大平シローさん急死 55歳、心室細動…サブロー「信じられない」
スポーツ報知 2月10日(金)8時2分配信
漫才コンビ「太平サブロー・シロー」(旧コンビ名)として1980年代の漫才ブームを築いたタレント・大平シロー(本名・伊東博)さんが9日午後2時32分、大阪市内の病院で死去した。55歳だった。シローさんは4日に大阪市内で倒れ、心肺停止に。その後、一時蘇生したものの、意識不明の状態が続き、ついに帰らぬ人となった。葬儀・告別式は近親者のみで行われる。
漫才の歴史に一ページを築いた大物が、その生涯に早過ぎる幕を下ろした。所属の吉本興業によると、シローさんが倒れたのは4日昼ごろ。大阪市内にある自分の事務所だった。緊急搬送されて一命は取り留めたが、意識不明状態に。心臓が小刻みに震え、全身に血液を送れなくなる「難治性心室細動」と診断された。懸命の治療のかいもなく、この日帰らぬ人に。両親、弟子らが最期をみとったという。
シローさんは1975年、松竹芸能の漫才トリオ・レツゴー三匹に弟子入り。76年に大平(当時太平)サブロー(55)とのコンビでデビューした。80年代にNHK上方漫才コンテスト最優秀賞など多数の賞を獲得。先輩芸人らのモノマネも得意とし、人気者となった。88年、サブローと一緒に吉本を離れ、東京の芸能事務所に移籍。全国区の活躍を見込んでの移籍だったが、これが苦難の幕開けだった。
大プロダクションの吉本に反旗を翻した影響は大きく、仕事は激減。コンビ仲にも亀裂が入って92年に解散。参院選に出馬するも落選し、ノイローゼ説や失跡騒動まで浮上した。サブローはこの苦境に耐えられず、93年に吉本に復帰。しかし、シローは自らの才能に対するプライドから謝罪を渋り、吉本への復帰を認められたのは6年後の98年だった。
復帰後は昨年、芸能界を引退した島田紳助さん(55)らの後押しで放送作家としても活動したが、芸人としてひのき舞台に立つことはなく、一時、新たなコンビを組んだこともあったが、長続きしなかった。
関係者によると、近年はほとんどタレントとしての活動をしておらず、大阪市内での居酒屋やバー経営が生活の中心だった。旧知の芸人らも、もはやシローさんを芸人とはみなしておらず、調理人として「大将」などと呼んでいたという。居酒屋経営は順調だったようだが、日頃の不摂生が続いていたためか、大幅に体重が増加、健康状態が心配される様子だったという。
◆サブロー悲痛
シローさんとのコンビで、一世を風びした大平サブローは9日深夜、吉本興業を通じてコメントを発表した。「55歳というあまりにも若い年齢でのことにショックを受け、まだ信じられない思いです」。コンビ解散後は絶縁状態と言われた時期もあり、「どうしているんだろうなと思うことが多かった」と、近年も親交がなかったことをうかがわせた。
ただ、現在のサブローがあるのもコンビで出発したからこそ、という思いは強い。「僕が世に出ることができたのも、『サブローシロー』というコンビがあったおかげ。ましてやシローさんという天才芸人と一緒にやれたことが、今、現在もこの世界で何とかやれることになっていると思います」と感謝の思いを表現した。
山田邦子(「オレたちひょうきん族」などで共演)「同じ青春時代を過ごし、よくお酒を飲んだ同志。当時のサブシロは格好良く、シローさんはストイックでいろいろな夢を見ていた。『(米の番組)「サタデーナイトライブ」のジョン・ベルーシみたいになりたい』と熱く語り、彼のビデオを米国で買ってきたらすごく喜んだ。一方でネクラなところもあって、政治家になると言って騒がせたのも彼らしい。2人とも最近は大人になって、これから楽しみだったのに…」
◆大平(たいへい)シロー 本名・伊東博。1956年10月30日、大阪・泉大津市出身。子役から松竹芸能の俳優養成所に入り、レツゴー三匹に師事。76年、養成所で知り合った太平サブローと「太平サブロー・シロー」結成。吉本興業に移籍し、西川きよしらのものまねで人気を呼び、80年代の漫才ブームを支える。フジ系「オレたちひょうきん族」などに出演。86年、上方漫才大賞受賞。92年コンビ解散。99年、放送作家として芸能界復帰。
◆難治性心室細動 心臓の心室が痙攣(けいれん)した状態になり、全身に血液を送れなくなる。数秒で意識がなくなり、数分続くと死亡する。心臓に血液を送る冠動脈の異常や、心筋への血流低下が主な原因に。自動体外式除細動器(AED)による電気ショックで細動を防ぎ、正常な心拍のリズムに戻す治療が中心。2002年11月に高円宮憲仁さまは、この心室細動で亡くなっている。
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シローさんは1975年、松竹芸能の漫才トリオ・レツゴー三匹に弟子入り。76年に大平(当時太平)サブロー(55)とのコンビでデビューした。80年代にNHK上方漫才コンテスト最優秀賞など多数の賞を獲得。先輩芸人らのモノマネも得意とし、人気者となった。88年、サブローと一緒に吉本を離れ、東京の芸能事務所に移籍。全国区の活躍を見込んでの移籍だったが、これが苦難の幕開けだった。
大プロダクションの吉本に反旗を翻した影響は大きく、仕事は激減。コンビ仲にも亀裂が入って92年に解散。参院選に出馬するも落選し、ノイローゼ説や失跡騒動まで浮上した。サブローはこの苦境に耐えられず、93年に吉本に復帰。しかし、シローは自らの才能に対するプライドから謝罪を渋り、吉本への復帰を認められたのは6年後の98年だった。
復帰後は昨年、芸能界を引退した島田紳助さん(55)らの後押しで放送作家としても活動したが、芸人としてひのき舞台に立つことはなく、一時、新たなコンビを組んだこともあったが、長続きしなかった。
関係者によると、近年はほとんどタレントとしての活動をしておらず、大阪市内での居酒屋やバー経営が生活の中心だった。旧知の芸人らも、もはやシローさんを芸人とはみなしておらず、調理人として「大将」などと呼んでいたという。居酒屋経営は順調だったようだが、日頃の不摂生が続いていたためか、大幅に体重が増加、健康状態が心配される様子だったという。
◆サブロー悲痛
シローさんとのコンビで、一世を風びした大平サブローは9日深夜、吉本興業を通じてコメントを発表した。「55歳というあまりにも若い年齢でのことにショックを受け、まだ信じられない思いです」。コンビ解散後は絶縁状態と言われた時期もあり、「どうしているんだろうなと思うことが多かった」と、近年も親交がなかったことをうかがわせた。
ただ、現在のサブローがあるのもコンビで出発したからこそ、という思いは強い。「僕が世に出ることができたのも、『サブローシロー』というコンビがあったおかげ。ましてやシローさんという天才芸人と一緒にやれたことが、今、現在もこの世界で何とかやれることになっていると思います」と感謝の思いを表現した。
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◆大平(たいへい)シロー 本名・伊東博。1956年10月30日、大阪・泉大津市出身。子役から松竹芸能の俳優養成所に入り、レツゴー三匹に師事。76年、養成所で知り合った太平サブローと「太平サブロー・シロー」結成。吉本興業に移籍し、西川きよしらのものまねで人気を呼び、80年代の漫才ブームを支える。フジ系「オレたちひょうきん族」などに出演。86年、上方漫才大賞受賞。92年コンビ解散。99年、放送作家として芸能界復帰。
◆難治性心室細動 心臓の心室が痙攣(けいれん)した状態になり、全身に血液を送れなくなる。数秒で意識がなくなり、数分続くと死亡する。心臓に血液を送る冠動脈の異常や、心筋への血流低下が主な原因に。自動体外式除細動器(AED)による電気ショックで細動を防ぎ、正常な心拍のリズムに戻す治療が中心。2002年11月に高円宮憲仁さまは、この心室細動で亡くなっている。
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最終更新:2月10日(金)15時4分
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