同性愛への差別・偏見
同性愛者の日常
同性愛者の自殺
自分が同性愛と告げない事が果たしていけないのか
同性愛が法律的に認められている国
同性愛は子孫を残せないか?
親御さん、教育関係者の方へ
就職試験の面接で
同性愛者が向いてる職業
同性愛者の方へ
それでも同性愛を差別される方へ
同性愛者の自殺
自分が同性愛と告げない事が果たしていけないのか
同性愛が法律的に認められている国
同性愛は子孫を残せないか?
親御さん、教育関係者の方へ
就職試験の面接で
同性愛者が向いてる職業
同性愛者の方へ
それでも同性愛を差別される方へ
同性愛者の日常
我々は、異性愛者が構築した価値観の中で存在しています。電車の男性専用車両、鉄道のきっぷや遊園地の券によくある「男女ペアチケット」。
これらは、いずれも同性愛者を無視していると言えます。
また、恋愛を扱った小説や映画でも、ごく一部を除き男女間恋愛ばかりです。
同性愛者は、常日頃より莫大なエネルギーを使って、自分が同性愛者ということを周囲に悟られないようにしています。 隠したくて隠しているわけではない、隠さざるを得ないのです。
もし自分が同性愛者という事を周囲に知られると、どういう事になるか同性愛者には容易に想像がつくからです。
周囲は雑談ひとつとっても異性愛が当たり前の会話がされているから、 同性愛者は「もうひとりの自分」を作って、心にもないことを言わなければならなりません。
周囲が同性愛を話題にした時は同性愛者が非常に辛い思いをします。
周囲は同性愛に否定的な会話になり、時には、笑いの種にもします。
その場にいるだけでも同性愛者は自分に対する自信を失っていくのに、そこで同調せずに、話にのらないでいたり、反論でもしたりしようものなら、 たちまち「お前ホモかよ」などと疑われてしまい、以後「怪しい」というレッテルを貼られてしまうかもしれません。
ではどうするか?一緒に笑ったり、軽蔑的な言葉を言ったりせざるを得ません。これは、自分で自分を見下し笑い否定することになりますから、自尊心はしぼんでいきますし、卑屈な気持ちで心が覆われていく事になります。
これらや、「子供がいてこそ幸せ」などという異性愛の価値観からはみ出るものを認めない世間の「常識」によって、 同性愛者は同性愛者の擁護をする事さえ難しくなっています。
人によっては「もうひとりの自分」と「本当の自分」を混同して精神に異常を来たしたり、 あるいは「二重性」に罪悪感を感じ、苛まれ、それらに世間の「常識」が追い打ちをかけます。
年齢が高くなってくると「なぜ結婚しないのか」などと余計なお節介にも対処しなければなりません。
人それぞれ、多かれ少なかれ悩みというものはあるでしょう。
ただ、同性愛者の悩みは「相談できる人が皆無」という点で、絶望的なものがあります。
親友にも言えず、親にも言えず…。そして教師にも言えず…。
自分が同性愛という事を明かしたら、全てを失うかもしれない。
友情を誓った親友であろうとも、同性愛という理由で絶交されるかもしれない。
また、「この人は同性愛に嫌悪感があるのだろうか」などと常に疑心暗鬼にならざるをえない場合もあります。
この、親友にも親にも言えない辛さというのがどんなものか、ここを読んだ方々にはわかってほしい。
たとえ運命に見放されようとも味方であるはずの親でさえ、自分が同性愛と告げる事はできないものです。 いつかの讀賣新聞の人生案内で、同性愛者の投稿に対し回答者が「男性のヌードを見たら電気ショックを受ける機械を使えば、同性恐怖症になる」みたいな事が回答として書かれていた。 この回答者は、同性愛者に同性愛者として生きていく事ではなく、同性愛を否定する回答を寄せたわけだ。
同性愛が「治療対象」とされていた時代がありますが、それがいまだに続いているとしたら、残念なことです (余談だが小生の場合はヌードには性に関係なく反応しないからこの方法は意味がない)。
同性愛者の自殺
同性愛か異性愛かなんて、単純に、「右利きか左利きか」くらいの違いでしょう。果たして、差別するような事なのでしょうか。同性愛に差別意識のある方は、今一度、考えてみて下さい。
人はみずからの意志で、異性愛者になったり、同性愛者になったりするわけではない。
男に生まれるか、女に生まれるかを自分で決められないのと同じように。
もしあなたが同性愛者なら、そのことをよく知っているだろう。
もしあなたが異性愛者で、しかもそのことがわからないというなら……。
あなたが心から愛する人を、思い浮かべてみよう。
あなたがその人を愛するがゆえに、他人から侮辱されたり、迫害を受けたら、どんな気持ちになるだろう?
アメリカでは、5時間に1人の割合で思春期の同性愛者が自殺してるともいう。
自分が同性愛と告げない事が果たしていけないのか
今まで接してきた人が同性愛者だとわかると、途端に「なんで隠していたんだ」と怒る人がいます。が、その人自身は「自分は異性愛者だ」ということを明かしていたのでしょうか?
もし、同性愛者が自ら同性愛と言わないことが「隠している」ことになるとしたら、
異性愛者が自らを異性愛者と言わないこともまた、「隠している」ことになります。
なぜ、同性愛者だけが、わざわざ自ら「自分は同性愛者だ」と言わなければならないのでしょうか。
隠していたのではなく、相手が勝手に「隠されていた」と思っているだけでしょう。
「人は異性愛者である」というのは勝手な思い込みに過ぎません。
形の強制は内心の自由に踏み込み得るのです。
たとえば信教の自由。 キリスト教徒に対し靖国なんかへ行く事を強制したらどうでしょう。
「心の中ではキリスト教信じ続けていいから」という名目で。
果たしてこれで内心の自由を守れると言えるのか。
内心の自由は絶対的に保障されるというところは納得されているようです。
ならばその内心の自由を保障するための「のびしろ」の部分が必要である、とまでは考えられませんか?
国家による制約と内心の自由。その対立は起きてもしょうがないし、起きなければ不健全です。
しかし法律による強制は内心の自由に肉薄して侵入しうるものです。
その「危険性」に対する防御方法が一切考慮されていないところに問題があるのです。
大坂冬の陣で徳川は大坂城の内堀まで埋めました。
あの状態で豊臣側は徳川への意見申し出などできましょうか。したらどうなったでしょうか。
あっと言う間に根絶やしにされました。
権利を保障するならばその方法まで保障する。
それが憲法理念であり31条にも通じるものがあるのです。
それを強制や処分をちらつかせて従わせる。
あなたが北朝鮮や中国について好きか嫌いかは推測できますが確定できません。ゆえに小生の立場で。
あの国家体制(北朝鮮の独裁、中国の悪魔刑法)は賛成できるものではありません。
しかし糾弾すべきは国民ではない、そう思うのです。
反対動機を形成する過程を提供せず国家に従属させることは人権侵害にほかなりません。
その国民を攻めてどうするのですか?木を見て林を見ず。まさにこの言葉。
同性愛が法律的に認められている国
まとめると以下のようになりますが、細かい事情は国や州によって様々です。(同性婚やパートナーシップ法/制度について世界での動向 平成16年09月現在)
◆(婚姻(同性婚)制度がある国や州)
婚姻(異性、同性といった性別の枠を撤廃)
=オランダ
◆結婚制度(従来ある異性間とは別に、同性間のみで成立)
=ドイツ、ベルギー、ハンガリー、バーモント州(アメリカ合衆国)など
◆(登録パートナーシップ(ドメスティックパートナー)法/制度のある国や州、市)
同性、異性間を問わずに登録できる
=フランス(市民連帯契約法/PACS)
◆同性間のパートナーシップ法制度
=デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、アイスランド、グリーンランド、 フィンランド、スイス、ポルトガル、カナダ(ケベック州・ノバスコシア州)、 ブラジル(サンパウロ州)、スペイン(カタロニア州他)、 アメリカ合衆国(カリフォルニア州・ハワイ州・ニューヨーク市)、 オーストラリア(ビクトリア州他)
(補足) 未確認ですが、カナダのブリティッシュコロンビラ州は同性結婚可能で、大学でもホモサークルやレズビアンサークルがあるそうです。
同性愛は子孫を残せないか?
同性愛者とはいえ、様々な事情により異性と結婚する人はいるし、「同性愛→子孫を残さない」というのはやや短絡的な見方である。
また、同性愛は少子化を加速させてしまうと意見もあるが、それも違うであろう。
詭弁かもしれないが、政治家になって国の少子化対策を改革するなど、
同性愛者だって少子化を食い止めることができないわけではないのである。
親御さん、教育関係者の方へ
自分の子供が同性愛者とわかったら、まずはそれを認めてほしい。最後の救いである親にまで同性愛を否定された時、子供は…。
そして、自分の子が同性愛だといって落ち込まないで欲しい、同性愛は悪い事でも何でもないのだから…。
悩むなら、せめて子供と共通の悩みをしてほしい…。
教師の何気ない一言に傷つく同性愛者は数え切れないほど多いです。
「男の子同士手をつないじゃダメだよ」
「男のくせにそんな事しないの!/女の子にくせにそんな事しないの!お嫁に行けなくなるよ!」
「隣の席が女だからってくっつくなよ〜」
「今度かわいい子が転校してきました。女の子だけど、お前ら照れなくていいぞ〜」
「「結婚しない」って言ってる奴は、モテなくて「結婚できない」だけなんだよな〜」
「フォークダンスで異性と手をつなげて嬉しいだろ〜」
「変態ってのは例えば男が男、女が女を好きになったりする事を言うんだよ」
「『美女と野獣』で、野獣が誰かに愛さなければ呪いは解けない。よって、相手は異性でないとダメなんですよね」
今思いついただけでこれだけの例があり、例を挙げれば枚挙に暇がありません。
担任の先生にまで同性愛を否定されたら、一体誰を頼ればいいのでしょうか。
ところで、こんな話があります。
昔、小泉今日子がエイズではないかという疑惑があった。
結局小泉今日子はエイズではなかったが、彼女本人はなかなかそうは言わなかった。
「私がエイズではないという事で、エイズの人が傷つくかもしれないと思ったから」。
教師たる人間は、このように、「私は同性愛者ではない。が、自分が同性愛でないという事で、同性愛の人が傷つくかもしれない」というくらいの気持ちを持って欲しい。
就職試験の面接で
男性の受験者に「彼女はいますか?」と質問し、「ひっかけ橋などで彼女ができたら内定を出す」と言う面接官。女性の受験者に「面接の時、『あなた、彼はいるの?』と質問する面接官。
なぜ、対象が異性限定なのだろうか?
例えば次のような質問なら、「モテる」イコール「女性に」では必ずしもないという切り口で返せるのだが。
Q あなたはモテるほうですか
A 男からも女からもよくお呼びがかかります
同性愛者が向いている職業
女子校、プール監視員など、同性愛者の方が適職or適バイトと言える場所はある。「男子と女子への対応が全然違う」教師は嫌われるが、同性愛の教師ならそういうことはない。
小生が驚いたのは、教師を目指していた大学時代の知人のその動機である。動機が「女子高に勤務して、毎日女子高生に囲まれたい」というものだった。同性愛者ならばこんな不純な動機は無い。
また、2007年 07月 17日 09:41 JST の記事によると、16日付のビルト紙が以下の内容を報じた。
(以下桃色斜字部分記事引用)
[ベルリン 16日 ロイター]
ドイツ南部リンダウで、バスの運転手が1人の女性乗客に対し、格好が「セクシーすぎる」としてバスを降車するよう求めた。
16日付のビルト紙が報じた。
デボラと名乗る女性は同紙に対し「彼は急にバスを止めてドアを開け、私に向かって『ミラーを見るたびにあなたの胸元のせいで気が散ってしまい、運転に集中できなくなる。別の席に座らないのならバスから降ろす』と叫んだ」と語った。
同紙は、胸元が大きく開き、身体にぴったりフィットした服を着た女性の写真も掲載。同女性は、別の席に移ったものの、運転手により屈辱を受けたとしている。
バス会社の広報担当者は「運転手にはそれが許可されており、彼は正しいことをした」とコメント。その上で「他の乗客の安全に危険となるので、運転手が気をそらすようなことはあってはならない」とし、運転手を擁護した。
もう記事は残ってないかもしれないですが、こちらのURLにありました(別サイトにつき別窓で開きます)。
同性愛者の方へ
「同性愛=オカマ」という誤解が多いのはオネエ言葉を使う奴がいるからだと思います。一般人はネット上でくらいしか同性愛者と出会わない。
でもそこで同性愛者がオネエ言葉を使っているから、「同性愛=オカマ」という誤解が世間に拡がってしまいます。
実際、同性愛者は「性嗜好」という点を除けば、異性愛者と何ひとつ変わらないのに。
外見容姿言葉づかい性格その他・・・ コップを飲む時、必ずしも小指を立てるわけでもないし。
一般の人がちょっと興味本意で覗いてみて、オネエ言葉乱発してるの見たら気持ち悪く感じるのは当たり前で。
ああいう所から同性愛への偏見が生まれてくるのだと思うのです。
同性愛者の皆さん、オネエ言葉はやめたほうがいいと思うのですが。
それでも同性愛者を差別するという方へ
同性愛者を差別するしないは、ある意味であなたの自由です。仕方ありません。ただ、同性愛者の権利を蹂躙するような真似だけはやめてほしいです。
同性愛者が同性愛者と結婚しようと、あなたに何か危害が加わるわけではありません。
あなたが同性愛を差別するのは仕方ないとしても、必死に生き方を模索している同性愛者の
希望を奪うような運動に加担したりするのは、やめてほしいです。あなたに危害が加わるわけではないのだから…