルのすぐ下に、似たような断層をつくって膨らませると、60年前の地震とか地殻変動が実にうまく説明できる。つまり60年前に、深さ7、8キロのところまでマグマは上がってきて、あのときは止まってしまったけれど、それが60年後に息を吹き返して、またその続きをやって出てきたという、そんなイメージなんですね。
最近の緻密な研究成果によって、結果的には過去にまで遡って地面の下で何が起きたかを見られるようになってきたというのは、すごいことだと思うんです。一方でそういう計算をする基礎理論ができていて、それに非常に精密な観測事実が加わると、それらを総合化して、これまで以上に地下で起きている現象の理解が深まる。ですから、これからも車の両輪として、観測をもっともっときちんとやっていく一方で、それを解釈するための理論なり基礎研究を進めていくという、2本立てでいく必要があると思います。 |
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中島 地震予知の研究というのは非常に長い時間と繰り返しの息の長い仕事ですね。岡田さんはその先駆者なわけですが、若い研究者を見て何かお感じになることはありますか。
岡田 私の学生時代の頃は、大きな地震があると、すぐに器材を集めて車に積み込んで、次の日には余震観測に出ていくという雰囲気があったんですが、今は時代がよくなったんでしょうか、何もしなくても電話線でデータが集まってくるわけですね。そうすると、現地に行って苦労してデータを取らなくても、計算機の端末を叩いていれば、それなりに仕事ができるものですから、そういう自然の現場へ行こうという雰囲気がなくて、何となくシラけた空気は感じますね。
中島 やはり現地へ行った方がいいと…。
岡田 一つは、地震は必ずしも定常観測点のすぐ近くで起きるとは限りませんから、現地へ飛んで行って事件の起きたすぐ近くに観測点を多数展開すれば大量によいデータが取れます。それと、現場に行って、例えば地下の割れ目から赤いマグマがチラチラ見えたりするというのは、やはり感激するんですね。そういう経験は、研究室にいて仕事をするときにも、多分バネになると思うんです。それからもう一つは、計算機というのは、全部数値になって出てきますでしょう。数字になっちゃうと、いかにももっともらしく見えてしまい、それが本当のところ、どのくらいの意味を持っているのかがわからなくなってしまうんですね。実際にフィールドに出て、自分がセンサーを置いてみると、例えば柔らかい地面の上ならこうなる、風が吹いて木が揺れると、地面がこういうふうになるなんていうことが、周りの雰囲気ですぐわかるわけです。そうすると、自分が見ているデータのうち、この辺はノイズで、これが本物でという“データを見る目”というんでしょうか、そういう目が養われると思うんです。それは、取れたデータが素晴らしいものであったかどうかとは別に、そういう経験そのものが重要だと思います。つまり計算機の世界はデジタルですが、われわれが対象にしている自然はアナログで動いているんですから、デジタルになったあとだけじゃなくて、アナログからデジタルに変えるところをちゃんと見ておけということは言いたいですね。
中島 そうですね。ところで、岡田さんのお若い頃はどんな感じだったんですか。
岡田 私は東京の生まれで、高校は両国高校というところだったんですが、高校のときに皆勤賞をもらったんです。皆勤賞なんて別に特別なことじゃありませんが、私の場合はもう一つ輪をかけましてね。地学部というのに入っていて、毎日温度計や湿度計を見ては野帳に書いていたんです。それで、高校には家から歩いて行けたものですから、日曜日でも登校して、その観測をやっていました。だから私の皆勤賞は普通の皆勤賞じゃなくて、行事があるとき以外は、休みの日も夏休みも、雨が降ろうと雪が降ろうと、年末でも年始でも…。
中島 本当にそういうことがお好きだったんですね。
岡田 そうですね。ときどき、昔の級友と話をすると、「おまえのは並の皆勤賞じゃないぞ」と笑われるんですけどね。(笑)
中島 大学時代はいかがでしたか。
岡田 いろいろ観測の手伝いをしました。かなり遠いところに台風があらわれただけでサッサと逃げてくるようなちっぽけな観測船で、紀伊半島の南の南方定点へ行ったり、爆破観測とか大きな地震の余震観測で、全国のあっちこっちへ出かけたのはおもしろかったですね。
中島 いろんな体験を積んできているんですね。では、休暇の過ごし方とか、ご趣味は?
岡田 国家公務員は昨年6月から週休2日制になりまして、いい時代になったんですが、休暇の過ごし方を知らないものだから、時間を持て余すような感じです。(笑)学生時代は毎年スキーに行っていましたが、40を過ぎたらあまり行かなくなったし。友だちとクラシックギターなんかもやりましたが、練習をしばらくさぼっていると、指がだんだん動かなくなって、そうするとおもしろくなくなっちゃって、今はほこりをかぶったままになっていますね。ドライブは好きなんですけれど、気楽に行けるようなところはもう行っちゃってますから、行くところがないんです。本当に困ったもので。(笑)
中島 そうですか。(笑)岡田さんの今までのお話を伺っていると、コツコツというのが生き方の一つのモットーのような感じもするんですが。
岡田 そうですね。口に出して言ってはいませんが、何となくそういうふうにするものだと思っているところはあるかもしれませんね。ただ、今は雑用的な仕事が忙しいものですから、本来の研究で必ずしもそういうペースをとれなくて、あまり気持ちがよくないですね。できれば、ゆったりと時間を取って、とことん自分で納得できる仕事をしたいし、一歩一歩基礎を踏み固めていって、自分を高めていくという、それが一番大事だと思います。
中島 人生も、地震予知の研究も、地道な積み重ねが大切だということですね。大変なご研究だと思いますが、ますますご研究に励まれ、ぜひその成果を期待しております。今日はお忙しいところ、本当にありがとうございました。 |
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1945年3月20日、東京都生まれ
科学技術庁 防災科学技術研究所 地圏地球科学技術研究部
地震・噴火予知研究調整官、理学博士
1967年 東京大学理学部地球物理学科卒業
1969年3月 同大学院理学系研究科地球物理学専門課程(地震学コース)修士課程卒業、12月 同博士課程中途退学
1970年 同大学助手(地震研究所富士川地殻変動観測所)
1980年2月 理学博士、3月より国立防災科学技術センター第2研究部地殻力学研究室長
1985年 同地震前兆解析研究室長
1987年 同地震活動研究室長
1988年 同主任研究官(地震予知総括)
1990年 現職、現在に至る
現在、地震予知連絡会委員、地震防災対策強化地域判定会説明員、中央防災会議地震防災対策強化地域指定専門委員会委員、地震学会評議員、日本測地学会評議員、日本学術会議地震学研究連絡委員会委員、同測地学研究連絡委員会委員ほか多くの役職も務める。 |

岡田 義光
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昭和38(1963)年、気象水象災害、地震、火山災害、土砂災害など各種自然災害に対する防災科学技術の総合的な試験研究機関として「国立防災科学技術センター」が設立。
近年の地球規模での環境破壊、また交通・通信機能の高度化や都市化の進展など、災害を取り巻く状況が大きく変化していく中で、防災科学技術に対する要請に的確に応えるために、平成2(1990)年6月、「防災科学技術研究所」と名称を変更、組織を改編する。
今後の防災科学技術推進のためには、地球環境問題と災害の関連性を解明することが重要であるとの見地から、グローバルな地球科学技術に関連した研究に積極的に取り組む一方、新たな観点から地震予知研究、火山噴火予知研究、雪氷災害などの各種災害防止研究を推進している。
1990年代の10年間は、全世界、特に発展途上国の自然災害による損失や混乱などの軽減を目的とする国連総会決議「国際防災の10年」であり、地球規模での各種自然災害研究と併せ、これまで以上に技術協力等を通じて、着実に国際協力も進めている。
地震・噴火予知研究のための観測網は東海・南関東地方を中心に約80か所、中でも岩槻、下総、府中には世界でも類のない深さ3,000m級の地震・傾斜観測点がある。
●茨城県つくば市天王台3-1 |
【インタビュア】丸文株式会社 第3営業本部 航空宇宙部部長 中島 正雄
1993年1月発行 MIA Vol.37 掲載 |
※このページは1984年から1998年にかけて発行された、丸文株式会社広報誌『MIA』に掲載されたものです。 お名前、その他の表記等については取材日現在です。 |
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