「許浚」。400年前の朝鮮李王朝のもとで「東医宝鑑」という医書を著した医師である。時は「天下布武」信長から秀吉の天下である。第1次朝鮮侵攻(1592年)の戦乱の中で編纂が進められ1610年完成した。この本はそこに至る主人公「許浚」の物語である。
封建時代ではどの国も厳しい「身分差別」が存在していた。日本では「士農工商」という階層が存在した。実際はこの範疇に入らない人々がいた。皇族、蝦夷、アイヌ、江戸団左衛門配下の人々。生をうけた時から死ぬまで変わらない階層。朝鮮においても支配しやすいようたくさんの階層が存在した。賎民。読んで字のごとし最下層の人々である。しかし、賎民から逃れることができる職業が医師の道であった。中国の科挙に勝るとも劣らないといわれる難解な試験であったという。この面では当時の日本の状況よりはるかに優れている。
優れているといえば、今の呼び方ではイラク地域=イスラム圏の科学的知識であろうか。十字軍遠征=侵略などさまざまな歴史に翻弄された地域。今、アメリカ、イギリスなどのイラク占領、イスラエルによるパレスチナへの侵攻。12世紀、1000年以上前の事態が繰り返されている。そもそもイスラム教は排他的な宗教ではないようだ。釈迦の本来の教えも排他的ではない。「心」の在りようなのかもしれない。いたわり、救う。「苦しむ者を気の毒に思い、救ってあげたい」。心の在りようが問題なのだ。
この本は、「許浚」が「心医」にいたる物語である。心医とは「相対する人をして常に心を安らかにさせる人格。その医者の目を見入るだけで、心の安らぎを感じる。病人を真心からいたわる心がけがあって始めてその境地に達しうる医者」だと許浚の師が語る。もちろん技能の裏づけが必要である。しかし、技術が先ということでは決してないと思う。質が違うからである。とまれ、医療人として大いに学ぶべき豊富な内容であった。いつも「在りたい」と思うのだが。終わりのついでに、8種類の医者に分類している。第1は心医。第2から食医、薬医、昏医、狂医、妄医、詐医、殺医と続く。字を見ているとなるほどと思う。是非、一読をお勧めしたい。(と)
|