04年に米メルクが完全子会社化した万有製薬。その研究所は、茨城県つくば市北部の「つくばテクノパーク大穂」にある。
昨年10月、メルクが今年末の閉鎖を決めた。6月下旬に訪ねると、オフィス機器を運び出すトラックが行き交うのが見えた。
メルクは「2010年問題」の打撃が大きく、大リストラのまっ最中だ。計90億ドル前後のコスト削減策をまとめ、つくば、シアトル、ローマの3研究所を閉鎖した。
07年に48億ドルにのぼる副作用訴訟の和解金を計上(memo01Step16)。08年には骨粗鬆症薬の特許切れで年1000億円以上の売り上げを失い、後継薬の開発にも相次いで失敗した。
万有の研究所から道1本へだてた向かいは、ノバルティスファーマ(スイス)の旧研究所。08年末に閉鎖され、無人だった。車で数分の距離にある英グラクソ・スミスクラインの研究所も07年に閉鎖された。
07年以降、外資系製薬会社の日本離れが進み、つくばの3研究所を含む5研究所が閉鎖、今残るのは神戸にある独べーリンガーインゲルハイム社の1カ所のみだ。
07年に愛知の中央研究所を閉めたファイザーの日本法人社長、岩崎博充は「ブロックバスターに依存する時代は終わった。今後は、小さなヒットをコツコツ積み重ねるしかない」と話す。
ノーベル賞受賞者が輩出する日本の化学分野の基礎研究(memo01Step1~3)は世界的に見ても高水準だ。しかし、研究開発の拠点としては空洞化が進むのは、なぜなのか。
国内の製薬会社でつくる日本製薬工業協会のシンクタンク、医薬産業政策研究所の八木崇は「医療費抑制のための薬価切り下げで国内市場の伸びが見込めないうえ、治験や人件費のコストが高い。今は成長市場の中国やシンガポールに注目が集まっている」と指摘する。
日本の医薬品市場は7兆円規模で世界2位を保つが、シェア(9.9%)は10年前の半分程度だ。
国内の製薬大手4社を見ても売上高の5割前後は海外。世界シェア約4割の最大市場、米国を中心に海外シフトを進める。
6月末、糖尿病新薬の承認を米食品医薬品局(FDA)から見送られ、大きな痛手を受けた武田薬品工業は今年、グローバルな研究開発の体制を再編。「医薬開発本部」を米・イリノイ州に移し、研究開発の最高責任者を米国常駐とした。
米国は世界最大の市場というだけでなく、新薬の審査・承認で他国にも大きな影響力を持つ。そこでの情報収集が不十分だったという反省から、「FDAに近いところにいないと後れを取る」という危機感を募らせた結果だ。
アステラス製薬も昨年、米国に子会社を設立して、日本から開発の中心を移した。エーザイは6月末、研究開発から生産までを担う欧州の拠点を英国に新設した。
さらに、次代の創薬で中心になる高度なバイオ技術でも、欧米のベンチャー企業が規模や実績で日本を大きくリードする。
武田はバイオ技術などを用いたがん分野の新薬開発について、昨春に買収した米国のミレニアムにすべて託すことにした。
米国では、年間の新薬承認数でバイオベンチャー発の案件が03年にビッグファーマ上位15社の合計を上回った。だが、日本では大学発ベンチャーが相次いで倒産するなど成功例が少ない。製薬会社で実務経験を積んだ人材が外に出てこないことや、長い時間がかかる新薬開発へ投資を促す環境が整っていないことが背景にある。
カネボウの研究所を起源とするバイオベンチャー、カルナバイオサイエンス(神戸市)社長の吉野公一郎は「ようやくビジネス経験のある人材が起業するベンチャーも出始めた。環境を変えるためには、一つでも多く成功例を出すしかない」と語る。
(文中敬称略)