ファミレスのテーブルで向かい合った。

 木下さんに面会の約束をするのは大変だった。小学校5年の娘さんはバスケットボール。3年生の息子さんは野球。練習や試合の送り迎えに行ったり来たりで、自分の時間が取れないのだ。

 「お子さんが『放射能が伝染(うつ)る』と学校でいじめられたと聞きました」

 私は単刀直入に聞いた。そんな話が本当にあるのか、被曝者への差別・偏見が今もあるのか確かめたいと告げた。木下さんは「ああ、その話か」という顔をした。



no title

 

 「娘が一度言われたことがあります」


 「どんな状況だったのですか」

 「『そんなもの、バカと言っとけ。伝染らないって言っとけ』と娘に言いました」

 「それで?」

 「それだけです」

 しばらく沈黙が流れた。話したくなさそうだった。私は話題を変えた。しばらく別の内容を聞いて、また話を戻した。

 「先ほどの放射能が伝染る、という話なんですが」

 緊張が解けたのか、木下さんは今度は話してくれた。群馬県に避難してきて、4月から地元の小学校に通い始めた時。小5の娘が同級生にこう言われた。

 「お前、放射能から逃げてきたんだろ?」

 「そうだよ」

 「近寄るな~!」

 そう言われたというのだ。

 話を聞いて木下さんは怒り狂った。

 「バッカじゃないの!」「どうせ男でしょ、そんなこと言うの!」

 相手の親や学校には抗議したのだろうか。していない、と木下さんは言った。

 「その話を聞いて、私も疲れ果ててしまいました」

 この話を娘がしたのは9月になってからだ。クラブ活動に車で送る途中、後ろの座席に座った娘が突然話し始めたというのだ。おそらく、彼女なりに親や弟の前では我慢していたのだろう。そして彼女の中で整理がつき、車内で母娘2人きりになって、初めて告白したのだろう。

 相手の名前など、それ以上詳しい話は木下さんも知らなかった。酷すぎて娘にそれ以上聞けない、というのだ。

 「向こう(南相馬市)にいたら『子供たちを(線量の高い)ここに置いていいのか』と悩むでしょう。でも、避難したらしたで、またこちらで悩むんです。結局、うちの子に限らず、福島の子にはこれが一生ついてまわるんだなあって・・・」

 弾むように元気のよかった木下さんの声が少し涙声になった。あ、と思った瞬間、笑ったままの目から涙がぽろぽろとこぼれた。彼女は灰色のパーカーの袖で顔を拭った。

 「・・・私1人で子供2人を守りきれるのか・・・自信がありません・・・」