映画「ザ・コーヴ」をめぐって
イルカの刺身(和歌山県・紀伊勝浦の居酒屋にて)
また間が空いてしまった。
更新するのを忘れてというよりも、どうもこの欄に何かを書くモチベーションがなかなかわいてこなかったのですが……しかしあることの事態が急に進んでいるので、これまでの経過などをざっと記しておきましょう。
ご存知のように映画「コーヴ」をめぐる事態です。
http://thecove-2010.com/
おととい6月9日に東京・なかのゼロホールで創出版主催による上映会とシンポジウムが行われ、会場では抗議声明も出されました。
http://www.tsukuru.co.jp/
http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2010061102000066.html
3月末ごろに創編集長の篠田さんから、「コーヴっていう映画観た? これを題材に創で座談会をやろうと思うんだけど」という電話があった。僕はその時点で映画を観ていなかったのだが、アカデミー賞ドキュメンタリー部門賞を受賞したということだけは知っていたぐらいだった。 できればいま全国で公開中の映画「ビルマVJ」http://burmavj.jp/に賞を取ってほしかったなと思っていた。
その後ある機会で「ザ・コーヴ」の米国上映版を見ることができた(これから日本で公開予定の方は日本劇場版で一部映像や字幕説明が異なる)。それまでクジラは小学生の給食で食べた世代なので僕はクジラ肉は大好きで毎日でも食べたいぐらいだが、イルカは食べるものだと思っていなくて、イルカ漁のこともまったく知らなかった。したがって映画を見た直後は単純に観客目線で「これは面白い映画だな」と感じた一方で、この映画を通じていろんなことが議論できる久々の本当の“問題作”だなと確信した。
ドキュメンタリーの手法、食文化、捕鯨と反捕鯨、クジラと日本人、動物への視線、食の安全、隠し撮り、表現の自由、肖像権などなど、この映画自体がもつ「問題性」とこの映画を見た人たちに投げかける「問題提起」の面と、その両方がどちらも大きく複雑に入り組んでいる。これは幅広い論議ができると期待する一方で、実際には真っ二つに分かれるような評価になるだろうという恐れも抱いた。
それで座談会をするにあたって誰が適任かという話を篠田さんと進めていく中で、こうした話題ではある意味定番登場のモリタツさんがこの映画を評価しているということで、「反対派の人は誰かいないか」と探すことになった。僕も映画や放送関係者の知り合いの人たちにランダムに打診してみたところ、その時点でほとんどの人はまだ見てなかったのだが、NY在住の映画作家・想田和弘さんがこの映画をすでに見ていることがわかった。
http://documentary-campaign.blogspot.com/2010/05/blog-post_07.html
そのあとに是枝裕和さんは果たしてこの映画をどう見ているのか聞いてみたところ、是枝さんと想田さんは映画への評価そのものが低いということがわかり、それでモリタツさん、想田さん、私の3人が座談会をやって、日程が合わなかった是枝さんは談話を別掲載するという流れになったのが創の先月号(6月号)掲載記事だった。
http://img.fujisan.co.jp/digital/actibook/3575/1381681737/336965/_SWF_Window.html?mode=1063
その詳しい内容は図書館や購入して読んでもらうとして、自分はクジラ・イルカ漁の現場のことも知らず、この映画の舞台となった太地町の人たちがこの映画をどう思っているのか急に気になったので、4月中旬にあわてて太地町に私は向かったという顛末です。したがって座談会の中での太地町の描写部分などは座談会後に校正ゲラに加筆しました。
3月に立教大学での上映が中止になった後、日本劇場版のマスコミ試写会が行われた4月に入ると、配給会社の前で抗議デモをする団体が現れ、今では上映中止を求めて映画館に抗議電話を何度も繰り返しているようです。http://www.shukenkaifuku.com/KoudouKatudou/2010/100409.html
配給会社前での抗議活動が起きたころになると周りの映画制作者や報道関係者の間でも、「また映画靖国の上映中止のような事態になるんじゃないか」と危機感を感じるようになり、08年の映画靖国上映中止騒動のときに集まった人たちを中心に対応策を検討するようになった。声明賛同者の顔触れは当時とほとんど変わらないと思う。
http://www.eigayasukuni.net/0202opinion.html
http://www.tsukuru.co.jp/oppose.pdf
この賛同者の中には映画内容には極めて批判的な人も多く含まれるが、映画内容に関係なく「上映中止に抗議・反対する」という一点において賛同している。
ジャーナリズムは国籍・民族・宗教・主義・主張などあらゆる区分けや線引きを越えて、 ときに賛同したり抵抗したり反対するということができる領域、いやそのために存在する表現手段だと思っている。ドキュメンタリーはジャーナリズムとは本質的に異なる点も多々あるが、こうした事態に対しては重なる部分もまた多い。
「報道・表現・言論の自由」という言葉や考え方は、言論・表現活動に携わっている人たちのためだけにあるものではなく、表現する機会を奪われた人や言論で訴える手段をもたない人たちのために保障された権利であるからこそ、何よりも重要だと思う。表現の自由を奪おうとする人やそれを認めない人たち、取り分けそれらを制限・区別・介入する国家・政府・政治に対して使う“武器”として言うべき言葉だと私は認識している。したがって「表現・言論の自由」という言葉を使うべき「時と相手と場所」はかなり微妙かつ慎重にならざるを得ない。
なかのゼロホールでは上映後に映画主人公のリックオバリー氏が、憲法21条の「表現の自由」を話していた。
上映予定の映画館が上映中止を求める人たちに対して「表現の自由ですので予定通り上映します」と言って対応するような場合と、この映画制作者(オバリー氏ではなく)が撮影対象者の太地町の漁師たちに対して、「表現の自由で映画を制作・撮影・上映する」と言うことは意味合いが異なる。
和歌山・太地町の人たちに話を聞くと、イルカ漁を行う毎年9月ごろになると反捕鯨団体やそれを従軍取材のように追いかける外国メディアも多数訪れるようだが、彼らは太地町の人たちや日本の捕鯨の歴史・文化を全く理解する姿勢がなく、非常に攻撃的だという。太地町の役場や漁協の人たちはこの間(かん)の動きのメディア対応でもかなり困っているが、いま上映中止を求めている団体と太地町の漁師・役場の人たちは何の関係もない。彼らの上映中止を求める抗議と太地町からの映画制作者・配給会社への抗議は全く別である。
私自身はその後この映画の「日本劇場版」を見たり、舞台となった太地町を訪れたりしているうちに、この映画をどう評価すればいいのか非常に揺れ動いている。エンターテイメント映画として「面白い」ことに揺らぎはない。
上映中止を求める市民団体なる人たちに抗議・反対することも揺らぎはない。日本で上映・公開されるべき映画であるという点も動かない。しかしドキュメンタリー映画としてこの映画をどう評価すべきか、この映画から何を学ぶべきなのかなどはいろんな点で最初に観たときと今ではだいぶ変化している。これほど変化するからにはその理由や原因もまた自分で探ってみたいと思うようになった。いつかまとめてどこかで書いてみたい。
先週日曜日、和歌山県・太地町の近くの街で鯨の刺身とイルカ刺身を食べた。翌日は和歌山県の知り合いの方を通じて、太地町の地元のいろんな立場の人たちに話を聞いた。太地町のリポートはまた別の媒体で書く予定だが、太地町からの帰り間際にドルフィンリゾートに行って、リンちゃんという10歳(人間で20歳ぐらい)の雌のバンドイルカに、サバの餌をやりつつゴムのように滑らかな身体をなでなでしてきた。「3回までタッチできます」と係員の女性の方から言われたので、「“お触りキャバクラ”のシステム説明みたいだな」」と不謹慎な想像をしつつもなでなでしていた。
イルカの刺身を食べてイルカをかわいがるという行為をして、どんな意識と変化が自分に表れるかをやってみたかったが、何だかイルカに対しては罪深い行為と思いつつも、「イルカ刺身は珍しいというだけで、鯨の方がやはり美味」ということと、「イルカの眼はかわいい」という極めて単純なレベルの感覚が先行して、人間の舌や動物のかわいらしさに対する感情は相当保守的になる。
しかしせっかくの機会なので、イルカ・鯨と日本人の歴史や文化、その関係性を、そして太地町の人たちがこの映画やイルカ漁をどう思っているのかなど、もっと知って、もっと観て、もっと考えてみようと思っているのでまた機会をみて太地町に行く予定だ。映画をすでに観た皆さんもこれから観る予定の方も、ぜひ太地町を訪れてほしい。http://www.town.taiji.wakayama.jp/index.html
参考までにシグロが制作したドキュメンタリー映画「捕鯨に生きる」「鯨捕りの海」は、 日本人と鯨との歴史や関係性を考えさせてくれてとても興味深かった。これを観てから「コーヴ」を観るのも、「コーヴ」を観た後でこれを観るのも面白いと思う。
http://www.cine.co.jp/php/detail.php?siglo_info_seq=60
http://www.cine.co.jp/works1/whalers/index.html
映画プロデューサーの安岡卓治さんが、『「言論の自由の侵害」という論点の背後にある「自粛」の精神構造に大きな問題があると思います。この「ビビリズム」とでも呼ぶべき退行現象の蔓延だと思います』と指摘していたが正にその通りの“ビビリズム”がほかにも飛び火している。たとえばこの映画上映に関してはいくつかの大学でも提案されたが大学側が難色を示した。「ほかの学生に迷惑がかかる恐れ」「警備・安全上の都合」などが理由だ。
藤原新也氏が指摘しているが、小沢一郎への検察審査会申し立てをした市民団体も「在特会(在日特権を許さない会)」の人だった。
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20100429
同氏は最新の記事でコーヴをめぐる動きにもコメントしている。
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20100610
市民団体を名乗る一つの右派(この定義でいいのかどうかは迷うが)活動いかんによって、法的な起訴から公共の映画館を上映中止まで何でも“追い込める”とは、96年当時の「歴史教科書をつくる会」ができたころや、
小泉・安倍政権時代に掲げられた「改憲・国益・愛国心」キャンペーンを上回る、反動(この定義も通用しないか)への委縮状況になった。
メディア総研発行の「放送中止事件50年」ブックレットをざっと読んでみても、
http://www.mediasoken.org/page004.html
60~70年代あたりは政治家たちによるテレビ番組へのあからさまな介入・弾圧が目立つが、80・90年代以降は不祥事・スポンサー絡みが多く、その後は視聴者から抗議・反発が来て自粛、最近は抗議や反発が視聴者から来そうなものは自粛(今回の映画館の措置と同じですね) というのが常態化しているから、テレビからこの先は映画にまで及んでいくのか……と分析しているだけではダメなので、ここは何とか知恵と身体をもって踏ん張るしかないか。
一事が万事。映画靖国→映画ザ・コーヴ→と来れば、次にまた同じようなことが活字か映像か写真かはわからないが必ず起こるであろう。テレビの放送中止や映画の上映中止なる事態を繰り返すと社会全体が荒んでいく。いつか自分のところに跳ね返ってくるだろうし、ほかの人たちも影響を受ける。様々な人たちがこの映画「コーヴ」を観て考える機会が無くなるような事態だけは阻止したいと思っている。
知り合いからは「何でまた君が鯨とかイルカに関心もつの?」と言われたけど、僕は鯨やイルカに興味があるのではなく、「鯨・イルカと日本人」「捕鯨やイルカ漁に対して人はどんな感情を抱くのか」あたりに興味がひかれている。
明日(6月11日)土曜日に横浜ニューテアトルで例の連中が抗議活動をするようだ。 作家・鈴木邦男さんも向かうとのことで、表現の自由や言論の自由を守るには口で言うだけでなく、少しぐらい身体も張らなきゃいかんと思うので撮影も兼ねてワシも行きます。あまり気乗りしないんですけど、こんな情勢だから仕方がない。以下のような地元の人たち周辺でもサポートしているみたいだし。
http://portside-yokohama.jp/headlines/yokohamanewtheatre.html
だいぶ長くなってしまいました。映画「コーヴ」のことはまた続きをどこかで。繰り返すけど心情的には「ビルマVJ」をぜひいまのうちに映画館で観てほしい。http://burmavj.jp/
久しぶりに一気に書いてみて「次のアップはいつごろ」と言いたいけどやめときます。
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綿井健陽 WATAI Takeharu
Homepage [綿井健陽 Web Journal]
http://www1.odn.ne.jp/watai
映画「Little Birds~イラク戦火の家族たち」
公式HP http://www.littlebirds.net/
DVD発売中
月刊「創」連載『逆視逆考』
http://www.tsukuru.co.jp/
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