放射能はいらねえ~ 牛乳を飲みてぇ~

清志郎が生きていたら、今の現状に何を叫んでいたんだろう。

宮城の放射線量過去平常値 0.0176~0.0513μSv/h(文科省発表)
堀場製作所Radi PA-1000でγ線(μSv/h)を測定。


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原発事故、最悪シナリオを封印 菅政権「なかったことに」
http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012012101001950.html

 東京電力福島第1原発事故で作業員全員が退避せざるを得なくなった場合、放射性物質の断続的な大量放出が約1年続くとする「最悪シナリオ」を記した文書が昨年3月下旬、当時の菅直人首相ら一握りの政権幹部に首相執務室で示された後、「なかったこと」として封印され、昨年末まで公文書として扱われていなかったことが21日分かった。
 複数の政府関係者が明らかにした。

 民間の立場で事故を調べている福島原発事故独立検証委員会(委員長・北沢宏一前科学技術振興機構理事長)も、菅氏や当時の首相補佐官だった細野豪志原発事故担当相らの聞き取りを進め経緯を究明。
2012/01/21 20:01 【共同通信】

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干しシイタケも出荷困難 宮城県南露地物から基準超セシウム
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1090/20120118_05.htm
河北新報 2012年01月18日水曜日

 宮城県白石、角田両市の露地物の原木シイタケから国の暫定基準値(1キログラム当たり500ベクレル)を超える放射性セシウムが検出され、国の出荷制限を受けたことで、県南の産地が打撃を受けている。
  例年なら今月末ごろにも迎える干しシイタケの出荷も難しい状況だ。生産者からは「補償がなければ立ち行かない」との声が上がっている。
 「やっと軌道に乗ってきたのに…。もう諦めるしかない」。白石市白川犬卒都婆の農業佐藤健吉さん(70)は悔しがる。
 県の昨年12月の検査で、佐藤さんの原木シイタケから国の暫定基準値を超える放射性セシウムが検出。白石市の露地栽培の原木シイタケ(ハウス栽培は除く)は出荷自粛となった。今月16日には国から出荷制限が掛けられた。
 佐藤さんは4年ほど前から干しシイタケの生産に専念、今季も一部の生産を始めていた。
 だが、露地物の原木シイタケが出荷自粛になった段階で「消費者の安全のために」と生産を諦めた。

 県は「乾燥状態なのか水で戻した状態なのか、国から検査方法が示されていない」(県林業振興課)として、干しシイタケの検査を行わず、出荷制限の対象外としている。一方で「出荷制限となった原木シイタケを加工した干しシイタケは出荷できない」との認識を示し、事実上、生産者に出荷自粛を求めている。
 白石市は県内でも有数の干しシイタケ産地。「出荷できないと、年金以外の収入はゼロ。この先も栽培が続けられないのなら賠償してほしい」と佐藤さん。周囲では東京電力への賠償を求める声が強まっている。


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脱原発 横浜宣言 8項目を提言 世界会議閉幕
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012011602000036.html
東京新聞 2012年1月16日 朝刊

原子力エネルギーからの脱却と、再生可能な自然エネルギーへの転換をテーマに、約三十カ国の専門家らが集まった「脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA」は十五日、前日に引き続き横浜市西区のパシフィコ横浜で開かれた。会議の成果として「原発のない世界のための横浜宣言」を発表し、二日間の日程を終えた。 

 同会議には、十四、十五の両日で計一万千五百人が来場した。

 宣言には「原発事故被害者の権利を守る」「政府、東京電力は完全に情報公開し、説明責任を果たす」「核燃料サイクルから段階的に脱却し、原発の廃炉に向けた工程表をつくる」など、八項目の提言が盛り込まれた。

 脱原発を掲げる八人の市町村長による討論では、福島県双葉町の井戸川克隆町長が「住民の被ばく問題がなおざりにされている」と指摘。東京都世田谷区の保坂展人区長は「浜岡原発で事故が起きたら、世田谷にも大きな影響がある。私たちは積極的に(脱原発の)道を開いていかないといけない」と話した。

 閉幕イベントでは、脱原発を主張する六人の著名人が登壇。俳優の山本太郎さんは「無関心の人にも(この動きを)つないでいかないと、大きなことはできない」と訴えた。NPO法人「ガイア・イニシアティブ」代表の野中ともよさんは「ここからが本当の民主主義の始まりだ」と、来場者に呼び掛けた。

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2012年1月14日 脱原発世界会議 開会式 肥田舜太郎(広島被爆医師)の講演
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1398.html

1945年にわたくしは軍医として広島陸軍病院に勤務し、
原爆の日は、たまたま午前2時に6キロ先の辺坂村に往診して、原爆による即死を免れました。
そのかわり逃げてきた多数の被ばく者の救急医療を行う事になりました。
市内で即死を免れた者も、火傷や怪我に加えて、
まぶた、鼻、口、肛門,陰部からも出血し、頭の毛が全部抜け落ちるという急性放射能症で死んでいきました。

当日広島におらず、原爆には合わなかったけれども、
爆発後数日以内に市内に入り、救援活動や肉親捜しをしたものが、
俗に言われたぶらぶら病というものを発症し、
数十年間、「あなたには病気はない」とか、「ノイローゼだ」とか、ひどい場合には「仮病」と言われて悩みぬきました。

1975年に、ニューヨークで私は放射線被害の研究で有名なピッツバーグ大学のアーネスト・スタングラス教授に会い、入市被ばくのぶらぶら病は、体内に入った放射線に体の内部から被ばくして起こる症状で、有機的にはまだ不明な証拠分であると教えられ、目から鱗が落ちた思いがしました。

1945年の9月1日連合軍総司令官ダグラス・マッカーサーは厚木空港に降り立つと同時に、日本国民に占領方針を発表し、その中で「原爆被害は米軍の軍事機密である」と宣言。
被ばく者には「被害の事実に際して一切しゃべってはならん」
医師、学者には「被害の調査研究を行ってはならぬ」
「違反者は重罪に処す」という、宣言を発表しました。

原爆の放射線被害が、世界の人にも日本国民にも伝えられてこなかった原因は、
アメリカが放射線被害を隠蔽し続けた事にあります。

また、1949年にアメリカが放射線被害の調査のため、広島と長崎に設立した医療機関ABCCは、
「内部被ばくは放射線が微量で、人体にはまったく無害である」と宣伝し、
入市被ばく者は診療をせず、その場から追い返しました。

日本政府は1957年と1968年の2回に渡り、いわゆる原爆日本と言われた援護の法律を作り
国による被ばく者の援護を遅まきながら始めました。
しかし、国は二つの法律が最高の補償を定めた認定被爆者から、内部被ばく者を除外するなど、
法律制定から35年間、内部被ばく者を差別し続けてきました。

内部被ばくの被害を否定するのは、核兵器保有国であります。
日本政府のそれは、アメリカの前線基地の任務を負わされた従属国の義務としか思えません。
国を建てる上でその基本にかかわる重大問題であると私は思っています。

2011年3月11日福島第一原発に事故発生の報告を聞いた時、私は正直、大変なことが起こるなと直感しました。

福島原発は広島原爆のウラニウムと長崎原爆のプルトニウムを混ぜたプルサーマルを使用しています。
事故からの放射線被害を受ける人たちが、広島と長崎で被爆者に生じたのと同じ症状が起こってくるに違いないと、
医師である私は推定しています。

2011年4月5日「福島県の若い母親から5歳の男の子の下痢がとまらない」との相談の電話がありました。
必要な事を聞いて一番近い白河市の総合病院に行かせ、2週間の検査を受け「なんでもない」と帰されたそうです。

その後電話相談は数を増し、子どもの症状も、口内炎、鼻血、皮膚のあざなどだんだん増加して、
地域も福島県から関東甲信越の各県にひろがり、
講演に招かれた名古屋、京都、大阪でも会場からの発言で、
子どもの下痢や鼻血で不安を募らせている母親の情報が伝えられました。
12月に行った佐賀と福岡でも同じ話が聞かれています。

結局、福島原発からの放射線は3月15日の大量放出から、約300日間ずーっと続いていて、
すでに日本列島の隅々まで、広範囲に飛散していると推定されます。

微量でも危険な放射線の内部被ばくのことを思うと、
原発を廃炉にして放射線を完全に止めないかぎり、ホットスポットがどこに現れても不思議ではない。
疎開や放射線の無い、汚染の無い食材の入手は、もはや無意味になっていると思われます。

厳密に言えば、安全な場所は、日本にはもうないのです。

「どうしたらよいか」わたくしは相談を受けます。

身を守るには遠くへ移住せよ。
汚染の無い水と食材を食べろ。
この二つが指導されてきました。

それが出来ない人はどうしたらいいのか。
その答えは専門家と呼ばれた人は誰もしゃべっていません。

私は被ばく者のための医師として、
被ばくの後遺症にならずに長生きする生き方を、30年間考え、指導してきました。

その経験から、一つの結論に行きついたように思っております。
それは、自分が自分の命の主人公になって、親からもらった免疫の力を守り、
ひたすら健康に生きるよう、必死に努力する事しかないと思っております。

人類は地球上に生まれ出た時、明かりもなければ火も持っていませんでした。
太陽とともに起き、太陽が沈むとともに寝る。
そういう生活を何千万年も続け、自然放射線や紫外線から命を守る免疫を作ってきました。

その基本の早寝早起きの健康の大原則を愚直に守る事が、
親から引き継いだ免疫力を維持して病気を防ぐ唯一の道であるとわたくしは確信しています。

あとは、食事、排せつ、睡眠、労働、遊び、休養、セックスの6つの行為を節度を守って行う事です。

行為には決まりがあります。
その決まりはどこの国でも年寄りが伝えてきました。
例えば日本では、おばあさんが「ご飯は30回噛め」と伝えています。
調べてみると、立派な根拠があります。

お米の栄養はでんぷんで、胃液では消化できません。
唾の中にある酵素ジャスターゼだけがでんぷんを分解して、小腸から吸収できるように変化させます。

「30回噛め」というのは、噛みつぶすのではなく、
30回舌を動かして、唾液をたくさん出し、必要なジァスターゼの量を供給するためであります。

年寄りの言葉と思ってバカにしないで、守らなければならない恒例の一つであります。

わたくしの話しの結論。
人間は、放射線を安全に操作することはできません。
ですから、原発も核兵器もなくして、「安全な地球に住む」という事しかないわけです。

ご一緒に頑張り抜いて、我々のひ孫に、綺麗な日本を残しましょう。


おわります。

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二本松市の新築マンションから放射性物質
http://www.fukushima-tv.co.jp/news/index.php?no=0195490
福島テレビ 2012年01月15日

二本松市のマンションのコンクリートから比較的高い放射線が確認され環境省ではコンクリートに放射性物質が混入したまま工事が行われたと見て調べています。問題が発覚したのは二本松市で去年9月に建設されたマンションです。
 環境省などによりますと先月27日、マンションに住む生徒が身につけていた積算線量計が3ヶ月で1・5ミリシーベルトと高い値を示したことから二本松市が周辺の調査を行いました。
 その結果マンションの基礎部分のコンクリートから毎時1・4マイクロシーベルト前後、室内からも1・2マイクロシーベルト前後が確認されたと言うことです。環境省ではコンクリート内に放射性物質が混入したまま工事が行われたと見て施工業者から事情を聞くなど確認を進めています。


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シリーズ原発危機:知られざる放射能汚染 ~海からの緊急報告~
NHK総合 2012年1月15日(日) 午後9時00分~9時49分

 東京電力・福島第一原発の事故によって、大気中に、そして海に放出された大量の放射性物質。事故から10か月、放射能汚染はどこまで広がり、その影響はいつまで続くのか。その実態を明らかにするひとつの鍵が「水」という存在だ。
 今回、NHKでは、専門家チームとともに初めて、原発から20㎞圏内の海の本格的な汚染調査を実施。同時に、陸においては、山間部の湖から河川もふくめた広範囲の調査も行った。そこからは、次々と新たな放射能汚染の実態が浮かび上がってきた。予想もしない場所で発見されたホットスポット。山奥の湖で、人知れず進行していたワカサギやイワナなど淡水魚の汚染。
 いずれも放出された放射性セシウムが、「水」を媒介にして意外な影響をもたらしている現実だ。こうした結果は、これまで事故以来、様々な調査にもとづいて作られてきた日本列島の「放射能汚染地図」を改めて書き換える必要があることを意味している。
 放射性物質はいかなるメカニズムによって運ばれ、魚介類に濃縮され、私たちの暮らしを脅かしていくのか、その知られざる実態に迫る。

放射能はいらねえ~ 牛乳を飲みてぇ~-0113-7 放射能はいらねえ~ 牛乳を飲みてぇ~-0113-9

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自動車部品34個から放射線 ロシア極東、輸入禁止
http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012011101001525.html
2012/01/11 18:28 【共同通信】

 【ウラジオストク共同】ロシア極東のウラジオストク税関は11日、今年に入ってから10日間の検査で、日本から運び込まれた自動車のエンジンや車体、部品など計34個から放射線を検出し、ロシア消費者権利保護・福祉監督庁が輸入禁止の措置を取ったと発表した。同税関当局者は、積み出し港は「日本の数港」と述べたが、具体的な港名は明らかにしていない。
 同税関の管内では昨年、主に日本から運び込まれた計273の中古車や自動車部品などから放射線を検出。除染措置が取られ輸入を認められたものを除く191の物品が輸入を禁じられ、日本に積み戻されるなどした。

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3月11日地震発生後、電気・ガス・水道とライフラインが完全に止まった。
3月の仙台はまだ寒く、車のエンジンをかけたまま、カーナビのテレビを付けっぱなしにして、11日と12日は車の中で寝た。
3月17日(土)スーパーに2時間並んだけど、買えたのはカップラーメン4個だけ。
電気が復旧したのは13日(日)夜9時頃、水道が復旧したのは22日頃だったかな?!
福島原発が爆発したときには、水も出ないしガスも止まっていたから、シャワー浴びることもできなかった(T_T)
灯油が2缶あったが3月下旬には灯油もなくなり・・・・・放射能を怖れエアコンは使わなかった。
風呂桶に貯めた水でトイレを流し、ポットで風呂桶の水を沸かして顔洗ったり、体を拭いていた毎日。
4月2日にやっとガソリンと灯油が手に入った。4月8日(金)にガス(都市ガス)が復旧し、やっと自分とこでお風呂に入れるようになった(>_<)
・・・・・・・ライフラインが回復するまで約一ヶ月。

仙台市内にはとにかく物がなく、食料・燃料も手に入らず・・・・・。
お金があっても物が買えない。

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伝説の「ジャンプ」 仙台の書店主が集英社に譲渡
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111230-00000014-khks-l04
河北新報 2011年12月30日(金)9時7分配信

 東日本大震災で物流が止まり本が入らなかった時期、仙台市内の書店で子どもたちが夢中になって読んだ「少年ジャンプ」が、出版元の集英社で大切に保管されている。店主は年の瀬に「子どもたちを元気づけたい一心だった」と振り返る。
 塩川書店五橋店(青葉区)の塩川祐一さん(48)は、3月11日の震災から3日後、在庫だけで店を再開した。近所の人に「テレビは悲惨な映像ばかり。子どもに漫画や絵本を見せたい。いつ開くの」と尋ねられたのがきっかけだった。
 店は新刊漫画を求める客が後を絶たなかった。特に「ワンピース」などを連載する少年ジャンプ目当ての人が多かった。
 「伝説のジャンプ」が生まれたのは21日。来店した男性が「ほかの人にも読ませてあげて」と、山形市で買った19日発売の最新号を置いていった。
「ジャンプ読めます」との貼り紙を出すと、小中学生らが次々に訪れた。
 1人が読み終えると次の子に。声を出して笑う子どもたち。「いっときでも震災を忘れ、楽しい気持ちになれたんだ」と塩川さんはうれしくなった。4月10日の配本再開まで読み継がれた本は、表紙がめくれ、一部がこすれてインクが消えた。
 店のことが報道などで紹介されると、「役立てて」と全国から漫画雑誌約30冊が届けられた。それも読めるようにした。
 伝え聞いた集英社は「これほど愛されたジャンプをぜひ譲り受けたい」と塩川さんに申し出、5月に引き取った。今は額装され、編集部にある。集英社広報室は「子どもたちを勇気づけるため回覧してくれたことはありがたい」と塩川さんに感謝する。
 配本再開まで店に置いた募金箱には、子どもらの善意約4万円が集まった。「子どもの支援に」と仙台市教委に贈った。
 「全ては1冊のジャンプから始まった」と塩川さん。「子どもが笑い、支援も広がった。やっぱり漫画の力ってすごい。関わった皆さんにありがとうと伝えたい」

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福島15万人が異郷で越年 県外6万、増加傾向
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/12/20111230t63016.htm
河北新報 2011年12月30日金曜日

東日本大震災と福島第1原発事故で、福島県民の7.8%に当たる約15万7000人が県内外の避難先で年を越す見込みとなったことが、県への取材で29日分かった。
 県によると、政府の東日本大震災復興対策本部などを通じて把握した県外避難者は6万1659人(15日現在)。福島を除く46都道府県すべてで避難者が生活している。
 このうち1000人を超えるのは東京都、北海道、宮城、秋田、山形、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、神奈川、新潟、静岡各県の計13都道県。
 最多は山形県の1万2945人。子育てなどを理由に、原発事故の避難区域以外から自主避難した人が7割程度を占めるとみられている。福島市に近い米沢市に3845人、アパートなどが多い山形市には5548人で、両市に集中している。
 県外避難者は今なお増加傾向にある。隔週で行われている福島県の集計で6月30日時点では4万5242人だったが、8月11日に5万人、11月16日には6万人をそれぞれ突破した。11月30日から12月15日までの半月でも492人増えた。
 一方、県が12月28日現在でまとめた仮設住宅の入居状況などによると、県内の避難者は9万5899人。内訳は仮設住宅が3万1265人、借り上げ住宅が6万3223人、公営住宅が1411人となっている。
 県は市町村の要請に基づき仮設住宅1万6619戸の建設を計画し、うち1万5788戸が完成した。いわき市や南相馬市は住民の要望が集中し、民有地も活用して建設を急いでいる。
 県の集計は避難先の自治体で行政的な手続きを取ったり、公的支援を受けて住宅に入居したりした人が主な対象。このほかにも、自力で住まいを確保した人がかなりいるとみられる。

放射能はいらねえ~ 牛乳を飲みてぇ~-0104

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