結論から言うと【自分に対する怒り】からだと思う。
俺がガキだった頃、愛媛県宇和島市出身のオフクロから原爆のキノコ雲の話しを散々聞かされ、そして「はだしのゲン」を読んでいた。俺自身核アレルギーは身にしみていた筈なのである。しかしだ。いつの間にかその事を忘れていた俺が過去にいた。
ちょうど俺が某情報出版社の営業マンをやっていた頃、自分で言うのも恥ずかしい話しなのが神奈川県エリアでトップセールにもなっていた頃「資本主義経済の中で貧乏は罪だ」など本気で思いこんでしまっていた俺がいた。
その辺りだ俺の感覚が時代に流され、おかしくなり始めたのは。そして俺は独立して自営業を始めたのであるが、そこでも金、金、金の世界であった。
その時期である最初の女房と離婚し、その後また再婚したのは。俺の感覚は完全にズレてしまっていたのである。だが話しはここからである。二度目の女房は反原発の考えの持ち主で、その関係の本を幾冊も持っており、家に帰れば自分が座っていたソファーから二メートル位の所 にその関係の本が並んでいたのである。
俺は一切その本に手をつけ様としなかったのである。記憶にある本の題名は「東京に原発を」だったりしたのだが僅か二メートルの距離のその本に手をつけなかった俺に今腹を立てているのである。
その癖、酒を飲みながらジョンレノンの「イマジン」を観ながら涙を流していた俺がいたり、学生の頃三里塚闘争に片足を突っ込んでいたせいか、その事には右翼こそそれに介入すべきだった等と考えたりしていたにも関わらず、本当に僅か二メートル先のその本を手にとらなかったのである。今になってガキの頃オフクロが話してくれた事は一体なんだったのだろうと歯ぎしりするばかりである。
その頃である東海村JCO臨界事故が有ったのは。その時偶然だが店で使っていたバイトの大学生の親父さんが元原発設計技術者であったのは。俺はその学生に親父さんに日本の原発は大丈夫なのか?聞いてくれと頼んだのは。で返ってきた答えは「お粗末な事故である東海村JCO臨界事故と原発は全く違う日本の原発は安全である」と。息子に嘘を言う親父はいない。俺はそれを聞き安心と共に資源の無い日本に置いてこれからのエネルギーは原子力であると確信と原子力を平和利用出来るの日本国だけであると本気で思いこんでいたのである。
俺がガキだった頃、愛媛県宇和島市出身のオフクロから原爆のキノコ雲の話しを散々聞かされ、そして「はだしのゲン」を読んでいた。俺自身核アレルギーは身にしみていた筈なのである。しかしだ。いつの間にかその事を忘れていた俺が過去にいた。
ちょうど俺が某情報出版社の営業マンをやっていた頃、自分で言うのも恥ずかしい話しなのが神奈川県エリアでトップセールにもなっていた頃「資本主義経済の中で貧乏は罪だ」など本気で思いこんでしまっていた俺がいた。
その辺りだ俺の感覚が時代に流され、おかしくなり始めたのは。そして俺は独立して自営業を始めたのであるが、そこでも金、金、金の世界であった。
その時期である最初の女房と離婚し、その後また再婚したのは。俺の感覚は完全にズレてしまっていたのである。だが話しはここからである。二度目の女房は反原発の考えの持ち主で、その関係の本を幾冊も持っており、家に帰れば自分が座っていたソファーから二メートル位の所 にその関係の本が並んでいたのである。
俺は一切その本に手をつけ様としなかったのである。記憶にある本の題名は「東京に原発を」だったりしたのだが僅か二メートルの距離のその本に手をつけなかった俺に今腹を立てているのである。
その癖、酒を飲みながらジョンレノンの「イマジン」を観ながら涙を流していた俺がいたり、学生の頃三里塚闘争に片足を突っ込んでいたせいか、その事には右翼こそそれに介入すべきだった等と考えたりしていたにも関わらず、本当に僅か二メートル先のその本を手にとらなかったのである。今になってガキの頃オフクロが話してくれた事は一体なんだったのだろうと歯ぎしりするばかりである。
その頃である東海村JCO臨界事故が有ったのは。その時偶然だが店で使っていたバイトの大学生の親父さんが元原発設計技術者であったのは。俺はその学生に親父さんに日本の原発は大丈夫なのか?聞いてくれと頼んだのは。で返ってきた答えは「お粗末な事故である東海村JCO臨界事故と原発は全く違う日本の原発は安全である」と。息子に嘘を言う親父はいない。俺はそれを聞き安心と共に資源の無い日本に置いてこれからのエネルギーは原子力であると確信と原子力を平和利用出来るの日本国だけであると本気で思いこんでいたのである。
たが3.11で総てがぶっ飛んだ。残ったのは「今まで自分が思いこんでいたのは何だったんだ?」と言う虚無感とそこからくる怒りだった。「その怒りはいったいどこからくるんだ?」自分に問い掛けていたが、出てきた答えは二メートル先の本を手にとらなかった俺に対してである。政府が進めてきた原子力政策に対してでは無く、この俺自身に怒っていたのである。
元々政府政策等信用するな等と言っていた俺が原発に関して無関心を装っていたのである。
今その自分自身に対する怒りと共に悲しみが原動力となり現在「右から考える脱原発ネットワーク」に進んで参加し活動しているのであると思う。
まだ書き足りないがまた次回書きたいと思う。
元々政府政策等信用するな等と言っていた俺が原発に関して無関心を装っていたのである。
今その自分自身に対する怒りと共に悲しみが原動力となり現在「右から考える脱原発ネットワーク」に進んで参加し活動しているのであると思う。
まだ書き足りないがまた次回書きたいと思う。